おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

「和宮様御留」 有吉佐和子

2008年07月06日 | あ行の作家
「和宮様御留」 有吉佐和子著 講談社文庫 (08/07/05読了)

 前々から読みたいと思っていた一冊。子どものころ、大竹しのぶ主演でテレビドラマ化され、予告編で大竹しのぶ扮する替え玉の宮様がお習字の練習をする場面が、今でも、鮮明に印象に残っています。ドラマ自体は、見たのか、見なかったのか-まったく記憶に無いのですが、とにかく、原作を読んでみたかったのです。正直、読むのには苦労しました。刷りを重ねているにも関わらず…昔の文庫本のように活字が小さい。多分、最近の活字の大きさに変えたら上下二分冊にできるぐらいの分量。御所言葉が多用されるなど、難しい言葉遣いでスラスラとは読めません。でも、それでもなお、面白い小説でした。

 公武合体の大儀のため、徳川十四代将軍家茂に降嫁した皇女・和宮が実は替え玉であったというストーリー。主人公は、召使として和宮の居所に呼び出された婢(はしため)のフキ。ボロをまとい、水汲みの日々を送っていたのが、何の説明もなく、美しい着物を着せられ、和宮と寝起きを共にするようになる。声を出すことすら許されない不自由な生活の中で、和宮と時折かわす笑顔だけのコミュニケーションを通じ、もしかして、自分は和宮の身代わりになるのではないか-と察していく。フキは「和宮のためになりたい」という召使としての純な気持ちと、たとえ貧しくても外の自由な生活への渇望の間で揺れる。フキにとっての自由な生活の象徴が祇園祭であり、「コンコンチキチン、コンチキチン」と心の中で口ずさむ様子がなんとも切ないのです。我慢に我慢を重ねながら、なんとか、和宮の替え玉を勤めきろうとするフキも、ついに、心を病み、正気を失い、さらなる替え玉が仕立て上げられるのです。

 果たして、これが史実なのか、フィクションなのか、よくわかりません。でも、こんなことがあっても不思議ではないと思えるほどに、江戸時代というのは、女にとって辛い時代であり、嫁ぐということが、囚われの身になるということだったのかということ思い知らされます。その一方で、表の男の世界とは別に、女の世界でも様々な政治的な駆け引きが展開されていたのが興味深いです。あまりにも古いけれど…大竹しのぶ主演のあのドラマ、再放送してほしいぁ…。

 面白かったのですが、疲れので、次はスラスラ読める系にします。

勘十郎さまからお手紙!!!!!

2008年07月06日 | 文楽のこと。
勘十郎さまからお手紙! (08/06/30)

 な、なんと、勘十郎さまからお手紙を頂戴してしまいました。感激です。30日深夜、帰宅すると、いつものようにテーブルの上に新聞や郵便物がバサッと乱雑においてありました。郵便物といっても、大抵はDMや企業からのお報せの類で、宛名はこじんまりとプリントされた活字が並んでいるのが常。ところが、なぜか、黒々とした筆文字が立派な封筒が混じっていて、「なんだろう?」とひっくり返してみると…差出人には「桐竹勘十郎」とあるではありませんか!!!!! 一挙に疲れが吹っ飛ぶとともに、感動のあまり膝がガクガクと震えてきてしまいました。

 すぐに読みたい気持ちを抑えて、まずは、化粧を落として顔を洗い、歯磨きをして、簡略ながら体を清めました。普段は、封筒は手でビリビリと引き剥がすだらしない私ですが…勘十郎さまのお手紙とあらば、粗雑には扱えません。ハサミで丁寧に開封し、中身を取り出しました。中のお手紙はうっすらと金粉、銀粉を散らした和紙に、やはり、美しい墨文字。

5月に銀座の画廊で、勘十郎さまが25年間に渡って作り続けてきた国立文楽劇場の公演記念スタンプの原画展でありました。そこで、「太閤記」の原画を衝動買いしてしまったのです。もちろん、気軽に買えるお値段ではないし、「欲しいけれど…、どうしよう」という逡巡はありました。でも、考えに、考えたすえ、「こんなご縁に二度とめぐりあえるかはわからない」と清水の舞台から飛び降りたのです。勘十郎さまからのお手紙は、そのお礼状でした。どの原画にも思いいれがあること、大変だけど、もう少し頑張ってスタンプ作りを続けようとお考えであることなどが、丁寧な文章で綴られていました。達筆な文字は、勘十郎さまの遣う人形と同様に、力強いけれど、優しい雰囲気でした。

友だちにも自慢しまくりた~いという気分ですが、そもそも、世の中的には超マイナーな文楽であり、ましてや、その人形遣いに至っては、「勘十郎って誰?」って感じなので、この感動を分かち合ってくれる人がいないのが悲しい。というわけで、一人で、なんどでも取り出してニヤニヤと拝読しております。