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2015年12月30日(水)その2438◆継続の意味
「カンテやギターのソロライヴに、舞踊手たちがやって来ない」
それはずっと以前からの疑問なのだが、今年に入ってパセオライヴを
一年13本プロモート(内カンテとギターは計5本)した実感(バイレは常に大入り、
カンテ・ギターはそこそこ)から、年の瀬の酔狂でその理由を自分なりに整理してみる。
歌い手とギタリスト。
ふだんは伴奏者として連携する彼らが、ソリストとしてその特性を発揮する瞬間を
心と感性に刻むことは、踊り手にとっては絶大なメリットがある。
共有イメージを拡大できることで、そのさき彼らと共演する際、
フラメンコのクオリティに格段の広がりと深化がもたらされるからだ。
もちろん意思の疎通も格段とスムーズとなる。
こうした対話力がフラメンコというコミュニケートの肝だと、私には思える。
そのプロセスの限りない積み重ねによって、
バイレフラメンコの表現力は足し算ではなく、掛け算的にアップするからだ。
高い技術レベルを競い合う協会新人公演バイレ出演陣にあって、
決定的な差をもたらすのはこのシンクロ要素に尽きるというのがこの十年の傾向だ。
日本において、フラメンコそのもの、もしくは音楽から入った人は、
カンテやギターへの関心が高く、彼らを伴奏者ではなく協演者して認識している。
一方、舞踊ジャンルのひとつとしてフラメンコを選んだ人は、
あくまで彼らミュージシャンを伴奏者として認識している。
プロだから前者、アマだから後者というわけでもない。
こうした二極化は1990年代のフラメンコ舞踊ブーム以降たいそう顕著になった。
現在の現場感覚では「前者3:後者97」というところか。
だからダメだという話ではなく、むしろその逆で、
だからこそフラメンコは舞踊人口を飛躍的に伸ばすことが出来たのである。
そういう広い間口を持ったフラメンコの器の大きさを、心から歓迎すべき現実が視えてくる。
分厚い後者の層から、フラメンコの新たな地平を切り拓くスター舞踊手が
出現する可能性も高いし、また、自らカンテを歌うなどして
前者に向かうバイレ王道層も近年着実に厚みを増しつつある。
現在はその過度期だが、集客が難しくとも
カンテやギターのソロライヴを継続する意義も、その一方にくっきり視えてくる。
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2015年12月29日(火)その2437◆蒸留
『オブリビオン(忘却)』そして『チキリン・デ・バチン』。
もういやになっちゃうくらいに惚れ惚れするピアソラの超ロマンティック名曲。
そのノスタルジックな哀感は、若き日の痛すぎる失恋の想い出に直結する。
胸を張り裂くような苦しみは、これらピアソラを触媒とすることで、
年を重ねるごとに懐かしい感傷へと変化してゆく。
こうした効用もまた音楽の底知れぬ恩恵のひとつだろう。
人類の最大の発明は神だと云われるが、
少なくとも私の中で音楽は軽々と神を超える。
この年末は現代ギター社から送られてきた『タンゴ名曲集』を毎日のように聴いている。
ギターはレオナルド・ブラーボ。アルゼンチンを代表するスーパーギタリストで、
ピアソラはじめとする哀愁あふれるタンゴ名曲が、このアルバム一枚に凝縮されている。
一応は仕事納めとなる今日もまた、彼のギターとともに百花繚乱たる残務に向かう。
いろんなことがあっと云う間に過ぎ去った今年もあと三日。
現金の残らぬこの一年にあって、せめて記憶の引き出しに残したいものは、
やがては美しい想い出に蒸留されるであろう幾多の喜怒哀楽。
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2015年12月28日(月)その2436◆しておく
前へ進まないと、いつの間にやら後退してしまう。
なるほど、思い当たるフシは数えきれない。
そうとも、後退するのは髪の毛だけでいい。としておく。
