神戸の震災といえば、長田区の火事が代表とされる。
だが長田の火事は、震災の後に起きた火事による被害だ。
震災の直撃で、亡くなった人々はむしろ東灘区から芦屋市
にかけて多い。
ボクが住んでいた、JR摂津本山駅の周辺だけでも、
木造家屋は全滅だった。多くの神戸大学の学生が、
家賃の廉いアパートや文化住宅に住んでいて、震災の
犠牲になった。中には前夜故郷から戻ってきたばかりの
若い学生さんも。
もっと哀れだったのは、修学旅行から戻ってきた中学生が、
家と両親を失ったことだった。可哀想でならない。
道をはさんだ角店の酒屋の兄ちゃんが言った。ここを基点
に半径五百メーターの範囲だけで500名が亡くなられまし
たと。カレは仕事柄、各家にお得意さんが居たから、情報
通であった。500名の犠牲者は本当のことだろう。
どこに家があったやら、どこまでが道だったやら、分からなく
なった地に、多くの花束が供えられていた。
ボクはガレキと化した近隣の地を歩きながら、花束を見て
は両手を合わせて、亡くなった人への鎮魂の祈りを捧げて
いた。
車道には大阪方面からの見舞い客が溢れていた。
消防車も自衛隊の車両も、人が邪魔になって動きが取れ
なかった。想い出したくない記憶である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます