作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 あの日あの時(2) 】

2010-01-19 09:58:24 | 02 華麗な生活

神戸の大震災と言えば、長田区の火災が代表と報道される
ことが多いが、あれは地震発生の翌日になってから出た
火による二次災害が中心だった。

当日の家屋倒壊による犠牲者は、むしろ東灘区の方が
多かった。東灘区本山が被害多発の町名である。

当時テレビ各局が基地を構えたのが、本山第一と第三
小学校だったから、本山の町名は全国的に知られることに
なった。

ボクの本宅?は、その本山中町にあった。
最寄の酒屋のお兄ちゃんが、ここを中心に半径500メーター
の円内で、千人近い人々が亡くなったと言っていた。

木造家屋は、たとえそれが蔵を備えた大邸宅であろうと
文化住宅やアパートもろとも、すべてが崩壊した。
そこに神戸大をはじめ多くの学生が下宿していた。
その多くが、あたら有為の将来と共に潰えたのだった。

ボクはというと、東灘区の沖合いにできた人工島に超高層
マンションが建ち、そちらの方に移転すべく荷物を少しづつ
運び出す最中であった。

そんなわけで、ド~ンと来たときには、地上百メーターの
辺りで寝ていた。

神戸を直撃した地震は15秒だけ揺れたというが、この超高層
物件は、およそ30分揺れ続けたと神戸大の教授による
発表があった。
ボクの実感もそうだった。30分は軽く揺れたであろう。
耐震工法のなせるわざである。

ビル崩壊は必至と、こんな死に方が待っていたのかと覚悟
したのだったが、幸いにもこの人工島での人身事故は皆無
であった。

東灘区の中の別天地であったことが、だんだん判明していった。

      - 続 -

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