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2015年12月27日(日)その2435◆マヌエル・アグへータ死す
巨星マヌエル・アグへータ死す。
深夜の小倉編集長からのメールでそれを知る。
スペイン在住ライター志風恭子が速報をアップしているので、
とりあえずパセオフラメンコ公式HPにそれをアップ。
http://noticiaflamenca.blogspot.jp/
マヌエル・トーレを継ぐ最後の大カンタオール。
およそ三十年前、パセオ創刊の頃に初来日し、そのライヴに張りついて回った。
当時三十歳の私の音楽観・フラメンコ観が、
それまでの人生観とともに粉々に砕け散った激烈な想い出が
いまも宙を彷徨う。合掌。
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2015年12月27日(日)その2434◆洗礼
いきなりパンパンと銃声が鳴り響く。
逃げる一手に決まっているが、何故か私の右手にはワルサーP38。
どうやら逃げられない事情がありそうだ。
ただ困ったことに、この夜の闇の中、敵が誰だか分からないし、
また私の立ち位置も不明である。
やがて月明かりで居場所の見当がつく。
都電25番線(日比谷公園 ⇔ 西荒川)が、
京葉道路から専用車線に入り込む「亀戸九丁目」あたりだ。
同じ銃を手にした味方らしき人物が数名、
建物の影に身を潜めているのが視えてくる。
どうやら私たちは追っ手であるらしい。
「よーし、終わったからみんな帰っていいぞ」
しばらくして、隊長らしき人物の野太い声が響く。
何が終わったのか、さっぱり分からんが、とにかく銃を使わずに済んでよかった。
私の身分がその他大勢の一兵卒であることも何となく分かってくる。
そうだ、せっかく生家のそばまで来てるのだから、ちょっと寄ってみるか。
限りなく透明に近いブルーの夜明け、故郷・小松川二丁目をめざし、
線路の上をるんるん歩き始める。
小学校入学時の男子の洗礼儀式だった
「中川に架かる都電木橋を歩いて渡る」冒険は何十年ぶりだろう。
否応なく徴兵を喰らった気分の、ずいぶん昔に見たたわいもない夢だが、
シャープでリアルな映像と、追われる側であることの多い私が追う側に回る展開を、
今も鮮明に憶えている。
そこには義務感や正義感もなかったことも、いま想えば容易に分かる。
写真は、その中川の木橋を渡る昭和三十年代の都電25番線。
広重描く江戸末期の『逆井の渡し』あたり。
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2015年12月26日(土)その2433◆忘年会
本日忘年会。
フラメンコ協会事務局とパセオフラメンコ編集部とで、
苦し楽しかったこの一年をねぎらい合う。
配達弁当(五百円!)が大評判、ご近所のスーパー割烹17時集合!
その前に原稿二本と大掃除で心身ともにウォーミングアップ!
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2015年12月25日(金)その2432◆松丸百合ソロライヴ
「漆黒の透明感、心癒す存在感」
あの舞台の鮮烈な印象はいまも忘れがたい。
12年前の日本フラメンコ協会新人公演で、彼女は奨励賞を受賞した。
冒頭のイメージが起点となり、松丸百合のパセオライヴ出演が決まった。
以下は、このステージに寄せるバイラオーラ松丸百合の一文。
(月刊パセオフラメンコ最新号より転載)
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今は、亡き父に踊りを届けたいという気持ちと、長年に渡って父を慕い、
私たち家族を見守ってくださった方々への感謝の気持ちを
踊りにかえてお届けしたいという思いがあります。
今年の5月、きらきら光溢れる日の午後に父は天国に旅立ちました。
自宅で家族に見守られながらの、本当に穏やかな最期でした。
