フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2014年10月②

2014年10月01日 | しゃちょ日記

06雄二.jpg

─────────────────────────────────────
2014年10月31日(金)その1886◆自己表現ではないです

 

「フラメンコを全体から俯瞰するエミリオのギターには全幅の信頼を置いています。
 そこを軸にすべての出演者の持ち味を最大に活かす構成で進めます。
 建前は私のリサイタルですけど、主役を引き立たせるのではなく、
 四者四様にぶつかり合ったり融け合ったりするフラメンコの本来をめざします」

 

10710812_714700348607327_3978585230746441910_n.jpg

 

来週月曜晩の、土井まさりの初リサイタルが楽しみでならない。
2003年協会新人公演の奨励賞バイラオーラ。淡々としながらも力強い純粋系。
数年前に新宿エルフラで観て、ああ、いい踊り手になったなと、
ずいぶん心強い想いをもらった。

 

「私にとって、フラメンコは自己表現ではないです」

 

インタビューの折、土井さんの口からサラリ飛び出したこの言葉に、
夏目漱石『夢十夜』のあの話を想い出した。
「仁王像を彫る運慶は、最初から木の中に埋まっている仁王を掘り出しているだけ」
というあの衝撃的なエピソード。
新宿シアターモリエール18時半開演、待望の初リサイタル。
不器用そうな土井まさりがガッツリ掘り出すアルテの全貌を、しかと見極めたい。

 

─────────────────────────────────────
2014年10月31日(金)その1885◆水掛け論

 

幸福には不幸の芽が宿り、不幸には幸福の芽が宿る。
どこまで行こうと人は、幸せと同量の不幸を抱えながら生きてゆく。

 

足るを知るか、それともその先を観たいか。
安定には退屈が、自由には危険が伴なう。
どこまでも続く〝定住と流浪〟の水掛け論。

 

しかれども、水掛け論のその色彩と構図くらいは、
自ら決定できるのではなかろうか。

 

1514580_714514038625958_5928869162562985651_n.jpg

 

─────────────────────────────────────
2014年10月30日(木)その1884◆ソーテー内

 

吉祥寺で森田志保さん打ち合わせ。

 

60分の予定が三軒ハシゴで、24時半に戻った。
データ的にはだいたいこーなる。

 

新企画のみならず、もろもろ大収穫。
データ的にはだいたいこーなる。

 

22~24時予定の執筆はつぶれた。
データ的にはだいたいこーなる。

 

10417713_714428201967875_8269614903675575921_n.jpg

 

─────────────────────────────────────
2014年10月29日(水)その1883◆律儀な人

 

明日は森田志保さんと新企画の打ち合わせ。
          
吉祥寺の丸井前で夕刻落ち合う約束。
あの3・11大震災当日も同様の設定だったことを想い出す。
あの激震の瞬間、パセオ近くの路上をのんきに歩いていた私は、
今にも倒れそうな電柱群を見ながら、ああ、こりゃ死ぬなと思った。

 

電話もメールもつながらず、高田馬場にレンタル自転車屋さんはなかった。
連絡手段も交通手段もない私は早々にミーティングを断念したが、
あの律儀な志保さんは、
それでも丸井の前で待っていてくれたことを翌日知った・・・い、いかんっ!
あわててマエストラにメールを打つ。

 

「明日の打ち合わせ、非常事態発生の場合は順延」

 

─────────────────────────────────────
2014年10月28日(火)その1882◆深みにハマる

 

何故だろう?

 

彼はギターの特性に頼らない。
余裕ある技巧を一瞬たりともひけらかさない。
つまり、ギター旧世代には素っ気なく響く。
なのに聴けば聴くほど迫ってくる。

 

10406983_713147912095904_1593441480819159075_n.jpg

 

骨太な透明感は未来を見据えている。
ストイックな繊細さは伝統を敬愛している。
逞しい決意は現在を生きている。

 

CD二枚目(松尾俊介とのデュオ)バッハ『イタリア協奏曲』の
知性ほとばしるエンタテインメントはこのアルバムの白眉であるが、
全体の選曲・編曲・構成のトータル・クオリティは、
近年衰退気味のCDアルバムそのものに大いなる喝と霊感を与えることだろう。
殊に、ファンタスティックなパーセル『新しいグラウンド』には
偉大なるアーティスト鈴木大介の真価と実像がくっきり視える。
そこまで聴き込んで冒頭の謎があっさり解けた。
           
現在と過去にがっぷり四つで向き合う勇敢な賢者だけに可能な、
未来に捧げる愛のプレゼント。
底知れぬ大介ワールドの深みにまんまとハマり、
このクソ忙しい時期、土日月で計六回聴いちまったわ。
デカしたなあ大ちゃん!

 

─────────────────────────────────────
2014年10月27日(月)その1881◆過激な癒し

 

10712877_712958098781552_458998232932957517_n.jpg

 

このヒゲ面からは想像しがたい太陽系ロマンティスト!
ラドゥ・ルプー弾くベートーヴェン『皇帝』。

 

年々歳々ベートーヴェンを聴くのがしんどくなるのは、
それが現代のハードロックなどより遥かに過激だからだろう。
だがこのルプーにかかると、ベートーヴェンは癒しと希望の泉の如し!

