作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 韓国大統領の変節 】

2012-08-16 15:14:00 | 02 華麗な生活

李明博大統領は、大阪で生まれた日系韓国人である。
だからと言うわけじゃないが、大統領に選出された時は、
日韓両国にとって、良い政策を取って欲しいと願ったものであった。

就任にあたり、日韓両国はいつまでも、「反省」や「謝罪」を話題に
する時代は終わったという意味の演説を行い、就任以来、両国の
関係は好転したと言える。

経済関係は両国の協力で、大いに進展し、今やサムソンやヒュンダイ
は日本企業を凌駕する力を付けた。

韓国の大統領の任期は五年である。哀しいかな任期が迫ると、身内や
側近の中から、汚職を問われる者が出てきて、レームダック状態に陥る。

李大統領も、その例外ではなく、今や支持率は17%しかない。
来年2月の大統領選挙での最選の芽はない。
朴元大統領の娘さんの当選が、確実視されている。

今回の竹島上陸は、少しでも人気を高めようと、敢えて英雄的な行為に
出たものであろう。
しかし、ソウルの日本大使館の真ん前に現れた「従軍慰安婦の像」を、
更に第二、第三の像が出来るぞと野田に迫るなどは、明博クンはオカシク
なったと言わざるを得ない。

戦時中、日本軍の大陸進出に伴い、売春業者が軍に取り入り、営業を行なって
いた事実はあっても、あの像にあるような、いたいけな少女を軍が拉致した事実
なんかは絶対に無い。売春業者に売られた娘は気の毒であった。
だが当時の日本には、公娼の制度があった。

五・六年も前になろうか。ソウルで大勢の若い売春婦が、揃いの白い帽子に、
白いスポーツウエアを身にまとい、「わたし達を公娼に」と要求して座り込んだ
ことがあった。あの娘たちは、売春業者に搾取されている現在より公娼の立場
を求めての行動を取ったのだ。

現在の韓国に、売春婦が居ないとは言わせない。
なぜ日本の朝日以下のマスコミは、その事実を書こうとはしない。
チョーニチ新聞と叩かれる所以である。

天皇陛下に来韓し、日本からの独立運動に身を挺した人々に謝罪せよとは、
歴史の針を巻戻せと言うに等しい。
1910年、日韓併合があった。旧満州国で、朝鮮系の人々は、日系人と同格に
扱われていた。その一例として、新京のボクの家の真ん前に、豪壮な邸宅があり、
日本名を名乗って居られたその方は、在満の朝鮮系の新聞社の社長であった。

その家のお子さんたちは、ボクが通った桜木小学校に通っていた。
差別や虐待があった話は聞いたことが無い。
時折、お見かけしたが、立派な紳士であった。気の毒にソ連軍によって、連行され
その後の消息を聞かなかった。

ついでに、その方の隣家には、満州国の大臣が住んで居られた。
その家の息子さんとも日本の敗戦後も、仲良く遊んでいた覚えがある。

敗戦から一年後に、在満邦人は南新京駅から無蓋貨車で、帰国の途についたのだが、
大勢の満州人が、別れを惜しんで見送りに来てくれた。
満州国は、ボクが見知った限りでは、五族協和を現実化した国であった。

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