亡き父を心配させぬよう、しっかり強くならなければならないと思う一方、
なかなか〝踊りたい〟というエネルギーが自分の中からわかず、
心と頭が空回りしている時期もありました。
ソロライブのお話をいただいたのはちょうどそんな折でした。
その時、不思議と自分でも驚くほど嬉しくて涙がとまりませんでした。
そして堰を切ったように、フラメンコを踊りたいという強い気持ちが溢れてきました。
父はわたしにとって太陽でした。
今は姿をなくしても、父は今までと変わらず、
太陽として私の中に存在してくれていることを改めて実感しています。
いま、父が大好きだったハワイの真夜中の海をみながらライヴのことを考えています。
すると、8階のバルコニーに黒い蝶が舞い込んできました。
父の最後から二番目の言葉は〝アロハ~〟でした。
今できることを精一杯頑張ります。(松丸百合)
2016年1月28日(木)20時
パセオフラメンコライヴ Vol.15
松丸百合ソロライヴ
川島桂子(カンテ)
有田圭輔(カンテ)
柴田亮太郎(ギター)
石井奏碧(ギター)
森川拓哉(ヴァイオリン)
会場◆高円寺エスペランサ
開演◆20時ジャスト開演(19時半開場)
料金◆3,900円1ドリンク付税込/終演後は24時まで通常営業
【座席予約】先着63名様まで、お申込み順に良いお席を確保
◇電話予約
昼(セルバ)☎03-3383-0246
夜(エスペランサ)☎03-3316-9493
◇メール予約
selva@tablaoesperanza.com
※公演忘備録(パセオ4月号)は若林作絵が担当
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2015年12月24日(木)その2431◆傾向と対策
「それにしてもと、いつも不思議に想う。
カンテやギターの数少ないソロライヴに、舞踊手たちがやって来ない現象。
ふだんは伴奏者として連携する彼らが、
ソリストとしての底力を発揮する瞬間を心に刻むことは、踊り手として
莫大なメリット(その先伴唱・伴奏してもらう時の意思疎通の格段の深化)があると、
ここはフラメンコというコミュニケートの肝じゃないかって、
ふつーに私は考えるんだが・・・日本フラメンコ界の七不思議の第二位」
てなことをフェイスブックに書いた。
ナイーブな側面もあるテーマなので、スルーされて当然と決め込んでいたが、
勇気あるアフィシオナードからのいいね!やコメント・メッセは、
この現象を分析する上で大いに参考になった。みんな、ありがとう!
さてその昔、無謀にもギターの名作アランフェス協奏曲を猛練習していた頃、
あらゆるレコードを集め、各オーケストラ指揮者のギター独奏者に対する
サポート方法を研究したことがある。
スコアを見ながら、それなりに根気を必要とするその比較検証作業は、
それぞれの指揮者とオーケストラの特性や技術性を知る上でかなり有効であり、
音楽は聴くだけ専門となったあとも、また現在の生業においても、
実に頼もしいスキルとなっている。
「だから共演者の音楽はよくお聴きなさい」と説教できない理由は、
アランフェス演奏の無残な挫折にある(←まずは自分のパートを何とかしろよ)。
あんだけ練習して、まともに弾けたのは「休符の部分」だけだったという経歴は、
ここだけの話にしといてほしい ( ̄▽ ̄)
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2015年12月23日(水)その2430◆プラテアオの真価
いやあ、火曜の晩のぺぺ(エル・プラテアオ)にゃあシビれたねえ。
グアヒーラ(パルマはベニートと三木重人)の郷愁、
ヴィダリータ(ギターはエミリオ、ヴァイオリン三木重人)の哀愁、
そしてラストの即興アレグリアス(バイレはベニートと鈴木敬子)の大人の粋、
・・などがすこぶる印象的。
それと意外にも(←すまん)、プラテアオのライヴ全体の構成力には
クレバーな才能が黒光りしていた。
終演後ぺぺと話し、パセオライヴ次回(来年)を即決!