 

第一楽章アレグロ半ばあたりから、
仕事場に向かう足取りが軽快にスキップする様、いとをかし。

 

─────────────────────────────────────
2014年10月26日(日)その1880◆持ち味

 

自分に限って云うなら、〝いいとこ取り〟は難しい。
                     
将棋からは、良い手と悪い手の識別方法を学んだが、
悪い手の指し方を重点的に学んでしまった。
バッハからは、美しいヴィジョンの描き方を学んだが、
その実現にはあと300年ほど必要だ。
フラメンコからは、果敢にチャレンジすることを学んだが、
3勝997敗という人生戦歴が残った。

 

厳粛な事実だが・・まあ、それが〝人それぞれの味〟ってことで。

 

─────────────────────────────────────
2014年10月26日(日)その1879◆反ブラックボックス

 

何にしても便利な世の中になった。

 

ここわずか30~40年の激変だが、私はほとんど手作業世代なため、
便利さは活用するものの、その仕組みがまったくわからない。
仕事も私事も、そうしたブラックボックスに頼らざるを得ない状況を
あまり好きではないみたいで、近ごろは何やら
無意識にバランスを取ろうとする自分を発見する。
そーゆー意味でホッとする、近ごろのマイベスト10。

 

〇ぬるめの朝湯につかってグールド的にうなるバッハ
〇深呼吸しいしいのまったりストレッチ
〇毎朝四つに切って食うトマト
〇銀シャリに納豆・目玉焼き・お新香・味噌汁
〇ひなびた風景をのんびり散策
〇レトロな喫茶店で開くパセオフラメンコ
〇気さくで艶っぽい昔気質な女性(45歳未満お断り)
〇野郎どもで盛り上がる霜ネタや青臭え話
〇手並べで味わう江戸~昭和の将棋熱闘譜
〇都電(私の中の最先端文明)から眺める下町

 

(↑)おおっ、じじいの条件満点クリア!

 

10410593_712142945529734_4779364252654077089_n.jpg

 

─────────────────────────────────────
2014年10月25日(土)その1878◆待望のCD

 

「今までに聴いたことがないようなギタリスト」

 

ギターを愛した大作曲家、かの武満徹は彼をこう評した。     
ギターの未来を創るギタリスト鈴木大介の最新盤を入手。
映画音楽に使われたバロック音楽(主にバッハ)の二枚組CD。

 

アレッサンドリア国際ギターコンクールに優勝した大介のことは、
彼の中学時代から知ってる。
当時から抜群のセンスを感じさせる少年だったが、
まさかこんな大家に成長しようとは!

 

現在アイポッドに入力中。
今日からしばらく本格的に聴く!

 

─────────────────────────────────────
2014年10月24日(金)その1877◆浮いて沈んで、沈んで浮いて

 

〝安くて旨い〟ちゃんこ屋「紫鶴(しづ)」。

 

のれんをくぐれば、普通なら「いらっしゃい!」と来るもんだが、
弟分のおれたちに対し彼は「おま〇こー!」と毎度叫んだ(汗)。
中学同級のヨシタカやイケに連れられ初めて行ったのが24の頃だから、
通い始めてもう35年になる。
マスターは俺らよりもひとつ年長。
閉店まで粘るおれたちを引き連れ、いろんな悪所で大盤振る舞いしてくれた。

 

紫鶴は当初、総武線・平井駅南口の小さいながらも大繁盛する店だった。
手狭になったころ、地元信金で出世コースを突っ走る高校同級のヨシアキが
でかい融資を引き受けてくれたおかげで、駅の北口に四倍くらい大きい店を構え、
これがまた大繁盛。以来、高校同級の定例呑み会もこの店に定着した。

 

昨晩もまたこの紫鶴で、高校同級で初代ミスキャンパス
〝愛しのエリー〟(推定18歳)を迎えドンチャカ騒いだわけだが、
例の「おま〇こー!」でおれを迎えてくれるはずのマスターの姿が見当たらない。
数年前に喰らった交通事故以来具合を悪くしてたことは知ってたが、
やはり35年の付き合いになる春ちゃん(女将)に詳しく尋ねることは何となく憚られた。

 

浮き沈みは誰にもある。
沈んでばかりのこの俺だって、たまには浮くことだってある。
マスターたちと悪所を駆け巡った青春が走馬灯のようにくるくる踊る。
沈みを存分に知ってこそ、浮くことの歓びがある。
愛しのエリーの送迎係の大役を無事果たしたあと、
地元行きつけでもう三杯だけ呑んだ。

─────────────────────────────────────
2014年10月23日(木)その1876◆愛しのエリー

エリー.jpg

高校時代の全校マドンナ〝愛しのエリー〟。
  
英里子の笑顔(二年前!)は、高校最後の運動会に
学ラン・サラシで応援団長を務めた頃の凛々しい面影と少しも変わらない。
すでに早大推薦入学を決めていた彼女は、
死力を尽くして花の応援団長をまっとうした。

今晩の落ちこぼれ高三同期(1974年卒)の四季の呑み会に、
久々にゲスト登場する愛しのエリー。
今宵の彼女のエスコートは、1973年に果敢に彼女にアタックし、
カスることなくフラれたこの私が担当する。

あの当時パコ・デ・ルシアのフラメンコギターに励まされ、
0.03%の可能性に賭けたその切ないまでの勇気は、
それから11年後のパセオ創刊へとつながり、さらに、
エリーとの交流もおよそ40年後に実を結んだ(=栄光の送迎係) のであった。

ちなみに、来年60となるオレたちは、
この永遠の18歳を〝いいとしのエリー〟と呼ぶ。

─────────────────────────────────────
2014年10月22日(水)その1875◆ああ、高校三年生

明日は高三同期の四季の呑み会。
例によって母校近くのちゃんこ屋でドンチャカ騒ぐ。

高校三年生.jpg

しっかし四十年は早い。
59歳の記憶を持ったまま、あの青春にタイムスリップしたとしても
何の違和感も感じないだろう。

戻ったおれは、憶えてる競馬でとりあえず三千万ほど当てる。
そうなればきっと、おれは怠け者となって別系統(金持ち系)の失敗に明け暮れる。
危機感が無いから、たぶんパセオもやれてない。
享楽と堕落の日々。
ギリギリ勝負の緊張・興奮・汗と涙・充実・安らぎを味わうことのない無間地獄。

そこでハッと時間旅行の夢から覚める。
ふと財布を見れば三千円しか入ってない。
し、しまった、向こうから三億ばかり持って来るんだった!

