宮本と稲葉の二人だ。例のノムラがまた「オレのおかげだ」と
威張っているらしい。
ノムラを名監督と持ち上げる風潮があるが、ボクに言わせると
あんなに嫌味なオトコも滅多にいない。
あんなヤツが、こともあろうに我がタイガースの監督をやった。
魔の三年間とボクが名付けたあの時期に、タイガース生粋の
吉田義男前監督が大事にしていた選手たちが、みんなイジメの
対象にされた。
捕手ながら打撃力のある北川などは、カツノリの邪魔になるからと
近鉄に売られた。そこで代打逆転満塁サヨナラ。しかもリーグ優勝
を決定する一打を放ち、一躍その名を高からしめた。
宮本は守備で買われた選手だった。ノムラが育てたと威張る根拠は
どこにも見えない。ヤクルト時代の功績は、ノムラには皆無と言って
良い。あれは古田・池山・広沢・飯田などの選手に恵まれてのこと。
タイガースの魔の三年に、八木・今岡など主力が干されて、八木は
八月に初めて一軍昇格し四番を打って、その試合で二本の本塁打。
お立ち台で叫んだ言葉に、ノムラへの憎しみが込められていた。
「どこも悪いところは無いのに、二軍暮らしは辛かった」
阪神フアンは八木に惜しみない拍手を送り、ノムラを罵った。
稲葉の打撃向上は、中西太打撃コーチの手腕の賜である。
高松一高から西鉄ライオンズに入団、怪童と呼ばれる長打を連発した。
ノムラごときが中西の功績を盗ろうたって、そうはいくかい。
ヤツは京都府の無名高校から「カベ」と綽名されるブルペン捕手として
南海ホークスに入団。時の監督鶴岡一人さんに、打力を買われて一軍に。
恩人の鶴岡さんが逝去された時にも、葬儀も無視して球界人から嫌われた。
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