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2015年12月23日(水)その2429◆無題
「どひゃー!」
ふつうはこう驚くものだが、
お相撲さんはこう驚くのだという。
「どひょー!」
作者不肖『ウソ八百夜話』より
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2015年12月23日(水)その2428◆紙一重
悪人どもは、善良な人々をバンバン殺す。
だが月光仮面は悪人どもを決して殺さず、警察に引き渡す。
子供心にはそこがもどかしく、また同時に、その行為の得体の知れない大きさが
〝憧れの月光仮面像〟を深層心理に築き上げたのだろう。
人間社会の善悪は常に紙一重。
善に徹しられる人も、悪に徹しられる人も、この世には一人としていない。
一極集中できるほどには人間は強くない。
おまえらだって紙一重だと吐き捨てる悪辣な汚職警官に対し、杉下右京はこう叫ぶ。
「その紙一重が重要なんです」
その紙一重を〝生〟として実感するのが現実のコミュニケーションであり、
あらゆる仕事や私事はその瞬間の行為とその余韻に集約されるから、
ボヤボヤしてなどいられない。
ある時は冒険あるいは安定を選び、
ある時は愛あるいは金を選ぶなどして、
そのことの集積が次なる瞬間を生きるセンスを構築するのだろう。
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2015年12月22日(火)その2427◆答え合わせ
パセオ最新号、しゃちょ対談27はバイラオーラ小島慶子。
ド素人からフラメンコ通までを引き受けられる驚きの天才ダンサー。
天然に見えた彼女は、実は深く聡明だった。
フラメンコに生きる人間の〝これもひとつの善き典型〟がここにある。
対談をまとめながら、私はドキドキしていた。
本人がカットしたい部分も頼み込んで掲載した。
何故ならそこはリアルな肝だったから。
あらゆる踊り手の苦悩を解消するヒントがここに在るのではないかな。
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2015年12月23日(火)その2426◆激怒の始末
★パセオ入試~傾向と対策/憤怒編
【練習問題】
以下のスペイン語について、旧カナ使いを交えて、
いますぐにでも発生しそうな実際的な例文を作りなさい。
coraje(コラヘ)=怒り
【模範解答例】
「君の怒りはわかるが、ここはひとつコラヘてもらひたい」
(↑)この練習問題自体を陳謝する例文になっているところが秀逸。
また、先ほどの日記における本日激怒を鎮魂するレクイエムを兼ねる。
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2015年12月23日(火)その2425◆不幸の電話
ひたすら他を否定し、己を持ち上げるだけの不毛。
今日もまた、人の道とも思えぬ不条理電話。
ならせば月に一本くらいはある。
学年に一人くらいはそんな奴がいたし、まあ、どんな稼業でもそりゃ一緒で、
そこへの対処は全体の平和を願う税金のようなものだろう。
15秒くらい聴くと、先方が心に病を抱えていることが分かる。
だが私たちはその方面の専門医師でもなければ友人でもない。
編集部の多忙を告げ、何か建設的な意見があるなら
文書(郵便またはメール)で送るようお願いする。
かつて大切な部下たちがその手の余りに理不尽な言いがかりに、
逆に心を病んでしまったことがあるので、
こうした問題に少々私は過敏なのかもしれない。
私たちはあなたの個人的悩みを解決することは出来ない、
冷静な判断なしに一方的に私たちの仕事時間を奪うことはやめてほしいとピシャリ電話を切る。
ふんふん聴けば一日中電話が掛かってくるから。
倍返しの正義を気取り、やっつけ過ぎた若く苦い経験も多々あるので、
遺恨や復讐の連鎖につながるような対応は避けるが、
その恐ろしく冷徹な口調に自分でも驚くことがある。こりゃなりたいオレじゃない。
だが避けては通れぬ道。
正解を見い出すには、まだまだ時と経験と知恵が必要だと、溜息まじりに覚悟する。
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2015年12月21日(月)その2424◆世界に広がるフラメンコ
「グローバル化するフラメンコ」
パセオ創刊32年、おそらくはそのベスト特集。
こういう表紙だと、書店の目立つところに置かれることも判明。
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2015年12月22日(月)その2423◆その瞬間に入り込む
いよいよ明日火曜は、今年最後のパセオライヴ。
生粋のセビージャっ子、エル・プラテアオ(大森有起撮影)の登場である。
12月22日(火)20時スタート(終演予定は21時15分)
高円寺エスぺランサ
3,900円税込(ワンドリンク付)
【予約】
昼(株式会社セルバ)☎03-3383-0246