─────────────────────────────────────
2014年10月21日(火)その1874◆示現流の教え

共通項は落語とドストと将棋。

カウンターの隅で週刊の将棋新聞を広げる私に絡んできた、
ふた回りも年長のその先輩とは東大赤門前の呑み屋で知り合った。
彼は出版のプロで、私はド素人。
彼は将棋アマ三段で、同じく私は六段。

なにやら気が合うのは道楽の合致であり、
本郷・御茶ノ水界隈で落ち合って時おり呑んだ。
彼は出版のマル秘技術を私に教え、
その代わり私は彼を四段に昇段させる将棋を教えた。
盤駒を使わぬ〝めくら将棋〟なので、お店からのクレームもない。
ギブ&テイクを重んじる私だが、勘定はいつも彼に任せた。
賭博師くずれの私は貧乏だったが、それ以上に
先輩のプライドを大切にするタイプなのである。

あの歳で見事四段に昇り、やがて定年を迎えた彼は、故郷の九州に還った。
彼の出版も将棋もあの〝示現流〟であり、
先手必勝を志すその激烈な攻め将棋を泥沼に誘い込み、
肉を斬らして骨を断つカウンター戦術によって、辛うじて私は面目を保った。

別れの呑み会でもらった最後のアドバイスは、
悪しきバランスの私の性質を絶妙に見抜いていて、
いま想い出しても苦笑する。
「あのなお前、あんまりピンチに頼り過ぎるなよ」

あしたのジョー.jpg

 

─────────────────────────────────────
2014年10月21日(火)その1873◆マイ・フェヴァリト・シングス

〝憧れ〟というより〝共感〟。
決して届きはしないが、
いつでも親しみ馴染んでいたい存在ベスト10。

〇ヨハン・セバスチャン・バッハ
〇パコ・デ・ルシア
〇藤沢周平
〇グレン・グールド
〇向島百花園
〇関川夏央
〇土屋賢二
〇夏目漱石
〇乙川優三郎
〇フランス・ブリュッヘン

─────────────────────────────────────
2014年10月20日(月)その1872◆逃げない理由

きのうの日記の続き。

昭和20年夏の広島、原爆炸裂のその瞬間、
対局場の橋本本因坊は吹き飛ばされ庭にうずくまり、
岩本七段は碁盤の上にうつ伏せた。

だが立会人・瀬越八段は驚くべきことに端然と床の間を背に正座したままだったと云う。
当時地元広島に疎開していた瀬越八段は「本因坊の灯を消してはならない」と
本因坊戦を広島で自ら主催した。
のちに瀬越本人は、あの瞬間のことをこう語った。
「腰が抜けて動けなかった」

創刊当時のパセオにも少なくからぬ有志のボランティアが集ったが、
あまりに苦しい実情に一人またひとりと去って行った。
本音を云うなら、言い出しっぺの私だって逃げ出したかった。
だが血気盛んなあの頃の私には、どうしても逃げ出せない大きな理由があった。
「腰が抜けて動けなかった」

・・・フラメンコ日本史に傷がつくので、ここだけの話にしといて欲しい。

1902990_709618772448818_5876586428430091502_n.jpg

─────────────────────────────────────
2014年10月19日(火)その1871◆石を拾う

生きることさえ困難な時代。
  
その春の東京大空襲で日本棋院は焼失し、
囲碁界の唯一最大のタイトル戦「本因坊戦」は広島で開催された。
主催社である新聞社の援助も途絶え、
勝ったところで米が買えるわけでもなかったし、
その先も囲碁を打って生計の立つ見通しもなかった。

本因坊・橋本宇太郎(38歳)VS挑戦者・岩本薫七段(43歳)の
五番勝負のその第二局。持ち時間は各13時間、一局打つのに三日を要した。

昭和20年、対局三日目の8月6日の朝、アメリカ軍が投下した原爆が炸裂した。
ピカッという光線とドンという大音響、
爆風で碁石は吹っ飛び、窓ガラスは粉々に砕け散った。
日本の囲碁界の頂点にある二人は、
飛び散った白黒の碁石を拾い集めて局面を再現し、
再び淡々と実力日本一を賭けた大勝負に没頭した。

この五番勝負はドローに終わり、
改めて翌夏に組まれた三番勝負(高野山の決戦)で、
岩本薫七段が二連勝して第三期本因坊の座についた。
その後、本因坊・岩本薫は囲碁の国際普及に挺身し、
アメリカ・シアトルの日本棋院囲碁センターの壁には、
今も原爆対局の棋譜がタイル張りで飾られている。

10731194_709557315788297_2938920135086881757_n.jpg

小さい頃にこの話を知っていたら、
将棋ではなく囲碁の世界に飛び込んでいたかもしれない。
その場合は、将棋ではなく囲碁のプロテストにやはり失格して、
色とりどりの失敗の末、やはりパセオフラメンコを創刊していたと考えられる。

─────────────────────────────────────
2014年10月18日(土)その1870◆無知の知

「あんたはフラメンコ界のことを何も知らないから出来たのよ」
 
パセオ創刊からしばらくして、団塊世代のあるバイラオーラにそう指摘された。
その意味は何となく分かった。
また、出版という事業に対し、もしも私がある一定の知識や美学を
備えていたのであったなら、おそらく私はパセオに着手してない。

無知であることには危険が一杯だが、
逆に無知でなければ知り得ない領域というのも確かに在る。
「時の運」と「人の運」がうまく噛み合えば、そういうことも発生し得る。

では、そうした「運」を人為的に発生させることは可能か?
最大10%程度なら誰にでも可能だと、今の私には思える。

現代では幸運の壺やらネックレスやらを買うやり方もあるらしいが、私の場合、
そうした方法論を若き日、麻雀放浪記の阿佐田哲也(色川武大)さん、
そして将棋名人の米長邦雄さんから学んだ。

「安全そうに見える道が最も危ない」

それなりに修羅場だった青春の真っ只中で、
血肉化できたのはほんの3%程度に過ぎなかったが、
それでもそれが無ければ助からなかったと、
ある種の感慨とともに、今でも時おりお二人の著作を読み返す。

