「おはん」 宇野千代著 新潮文庫 (08/10/20読了)
「流れる」に続いて、昭和シリーズです。子どもの頃、石坂浩二出演で映画化されていたことを、なんとはなしに記憶していました。もちろん、当時は、そんな大人の映画を見た訳ではありませんが…。で、改めて、ネットで映画情報を調べてみると、メインキャストは吉永小百合、石坂浩二、大原麗子。昭和の映画スター勢ぞろいって感じですね。それにしても、石坂浩二は、ハマリ役です。
7年前に妻・おはんを捨てて、芸妓・おかよと暮らし始めた語り手の「私」。ある日、道ですれ違ったおはんに、再び、恋心を抱いてしまう。おかよに隠れて、おはんとの逢瀬を重ねる。おはんに会えば、おはんのことが愛おしくてたまらない。しかし、家に帰れば、7年間慣れ親しんだおかよと別れる気もさらさらない。実は、7年前におはんと別れる時に、おはんは「私」の子どもを身ごもっていた。おかよに夢中になっていた「私」は、その後も、一度たりとも子どものことなど考えたことがなかった。しかし、おはんと再会してみると、次第に、自分の子どもが気になりだす。しかし、それは、本当の愛情なのか、しれとも、おはんと縒りを戻すための方便なのか…自分でもよくわからなくなってくる。
「私」は、本当に、どっちつかずの男なのだ。
読みながら「まるで、文楽の世界!」という印象を持ちました。なにしろ、文楽の世話物に出て来る男は、しょうもない。脇が甘い、惚れっぽくて、だらしない。決断せずに、すぐに、流れに身を任せる。「おはん」の語り手である「私」も、そんなダメ人間なのです。-と思ったら、いみじくも、この小説の発表当時に小林秀雄が「近松を読むような一種の味わいがあって面白かった」と評しているそうです。
宇野千代さんは、じっくりと構想し、10年かけて、この作品を仕上げたそうです。ダメ人間な「私」は、おかよと別れる決心はつかないままに、再び、おはんと暮らすために駆け落ちしてしまう。そこに、思わぬ悲劇が襲うのだが、それでも、やっぱり、ずるずると、流れに身を任せる生活から抜け出すことはない。それに比べて、二人の女の強さが際立つ。おはんとおかよはタイプも違えば、生き方も違う。でも、それぞれに強いのです。おはんは、バカ男のせいで翻弄された人生を恨むでもなく「私が近くにいれば、あなたの優しさゆえに、私のことを心配して下さってしまうのでしょう。それでは、おかよさんに申し訳ない」と身をひき、おかよは「男がいなくても生きられる女は、勝手に、生きていけばいい。私は、男がいなきゃダメ」と、おはんが去って、「私」を独り占めできるようになったことを歓喜する。決断しない男と決断する女。やっぱり、女は強い。
物語は一貫して徳島と岩国と関西訛りをブレンドした宇野千代オリジナル方言で語られる。この言葉も、なんとも、まったりしていてよかった。平成の世では、決して、こんな作品は生まれないだろうなぁという時間の流れ方を感じました。
「流れる」に続いて、昭和シリーズです。子どもの頃、石坂浩二出演で映画化されていたことを、なんとはなしに記憶していました。もちろん、当時は、そんな大人の映画を見た訳ではありませんが…。で、改めて、ネットで映画情報を調べてみると、メインキャストは吉永小百合、石坂浩二、大原麗子。昭和の映画スター勢ぞろいって感じですね。それにしても、石坂浩二は、ハマリ役です。
7年前に妻・おはんを捨てて、芸妓・おかよと暮らし始めた語り手の「私」。ある日、道ですれ違ったおはんに、再び、恋心を抱いてしまう。おかよに隠れて、おはんとの逢瀬を重ねる。おはんに会えば、おはんのことが愛おしくてたまらない。しかし、家に帰れば、7年間慣れ親しんだおかよと別れる気もさらさらない。実は、7年前におはんと別れる時に、おはんは「私」の子どもを身ごもっていた。おかよに夢中になっていた「私」は、その後も、一度たりとも子どものことなど考えたことがなかった。しかし、おはんと再会してみると、次第に、自分の子どもが気になりだす。しかし、それは、本当の愛情なのか、しれとも、おはんと縒りを戻すための方便なのか…自分でもよくわからなくなってくる。
「私」は、本当に、どっちつかずの男なのだ。
読みながら「まるで、文楽の世界!」という印象を持ちました。なにしろ、文楽の世話物に出て来る男は、しょうもない。脇が甘い、惚れっぽくて、だらしない。決断せずに、すぐに、流れに身を任せる。「おはん」の語り手である「私」も、そんなダメ人間なのです。-と思ったら、いみじくも、この小説の発表当時に小林秀雄が「近松を読むような一種の味わいがあって面白かった」と評しているそうです。
宇野千代さんは、じっくりと構想し、10年かけて、この作品を仕上げたそうです。ダメ人間な「私」は、おかよと別れる決心はつかないままに、再び、おはんと暮らすために駆け落ちしてしまう。そこに、思わぬ悲劇が襲うのだが、それでも、やっぱり、ずるずると、流れに身を任せる生活から抜け出すことはない。それに比べて、二人の女の強さが際立つ。おはんとおかよはタイプも違えば、生き方も違う。でも、それぞれに強いのです。おはんは、バカ男のせいで翻弄された人生を恨むでもなく「私が近くにいれば、あなたの優しさゆえに、私のことを心配して下さってしまうのでしょう。それでは、おかよさんに申し訳ない」と身をひき、おかよは「男がいなくても生きられる女は、勝手に、生きていけばいい。私は、男がいなきゃダメ」と、おはんが去って、「私」を独り占めできるようになったことを歓喜する。決断しない男と決断する女。やっぱり、女は強い。
物語は一貫して徳島と岩国と関西訛りをブレンドした宇野千代オリジナル方言で語られる。この言葉も、なんとも、まったりしていてよかった。平成の世では、決して、こんな作品は生まれないだろうなぁという時間の流れ方を感じました。