夜(エスペランサ)☎03-3316-9493
メール予約:selva@tablaoesperanza.com
【出演】
エル・プラテアオ(カンテ)
エミリオ・マジャ(ギター)
〈友情出演〉
鈴木敬子(バイレ)
ベニート・ガルシア(パルマ)
三木重人(ヴァイオリン)
【プログラム】
1 Tientos-tangos
2 Cantiñas y mirabras
3 Malagueñas y abandolao
4 Guajiras
5 Fandangos
6 Vidalita
7 Siguirilla
8 Cuple por bulerías
9 Solea
10 Alegrias 〜Keiko Suzuki〜
11 Fin de fiesta
決定的だったのはパセオライヴにおける彼のマイク無しの肉声カンテ。
今年3月の渡部純子、4月の小島慶子、6月の鈴木敬子のライヴでそれぞれ彼は
カンテソロを披露したが、それらはすべて観客席から感嘆の溜息のもれる快唱だった。
殊にあのペペ・マルチェーナを髣髴とさせるグアヒーラの
粋な歌い回しの絶妙さはちょっとした事件だった。
異なるギター伴奏で歌われるグアヒーラには、まったく異なる味わいの、
しかし本質と生命力とを同じくする、カンテフラメンコの一期一会の妙味が充ち溢れていた。
それがきっかけで実現したプラテアオとの本誌しゃちょ対談の中で、殊に印象的な発言がある。
「バイレとギターとやる時は最低三人必要だから、そのぶん制約が多くなるのは当然。
カンテソロはギターだけだから制約が少なくてそのぶん自由。
決めごとが少ないのは、フラメンコにとってとてもよい環境。
そういう自由な環境の中で、何をおいても、まずその瞬間に入り込むこと。
そこですべてを出し切ることが、フラメンコにとっても僕の人生にとっても最良なこと。
嫌なこともストレスもそれさえ出来れば、すべて吹っ飛びます。
学ぶ事は毎日続けながら、少しずつ成長していければいいよね。
カンタオールとしても、人としてもね!」
意外なことに、プラテアオにとって初ソロライヴだという。
きっと何かが起こる。
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2015年12月21日(月)その2422◆未来のために
西麻布のスタジオで採らせてもらった録音の、
その話し声が小さくて、まるで聞き取れない。
メモも取ってないし、記事の締切は翌日だ。
だがまあ、テーマがでかいから、何とかなるだろう。
2009年、国家の文化功労者に選出されたバイラオールにして、
社団法人日本フラメンコ協会理事長。
世俗からはブッ飛びつつも、あるいは神のごとき小島章司との出会いから32年。
永い歳月、深く記憶に残る彼の言の葉を厳選し、
読者と私の未来の実用のために、それらを編集推敲した。
「いい記事だったね、小山。でも僕こないだ、あんなこと云ったっけ?」と師は云い、
矜持とともに私は応える。
「ええ、そのまんま映しました」
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2015年12月20日(日)その2421◆予約予定
小松川、平井、本郷、入谷、桜台、阿佐ヶ谷、代々木上原、中野。
国内でこれまで住んだところは八つばかり。
海外ではパリ、バルセロナ、シベリアに各三年ずつ。(うそ)
暮らしの場所をどっしり固定させることには向いてないらしい。
どこもかしこも、住めば都だったしな。
かと云って、このさき火星や土星に移住する予定もない。
折あらば都電沿線(生家がそうだった)にはもう一度住んでみたいが、
今の中野の棲み家をかなり気に入っているので、
私の中では裏の遊歩道に都電を走らせるヴィジョンが有力視されている。
桃園緑道を専用車線とするので、都電の起点はJR東中野。
大久保通りに付かず離れず「中野五差路」駅や「小山家縁側」
「日本フラメンコ協会前」「高円寺エスペランサ裏」などの停車場を経由しながら、
約30分でJR阿佐ヶ谷に到着する。
おそらく運転手は私。
2030年、前売券(往復300円/小山家縁側にて渋茶&ドラ焼き付)発売開始予定!
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2015年12月19日(土)その2420◆超人
青い空、白い雲。
どうやら地方の合宿所らしい。
ざっと百人あまりが幾つかのグループに分散し、
目まぐるしく駒を動かしながら、詰将棋の品評会をやっている。
達人グループに至っては盤駒さえ使わず、すべて符牒のみでやり取りする。
詰将棋を創らない私には、高度にマニアック過ぎてまるでついてゆけない。
ふと脇を見ると、ミスターフラメンコ、あの濱田滋郎先生(社団法人日本フラメンコ協会会長)が
大きなグループのド真ん中で、穏やかに分かり易く核心を解説している。
えーーーーーっ、な、なんで先生が詰将棋っ!?
やがて会がお開きとなり、じゃオレ、車で柿生のご自宅まで送りますからと申し出ると、
濱田先生は、じゃあ運転は私がしましょうと仰る。
えーーーーーっ、先生運転できたっけっ!?