麻雀放浪記 (1).jpg 米長邦雄/不運のすすめ.jpg

─────────────────────────────────────
2014年10月17日(金)その1869◆空振りの理由

暗きがゆえに前向きで、そこそこエネルギーのある奴。
    
未来のアフィシオナード候補生。
そんなのが1クラスに一人くらいは居たわけで、私もそんな輩の一人だった。
世に中のお役に立てる仕事に就きたかったが、
そんな展開は能力資質的に無理だったし、
ぶっちゃけ就職試験も全滅だった。
だからせめて、自分のようなタイプの人に対してだけでも
お役に立ちたいという願いが、フラメンコ専門誌の立ち上げにつながった。

パセオ創刊号.jpg

ターゲットは1クラスに一人いる。
1クラス40人として、フラメンコを必要とする人は全国に
ざっと250万人(1億人÷40人)いると概算したが、いくら何でもそりゃ甘すぎた。
加えて、踊ることが好きな人は多くとも、
悔いなく生きる為の糧としてのフラメンコを愛する人は案外少なかったから、
昔も今もパセオは空振りを続ける。

まあしかし毎月250万部も売れてしまえば、
確実に悪心(編集部内にハーレムやら都電の駅やらを建築する)を
起こすであろう私だから、逆に今くらいが丁度いいのかも試練塩。

─────────────────────────────────────
2014年10月17日(金)その1868◆ウサギとカメ

「ウサギとカメ」のおとぎ話には、
幼な心にも大きな感銘を受けたものだ。

ウサギとカメ.jpg

ウサギのようなスピード、カメのような根気。
        
普通の人々はこのどちらかの特徴を備えているものだが、
上原のキアヌリーブスこと私の場合は、
以下の両方の特徴を兼ね備えている。
 
カメのようなスピード、ウサギのような根気。

─────────────────────────────────────
2014年10月16日(木)その1867◆渡仏の理由

「セリーヌですね」と、彼は云った。

フランス帰りのご近所呑み友。
彼の永いフランス在住の最大の理由となった作家である。

あ、その映画ならオレも知ってるぜ!「風と共にセリーヌ」
(↑)だから作家だって云ってるじゃん

10712990_707894079287954_1614453259499088460_n.jpg

─────────────────────────────────────
2014年10月16日(木)その1866◆逆風の効用

第一番のプレリュードは順風そのものだが、
第三番のプレリュードには向かい風も吹いている。
その分だけむしろ力強く響き、
さらに、ほろ苦い深煎りの味わい。
           
ふと想う。
大沼由紀の、あの確かな存在感の故郷を。

 10632720_707882035955825_2655524337728401389_n.jpg

─────────────────────────────────────
2014年10月16日(木)その1865◆減量レポート

スタートから約1ヶ月で、およそ4キロの減量となった。

朝風呂・ストレッチのあとガッツリ朝めしを食い、酒は一日おきに呑む。
ただそれだけで4キロ減るとは余程にムダな成分が多かったことが分かる。

ムダが多いという点で、それは私の文章によく似ている。
私の文章の贅肉を徹底的に削ってゆくと、
最終的には「さて」とか「ところで」などの接続詞と固有名詞しか残らない傾向は、
私の中ではすでに一般常識となっている。

そうした方法論を潔く転用するなら、
減量についてもあと10キロくらいは楽勝のようにも想えてくる。

10351179_707748942635801_7343671993438987992_n.jpg

─────────────────────────────────────
2014年10月15日(水)その1864◆戦友

本日夕刻より、戦友・赤木知雅を囲む呑み会。

劇場フラメンコの照明に革命をもたらした井上正美さん。
まるで生き仏のような、ご存じバイラオーラ鈴木眞澄さん。
フラメンコ界を縁の下から支える協会事務局長・田代淳さん。
そして、金も力も人望もなくただ顔だけで勝負する私。
仲良しメンバー四ったりで、これから神奈川県東戸塚の赤木邸を訪ねる。

赤木さんは、日本フラメンコ協会黎明期の大功労者。
かつてのNHKの名アナウサー高橋圭三さんの国会議員時代、
赤木さんは永らくその第一秘書を務めた。
優れたプロデューサー・舞台監督としての手腕・ノウハウ・人脈をフルに注ぎ込み、
それまでまとまりようのなかった日本のフラメンコ界をひとつにまとめあげた苦労人である。

その赤木さん、いまや天下の売れっ子作家・佐伯泰英さん、淳ちゃん、
そして私のガチンコ四人組(30代~50代)は、
持ち出しばかりの協会プロジェクトに日夜奔走し、
それぞれ本業はズタボロとなったが、二十余年前の黎明期の、
あの汗と涙と充実の日々がフラメンコの裏方神話のようにも想えたりもする。

─────────────────────────────────────
2014年10月15日(水)その1863◆捨てたもんじゃない

雨の日は雨を愛さう
風の日は風を好まう
晴れた日は散歩をしよう
貧しくば心に富まう

ヴェルレーヌへのすみれのコメントにピピッと来て、
詩人堀口大學をググって見つけた。
遠いむかし微かに読んだ記憶があるが、若い私はきっと素通りしたことだろう。
こういうお宝がザクザク埋まる世の中は捨てたもんぢゃない。

10689591_707332339344128_1705867231876730682_n.jpg

─────────────────────────────────────
2014年10月14日(火)その1862◆アル中の乱暴者

「アル中・乱暴」

われら世代はこう憶えた。
アルチュール・ランボー(1854~1891年)はフランスの天才詩人。

父は軍人、16歳から家出を繰り返す。
17歳パリで運命の恋人・詩人ヴェルレーヌ(さっき書いた、
秋の日のヴィオロンの溜息の作者)に出逢い、彼とともにヨーロッパ放浪。
別れ話のもつれから29歳ヴェルレーヌは19歳ランボーをピストルで撃ち、
ランボーは入院、ヴェルレーヌはブタ箱入り。
その後21歳で書いた詩がランボー最後の作品となる。

以降、各地を転々としながら兵士や翻訳家などを経て、
32歳で武器商人として独立するが37歳で他界という、何ともランボーな人生。
その後スタローン主演で映画化されたが(うそ)、
ディカプリオ主演の映画『太陽と月に背いて(1995年イギリス映画)』はホント。
ちなみに下手っぽい絵はピカソ画伯。
以下の四行詩はなかなかに難解だが、官能的なランボーの雰囲気はつかみ易いかも。

