おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

番外 COSMOS / カール・セーガン

2011年12月08日 | Weblog

おりおん日記。番外「COSMOS/Carl Sagan DVD

 

 誕生日にカール・セーガンの「COSMOS」のDVD7巻セット)をプレゼントしてもらった。日本で放送されたのは1980年。もう、30年以上も前だ! 新進気鋭のイケメン(もちろん、当時、イケメンなどという言葉は存在していなかったけど)天文学者がナビゲーターを務めた13回シリーズの宇宙ドキュメンタリー番組。

 

 今の感覚で言うと、ドキュメンタリー番組で13回も放送するなんて、正気の沙汰じゃない。いったい誰がそんな小難しい話に2週間近くもつきあうというのだろう。視聴率は期待できそうにないし、故に、スポンサーもつかなさそうな…。しかし、当時、大袈裟に言えば「み~んなCOSMOSを見てた」ぐらいの勢いだった。カール・セーガンは社会現象と言ってもいいぐらいの時の人だった。恐るべし、イケメンパワー(でも、2011年基準で見ると、80年代のイケメンはちょっと野暮ったい。仕方ないか…)。

 

 もともと、星を見るのが好きで、部屋にはお小遣いで買った小さな望遠鏡があり、いまは無き渋谷の五島プラネタリウムには毎月通っていた。そんな折に、COSMOSの放送が始まったのだから、カール・セーガンの語る「宇宙」に心ときめかないはずがない。カール・セーガンの言葉を一言も聞き漏らすまじと(決してミーハーではなく!)、テレビにかじりついてました。

 

 その懐かしいテレビ番組のDVD30年ぶりに見て、原点に戻ったような気がしました。改めて「COSMOS」というドキュメンタリーは、私が今の私になるための不可欠の要素だったのだ―と思うのです。

 

 この30年間の自然科学の進歩は大きく、2011年の科学レベルでは、内容的に古くさい部分はたくさんあるし、カール・セーガンがアカデミックの世界では正統派とは認められていなかったことなど、諸々のことを考慮しても、あの頃のCOSMOSをきっかけにして抱くようになった宇宙に対する「畏怖」は決して間違っていなかったと確信しました。

 

 空を見上げ、望遠鏡で土星の環っかや、プレアデス星団を見ながら、宇宙は果てしなく大きく、人間は小っちゃいと漠然と感じていた。カール・セーガンの言葉が、その漠然とした思いを概念化してくれたのだと思う。子どもながらに、「宇宙カレンダー」は衝撃でした。宇宙の歴史を一年間に置き換えると、人類の誕生は1231日午後1030分なのだという。宇宙を砂浜にたとえれば、砂粒1つにしか過ぎない小さな星の上で、たった1時間半の歴史しか持たない生物が、憎しみ、殺し合い、核戦争に突き進もうとしている(当時は冷戦まっただ中!)とは、なんて愚かなのだろうと思ったのです。 そうと解っていても、煩悩まみれの私は、未だに嫉妬や失望や憎しみの感情から解放されていませんが、それでも、あの頃、いかに私がちっぽけな存在であるかということを、ネガティブな意味ではなく、ポジティブに理解したことは、私にとって大きな財産だと思う。

 

 ところで、今見ると、稚拙というか、手作り感満載な雰囲気なのですが、30年前にあのレベルのCG(あれ、当時はまだ、コンピューターグラフィックスなんてなかった?)って、すごかったんだろうなぁ。多分、莫大な予算と手間暇かけて作った番組なのだと思います。

 

宇宙開発って、結局のところは、地球を飛び出して、宇宙エリアでの陣取り合戦をしているということ。当時、人々をワクワクさせたボイジャー計画も、今年、日本人を喜ばせたはやぶさの帰還も、決して、きれいごとだけではないのだろうけれど…でも、人間が「所詮、人間なんてちっぽけだ」という原点に立ち戻れるだけの知恵ある存在でありたいものです。

 

おりおん日記。は読書記録&文楽鑑賞記限定にしようと思っていますが、私にとってCOSMOSは特別なので、番外で感想かいちゃいました♪

 



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