なぜか左ハンドルの運転席にどっしり腰を据えた先生は、
ちゅうちょなくアクセルを踏み込む。
聞いたこともない異常な轟音とともに、
車窓にはビュンビュンと異様な光景が展開し始める。
は、速っ!!! メーターを覗けば時速200キロを軽く超えてる(汗)
せ、先生、も、もうちょいだけゆっくり行きませんかと引きつる私に、
前方を見つめるスーパーF1ドライバー濱田滋郎は、にっこりこう笑う。
「そうですね、わたし無免許ですし」・・・汗びっしょりで目が覚めた。
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2015年12月18日(金)その2419◆本能の男
今日はジェーと出社。
ふだんは代々木のスタジオに勤務するんだが、
忘年会ラッシュで帰りの電車が辛い。
なので歩いて五分のパセオ勤務と相成る。
会社では編集部や協会のお姉さんお兄さんにまんべんなく可愛がられ、
一方では番犬本能を発揮し、ご来客の方々にまんべんなく吠えまくるのが難点。
少し脚に来てるが、内科的にはオッケーの模様。
まあ、生きてるうちにせいぜい好きなことやったらええわ。
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2015年12月18日(金)その2418◆夢想
三十代後半、フラメンコ協会を創り終えたら、半月の旅程で
東海道五十三次(東京⇒京都)の旧道を徒歩で旅しようと決めていた。
体調不良やら離婚やら倒産危機やらで結局それどころではなくなったが、
それ関連の書籍を三十冊ばかり読み漁り、
あれやこれやと夢をふくらませたのは愉快な想い出。
「江戸と京都を遊歩道で結ぶ」
そんな夢想に思いを馳せた頃もある。
全長600キロ続く絶景遊歩道。
脇のほうには単線のチンチン電車も走らせたい。
沿線の経済効果の工夫には限りないポテンシャルがある。
やがてはそのノウハウを活かす全国展開化。
めざすは平和の象徴、観光大国ニッポンである。
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2015年12月17日(木)その2417◆逃亡癖
逃げる、逃げる、逃げる。
夢とは分かっちゃいないので、必死で逃げる。
なぜ追われるのか、その理由は分からない。
追っ手はサングラスにダークスーツ、もしくはひと目で分かる刺青チンピラ風なので、
きっと私はそんなに悪くない。
近ごろの夢の傾向として、現実とは裏腹に私はたいへんな俊足である。
大勢の追っ手を尻目に、新宿やら池袋らしきマンモス地下街を
エイトマンのように駆け抜けるスリリングな疾走感。
つまり私は、これ系の夢を好んでいる。
表参道のメトロ出口で待ち構えるチンピラ数名をジャンプ一発飛び越え、
雨の西麻布あたりで悠々タクシーに乗り込む今朝方の夢。
馴染みの場所はさすがにヤバいと感じるのか、
ドライバーには縁の薄い行き先を告げるのだが、
その多くは広重『江戸名所百景』のイメージから選んでいるようだ。
夢に共通するのは、自分の年齢や職業や住まいや所持金が意識されないこと。
メシや寝ぐらをどうしているのかも分からぬが、
空腹も寝不足も感じないので、そこそこよろしくやっているのだろう。
今朝のエンディングの光景なども、
明らかに広重『目黒/爺々が茶屋』がその出典とわかる。
ほのかに焼いた秋刀魚が匂ってくるところに、夢見の余裕と上達を感じる。
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2015年12月16日(水)その2416◆若い力
若い力が弾けるシーンというのは、
観ていて実に気持ちがいい。
だが、うらやましいとは思わない。
弾ける力には、それ相応の努力の継続が必要だから、
そこに想いを馳せれば安易に嫉妬は出来ないから。
ましてや、若い力はそのほとんどが不安との闘いだ。
いいぞっ!と感じたら、素直にいいぞっ!とハレオってやろう。
ちなみに、当欄での「若い」とは60歳未満を指す。
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2015年12月16日(水)その2415◆ぶっちゃけ
昨晩の打ち上げ。
云い辛いことを、遠慮なく云い合うのがプロジェクト初動の心得。
まあ、50%くらいは行けたかも。