         
星はお前の耳の真ん中でバラ色に泣いている
無限はお前の首から腰にかけて真っ白に巡り
海は朱色のお前の乳房を褐色の真珠と化し
そして男は黒い血を流す 最高のお前の脇腹の上を・・・

─────────────────────────────────────
2014年10月14日(火)その1861◆ヴィオロンのため息

秋風はヴィオロンのため息
この身に沁みる哀しみ
鐘の音に胸を詰まらせ
去りし日の想い出に涙ぐむ
風に翻弄されあちこち彷徨う枯葉は私
       
1959537_707053786038650_19643929936233466_n.jpg

ポ-ル・ヴェルレーヌ『秋の歌』。
上田敏、堀口大學、金子光晴、窪田般彌。
どの邦訳もステキだが、この愚脳にしっくりくるよう敢えて自ら短く誤訳。

「秋の日のヴィオロンのためいき」(上田敏訳)の、
ヴィオロン(ヴァイオリン)は実際には鳴ってない。
野中先生の講義、なぜかこの部分だけしっかり憶えてる。

秋に例える激しい自己愛はなんとも滑稽にも見えるが、
こうした感情を知らなければ、歓びもまた薄いと想われる。
傷つくことを避けるか、傷つきながら改善に励むか。
振り子の振り幅の自己設定こそが、人それぞれの生き方なのだろう。
私は〝進歩〟が好きだが、進歩は必ずしも〝全体の幸福〟ではない。

そのことを自覚せよと前提しながら、フランス帰りの永井荷風はこう云う。
「どんな生活にだって、深い意味がある」

─────────────────────────────────────
2014年10月14日(火)その1860◆ただなんとなく

なんとなく好ましいもの
〇ボサノヴァのかかる珈琲店
〇小川に寄り添う遊歩道
〇古い白シャツを着こなす女性
〇散歩する犬とおじいさん
〇シュテファン・ツヴァイク

10403359_706784919398870_3592466172631901525_n.jpg

なんとなく敬遠したいもの
〇ファミレス
〇シルバーシートの若者
〇うるさくてつまんないもの


しゃちょ日記バックナンバー/2014年10月①

2014年10月01日 | しゃちょ日記

06雄二.jpg

コメントはこちらkoyama@paseo-flamenco.com

─────────────────────────────────────
2014年10月14日(火)その1859◆ストレスに強い人

1.まあいいかと受け流す
2.マイペースを保てる
3.人生は思い通りにならないと思う
4.失敗したらタイミングが悪かったと考える
5.誰のせいにもしない
6.相手の事情も想像できる
7.何事も経験と思う
8.周囲に頼れる
9.現実逃避が上手

以上は「ストレスに強い人の考え方の特徴」だそうだ。
一見したたかそーでいて、何かいや~な軽薄感がある。
・・・ほとんどおれじゃねーか。
おまけにおれはストレスにチョー弱い。

10734078_706420846101944_1507094247503879340_n.jpg

─────────────────────────────────────
2014年10月13日(月)その1858◆不可解だが頼り甲斐のある核心

(きのうの続き)

さて昨晩は、待望のフラメンコを踊る大沼由紀。

彼女の踊るソレアは、日常を遥か超越していた。
いや、あるいは日常の凝縮。
いま眼前で発生しているこの奇跡のフラメンコにただひたすら没入せよと
何度も何度も自分に云い聞かせるのだが、職業の性がむくりと顔をもたげ、
彼女の感情と動作の場面転換のたびに、
一体どうしてこんなことが可能なのかと
「!??!??!?!?!?」が脳裏に踊る。

002-009_conflamenco2013-01-1.jpg

表面的物理的な運動量で見るなら、
まだ記憶に生々しい夏の新人公演の平均値の30%程度だろう。
だが、何かが根源的に違う。
一切の綺麗ごとをカットした真情、苦悩の集積とそこから切り採られる歓び、
絶望の暗闇に閃く一筋の希望、その場に自然発生する巨大な共感・・・
どう描こうが言葉は虚しく空を切る。
やがてその敬虔な啓示は心の壺をいっぱいにして、
不可解だが頼り甲斐のある核心を残す。

とまあ、今朝の覚え書きはここでタイムアップ。

─────────────────────────────────────
2014年10月12日(日)その1857◆これから大沼由紀

〝eco〟
ヘレスのこだま、コンパスに響く
10月12日(日)・13日(月)/東京(恵比寿)サラ・サンダルーサ
【ギター】ドミンゴ・ルビッチ【カンテ】ホセ・カルピオ"エル・ミヒータ"
【パルマ】ホセ・ルビッチ【バイレ】カルメン・エレーラ/大沼由紀

モンゴルのウランバートル出身の白鵬の相撲には、
あの懐かしい日本の黄金時代の大相撲を想い起こさせる格調とクオリティがあって、
観ていてドキドキするような興奮と歓びがある。
フラメンコ好きなスペイン人の多くは、日本の会津出身の大沼由紀のバイレフラメンコに
同様な感想を持つんじゃないかって、勝手に私は想像している。

「フラメンコでないものを演る大沼由紀」を近ごろ二度ほど観たが、
正直云うと彼女の新世界にまだ私はハマれないでいる。
もっと正直云えば、そうであっても大沼由紀が何かやるのであれば、
怖いもの見たさも含め、それが何であろうと
観に行かぬ訳にはゆかないという心理的必然もある。
ステージ上で彼女の表出する何かというのは、
自分のセンスや生活を発展させるための稀有な現役アルテに他ならないからだ。

パセオフラメンコ/大沼由紀.jpg

深遠なる大沼由紀に想いを馳せるとき、
その強靭なるインパクトから連想するバイラオーラは碇山奈奈である。
かつて碇山奈奈は日本人が大好きな『忠臣蔵』をフラメンコ活劇でやった。
これには私も即ハマって再演まで観に行った。
碇山の新世界にはハマり、大沼の新世界にはまだハマってない理由は単純で、
奈奈さんは明るく、由紀さんは暗黒だったから。
つまり暗黒慣れしてない私の資質が浮き彫りになったわけで、
このバランスの悪さは当面の課題だろう。

