相馬市だったか南相馬だったか、酪農業を営んでいた
二代目が自ら生命を絶った。
堆肥を作るための小屋に、いっぱい遺言を書き残し逝った。悲壮である。
四十代前半の彼には妻と二人の男児が居た。
妻は地震が怖いと言い残し、二人の男児を連れて
フイリッピンに帰国していた。
この後、フイリッピン女性の妻はどうなるだろう。
故国で裕福な暮らしがあるはずがない。
貧しければこそ異国の中年男と結婚したのだ。
二人の男児は7歳と5歳。
日本語しか話せないのではなかろうか。
ここから始まるのは、哀話だけだと思うのだが、
民主党政府は彼女たちに何をしてやるのだろう。
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