さて当夜は待望のフラメンコを踊る大沼由紀。

(・・・と、ポコッと30分ばかり時間が空いたので、パセオでここまでメモ書きして、
 これからライヴ会場へと向かう。続きは明朝の予定だが・・・)

─────────────────────────────────────
2014年10月12日(日)その1856◆ECO

para%20e-mail%20tokyo.jpg

「フラメンコ・ヒターノにはeco(エコー)があるんだ」

フライヤーを見てタイトルの意味を知った。
本日日曜は、ヘレサーノたちと大沼由紀さんのライヴ〝eco〟。
恵比寿サラ・アンダルーサ、20時半開演。

今日の仕事は13時からなので、ちょうどいい感じ。
久々の由紀さんのフラメンコに血が騒ぐ。
パセオ新年号の忘備録執筆を忘れちゃいかんぞオレ。

─────────────────────────────────────
2014年10月11日(土)その1855◆未来への扉

おとつい本間サブロー師匠の追悼ライヴ終演後、
エスペランサのカウンターの端っこで、
大好きなカンタオーラ川島桂子と久々にぐだぐだ呑む。

昔から彼女との最大の共通項は「グレン・グールド」。
カナダ人でありながら、その奇跡の演奏で
本家ドイツのバッハを世界中に再認識させたピアニストだ。

グレン・グールド.jpg

話題は彼女の未来展開に絞られる。
こんがらがる度にグールドのことを喋る。
酔ってはいるが、互いに彼のバッハが聴こえている。
それはおそらくゴルトベルク変奏曲のアリアだ。
そこにヒントがあることは、明白のことのように想われた。

─────────────────────────────────────
2014年10月11日(土)その1854◆ファンタジー

自由や平等がファンタジーであることを知ったのは、
働き始めてしばらくしてからのことだ。

まじめに仕事をするだけでは不充分で、他者に対する気配り想いやり、
さらに難事の解決に対する積極性などの実績を積み上げて、
よくやくその職場における「自由や平等」を獲得できることを知った。
16から渡り歩いたどんな職場でもそれはおんなじだった。

そんなことは、テレビや漫画や小説なんかで知識としては知っていたわけで、
にも関わらず自分の人生の現実にそういう知識を溶け込ませることが、
いかに難しいことであるかが身に沁みた。

ファンタジーはタダでは手に入らないことを思い知る機会は早いほどいいと思うが、
いまの時代って、そーゆーのも根底から違うのかな?
まあこの件については、人の心配より、自分を心配しよう。
ファンタジーを形成するには、手間と金と時間が必要だ。
想いを行為に落とし込まぬ限り、美しいファンタジーは出現しない。

ファンタジア/ストコフスキー.jpg

─────────────────────────────────────
2014年10月10日(金)その1853◆悪だくみ

ジェー誕生日.jpg

こーゆー顔のときは、
こやつ、
きっと何か企んでおる。

─────────────────────────────────────
2014年10月10日(金)その1852◆道しるべ

あれは三十年ほど前の記憶に残るワンシーン。

バッハをブレリアのコンパスで掻き鳴らす衝撃のフラメンコギター!
編集部に遊びに来た鈴木英夫さん編曲演奏によるそのシャコンヌに私の血は沸騰した。
現代ギター誌もしくはパセオにその楽譜を掲載することを、即座に私は強く勧めた。

物理的な問題点は中間部の長調部分の処理だったが、
そこはベース音キープのリブレで弾いてコントラストを強調したらという
私の幼稚な提案に対し、英夫さんはただ苦笑で応えるばかり。
スリリングに安定しながら突っ走る鈴木英夫のドライブ感は当時天下無敵だった。

ジャズやロックのバッハも好む私に、フラメンコ版シャコンヌは至宝のように聴こえたが、
「バッハを冒瀆することになるから」と英夫さんは出版を固辞した。
「いや、やることこそバッハに対する親愛」というスタンスの私に
英夫さんの反応はもどかしく想えたが、アーティストのそうした矜持を
美しいと感じる気分は昔も今も変わらない。

シャコンヌ(セゴビア).jpg
      
人類最良の音楽遺産、バッハのシャコンヌ。

バッハのシャコンヌはヴァイオリン一本で弾く無伴奏曲だが、
実にさまざまな編曲演奏でも知られている。
チェロ、チェンバロ、ピアノ、リュート、ギター、ハープ、マリンバ、リコーダー、フルート、
弦楽合奏、オーケストラなどなど、今ではほとんどCDで聴くことも出来る。

近ごろは快い秋風に吹かれつつ、どこまでもロマンティックなパールマンと
孤高のハイフェッツを交互に聴いたりするが、
今日はどんな気分で仕事しようかって方向性が、そこで決まるところが面白い。

─────────────────────────────────────
2014年10月9日(木)その1851◆今夜ばかりは

「いま高田馬場なんだけどねー、ちょっと一杯付き合わないかい」

あの懐かしい電話の声をふいに想い出すのは、
今でもどこかでそれを心待ちにしているからだろう。
パセオが廃刊寸前に追い込まれた協会設立のころ、
あのステキな師匠は落ち目な私をちょくちょく誘って、たらふく呑ませた。

ちょうど一年前の2013年10月9日、
黎明期にスターバイラオールとして大活躍された
フラメンコ界の重鎮・本間三郎師(一般社団法人日本フラメンコ協会・副会長)は
安らかに永眠された。享年77歳。

本間三郎.jpg

穏やかに笑うサブロー師匠( 本名は〝新三郎〟って云うんだぜ)の、
その新潟なまり丸出しの温かなイントネーションの細部まで鮮明に憶えている。
自らの波乱の人生経験を軸に、
清濁併せ呑むスタンスから発せられる師の巨大な世界観は、
口先ばかりの綺麗ごととは無縁であるが、
懐深く、程よい温度と湿度の共感性に充ちていた。

「音楽も舞踊も〝静〟についてのテクニックはすでに確立してると思うんだ。
 でも肝心なのは、静の内容だからね。
 精神が充実していないと、毅然とした美しい静を生み出すことは難しい。
 自分なりの静を創りたい。心からそう望んだ時、
 それを感じる力が内側から湧いてくるんじゃないかな。
 アートにはマニュアルには頼れない部分がたくさんあるんだね」

淳ちゃん(田代)から師の訃報を知らされた瞬間、
思考と感情が同時にフリーズしたが、
なぜか師が本誌で語ってくれたこの一節が甦った。
ひたすら優しくて、しかしどんな時にも静かなる迫力に充ちていたサブロー先生。
かつて一世を風靡したバイラオールとしての肉体は消失したが、
師の気さくで気高い魂は、師をよく知る者すべての心の中に生きて
私たちを助け続ける。

今宵20時より高円寺エスペランサにてサブロー師匠の追悼ライヴ。
酒量を半分に減らしたこのひと月なんだが・・師匠、今夜ばかりはヘベレケだわ。

─────────────────────────────────────
2014年10月8日(水)その1850◆暴論撲滅

松田優作さんという人は、本当にもの凄い俳優だった。

松田優作主演の映画『それから』(1985年)は、
漱石の原作(1909年)に忠実だが、
あるいは原作をしのいでいるかもしれない。

漱石それから/松田優作.jpg

かのグレン・グールドも愛した漱石『草枕』(1906年)は、
ヴィジュアル化が難しくて映画化されていないが、
ユーサクさんなら何とかなったのではないかと想われて、
そこが悔しくてならない。

漱石/草枕.jpg

『草枕』は、実際的でわかり易いユニヴァーサルな芸術論。

世の〝審査員〟たちが、漏れなくこうしたセンスを獲得するなら、
必ずや〝審査のクオリティ〟はアップするだろう。
だが〝審査される側〟は遥かそれ以前に、
そうした核心に気づくべきだと私は思うし、
こうした独りよがりな〝高飛車〟ないしは〝上から目線〟な暴論も
撲滅されると我ながら想われる。

─────────────────────────────────────
2014年10月8日(水)その1849◆楽観の仕方

今日10月8日は16回目の結婚記念日。

連れ合いの誕生日でもある。
ご近所代々木公園に遊んだ初代守護犬メリも健在だったが、
あいつには毎日ガブリガブリと噛まれたものだ。

10635772_703242756419753_3309764705002108120_n.jpg

共にバツイチ、式はしてない。
16年前、転がり込んだ元代々木の彼女の家から、
『武蔵野』国木田独歩の住居跡をすり抜け、
公園坂上の渋谷区役所で籍を入れ、
銀座線で上野に出て安指輪を買い、
懐かしい隅田川の夜景を眺めながら
大江戸・浅草で危ねえ前途を乾杯した。

10250204_703457379731624_7683462866910999546_n.jpg

協会は盟友・田代淳に無事バトンタッチ出来たが、
創刊14年のパセオ本体はボロボロで、
43歳の私は心身ともに壊れていた。
まあしかし、人生も再婚も向こう三年やれるならこりゃボロ儲けだと楽観した。

以来毎年、この日ばかりは互いに万障繰り合わせ、
どこぞに繰り出し一杯呑る。
ムダに私は老いたが、連れ合いは当時とあまり変わらない。
浮世離れした踊りバカと、ふつーのバカの違いはこのへんに出る。

─────────────────────────────────────
2014年10月7日(火)その1848◆幼い抵抗

真実よりもユーモアを好むのは、
いろんな経験がもたらした後天的な性質だと分析できるが、
これは〝神々〟に対する幼い抵抗、あるいは
ひねくれた〝甘え〟なのかとも近頃は想う。
けれども残り人生、そのよーに在り続けることもそう悪かねえと思う確信犯。
                   
10302112_703190626424966_2562536162363076398_n.jpg
─────────────────────────────────────
2014年10月7日(火)その1847◆残ってほしい流行

進歩しているのは文明だけだ。
人間はほとんど進歩してない。
便利な分だけ退歩する悪循環。
ナンボでも失敗を繰り返す。
自分を観察すればそれがはっきり分かる。

それでも歴史と古典に親しむのは、単に楽しいから、
そして同じ失敗だけは回避できそうな気がするから。
そーゆー眼で流行を眺める。

残ってほしい流行も案外と多い。
グレン・グールドやアストル・ピアソラやパコ・デ・ルシア。
世界中に愛されるポピュラーアート。
国連や民主主義。
それと、流行を賛美する死語「なうい」など。

10006256_702927536451275_7765541646968370370_n.jpg

─────────────────────────────────────
2014年10月6日(月)その1846◆失敗する心

何のかんのとコネくり回したところで、つまり人生は二択だ。

一度の人生、他者に委ねるものではないから、
私のヴィジョンやセンスは、瞬時にそれを決断する。
そしてほとんどの場合、結果が出ると同時に、彼らは私に土下座する。
だが、彼らの本音はお見とーしだ。
            
「人生に失敗がないと、人生に失敗する」

10624586_702225489854813_7089245183074378091_n.jpg

──────────────────────────────────────
2014年10月6日(月)その1845◆カメルーン代表

10388570_702081026535926_7721022169779340467_n.jpg

連れ合いはライヴ本番なので、夕方からジェーと留守番。

ともに夕食をすませ、この雨の中ジェーと夜のお散歩。
小田急線と立体交差する環六・山手通りの下が、
広めの雨避け地帯になっているので、雨のジェー散歩はここに限る。

このカメルーン代表は、わざと水たまりを中をバシャバシャ歩く。
雨の日の試合を想定したトレーニングなのかもしれんが、わしゃたまらん。

──────────────────────────────────────
2014年10月5日(日)その1844◆初歩的なミス

「どう話したらいいのだろう。
25歳の若さで死んだ女のことを。
彼女は美しく、そのうえ聡明だった。
彼女が愛したものは、モーツァルトとバッハ、
そしてビートルズ・・・そして僕」

アリ・マッグロー.jpg

映画『ある愛の歌』を観たころ、僕は高校二年生だった。
貧しい移民の娘であり、バッハのチェンバロ演奏をよくする
ヒロインのジェニファは、以来理想の女性となった。

23歳で音楽の世界に出入りするようになって、幸いにも
バッハのチェンバロ演奏をよくする美しく聡明な女性と
幾人か知り合うことが出来た。

やはりと云うべきか、彼女たちはモーツァルトもビートルズも愛した。
唯一誤算と云うべきは、誰も僕のことは愛さなかったことだ。( ̄▽ ̄)
みんなも初歩的なミスに気をつけてねっ!

──────────────────────────────────────
2014年10月4日(土)その1843◆グールドと草枕

草枕.jpg

「これは二十世紀の小説の最高傑作のひとつだと、私は思います」

夏目漱石『草枕』について、グレン・グールドはこう語った。
何とも、おそるべき人である。

旅立ちの前年1981年のラジオ・カナダで、
彼は『草枕』の英訳を自ら要約して朗読した。
この伝説の朗読は、よく練られたリズム感や推進感に充ちていて、
まるでグールドと漱石の声がひとつになったかのように聞こえたという。

十代で最初に読んだとき、漱石にしてはちょっと退屈だと感じた。
三十代でグールドのエピソードを知ってあわてて読み直したが、
それでもピンと来なかった。
私は若く、しかも愚かだった。
見事なまでにフラメンコな、あの衝撃のラストシーンの意味を
まるで理解できなかったセンスに、
それまでの生き方の欠陥がくっきり視えたのは、
惜しいかな近年のことだ。

グレン・グールド/孤独のアリア.jpg

──────────────────────────────────────
2014年10月3日(金)その1842◆犬好きグールド

10377373_700228926721136_8945552718054191351_n.jpg

そのとき彼は50歳だった。              

32年前の明日10月4日、世界中で最も愛された天才ピアニストが他界した。
その訃報は日本のメディアでも大きく報じられ、途方に暮れた27歳の私は、
仕事をあきらめ丸一日彼のレコードに没入した。

想定外のアプローチで、彼はバッハ演奏のポテンシャルを極限まで上昇させた。
独創と快感に充ちた完璧なキーボード演奏は、
世界中の音楽通にバッハ本来の底知れぬ魅力を再発見させた。
その意味では、フラメンコにおけるカルメン・アマージャや
パコ・デ・ルシアを連想できるだろう。

いわゆる変人であり、生涯独身だったグレン・グールド( 1932~1982年)は、
動物をこよなく愛した。
なぜか愛犬への手紙も多数残されており、彼の死後、
その遺産の半分は動物愛護協会に寄付されたという。

──────────────────────────────────────
2014年10月3日(金)その1841◆ドスとS好きー

「人間が不幸なのは、自分が幸福であることを知らないからだ」
「苦しみと悩みは、偉大な自覚と深い心情の持ち主にとって、
 常に必然的なものである」
「人間には、幸福の他に、それとまったく同じだけの不幸が常に必要である」
「私は何か善を行なおうと思いながら、そこに喜びを感ずることができる。
 また同時に、悪を行ないたいとも思い、そこにも喜びを覚えることもできる」
「人間のできる唯一のことは、自分自身が精神的に成長することです」

出典はすべてドストエフスキー。
彼は身もフタもないことを容赦なく語る。
すべて当たっていると想う。
おれだって、ラスト以外は無意識かつ普通に実践してるし。

10460295_700790879998274_1111413579548578974_n.jpg

──────────────────────────────────────
2014年10月2日(木)その1840◆十年一剣

10661631_699878763422819_7257199504372225436_o.jpg

サンプル写真はご存じ大森有起撮影による、新人公演の本田恵美。

パセオフラメンコ12月号、慶大哲学科卒・異色のバイラオーラ本田恵美との
しゃちょ対談(その23)は現在ラストの追い込み中。
夏の協会新人公演で魅せた驚くべき本田の表現力は、
対話の世界でも遺憾なく発揮され、アフィシオナード必読の記事に仕上がりそうだ。

2月号にマルワ財団理事長・神戸誠さん、4月号に沖仁さんをお迎えした
〝しゃちょ対談〟は、今回実に8号ぶりとなる。
この春からパセオを小倉新編集長に一任し、社長業や営業にシフトし始めた関係で
徐々に執筆を減らす方向にあり、また後続のライターも育ちつつあるので、
今回の取材執筆では苦しくて楽しい、あの懐かしい充実感が久々によみがえった。

プロデューサーが自分の本懐なので、必要に応じて現場最前線でも暴れるが、
全体を俯瞰しながらの後方支援がメインの役割となる。
締切を守ってくれない執筆者たちへの対応策として始めた執筆業も、
もはやプロデュース業の一環をなす憩いの泉となりつつある。

ウェブ上に毎日書く日記も、いつでも本誌に代打で登場するための素振りのようなものだ。
つまり、いつでも代打用の引き出しだけは充実させておきたい。
ひとつの引き出しには100円玉ひとつ分位のアイデアしか入ってないが、
引き出しを一万個作れば〝十年一剣〟の如くに、
合計で百万円位のアイデアはすぐに準備できる。
たとえ才能が貧乏であっても、貧乏人には貧乏人なりのやり方はあるものだ。

──────────────────────────────────────
2014年10月1日(水)その1839◆助っ人たち

「死んでる人と生きてる人を、ほとんど区別しないんですね」

下北のくたびれた一杯呑み屋。
ふと、暴れん坊の後輩タクヤがそう指摘する。

そりゃそーだよ。生きていようが死んでいようが、
自分の好きな人というのはいつだってオレの中に生きてる。
おまけに、いつだってオレを助けてくれるしさ。

10520893_699735226770506_5080170007769072130_n.jpg 10702100_699735280103834_1160894099350044431_n.jpg

10672126_699735340103828_5279698834720004185_n.jpg 1488767_699735453437150_5798347148294243308_n.jpg

──────────────────────────────────────