今日から茶道復帰です!
とは言え、柄杓をきりっと構える時は
唯一[ピシッ]と腕に痛みが走った。
むぅ、本調子はまだまだっすね。
でも重い水差しも持てたし(水の入った入れ物)
袱紗捌きも出来たしokとします。
さて、今夜の軸
『掬水月在手』
両手で水を掬ったら、そこに月が映った。という意味。
丁度名月の季節にぴったりですね。
そしてその心は、
両手の水に映った月は
手や心を揺らすと形が崩れてしまい、
いかに自分の心を沈めて落ち着かせていられるか
名月を愛でていられるか
そんな意味にも取れるらしい。
日々時に、
とんちんかんな電話がかかってきてイラッとしたり
あまりの来客の多さに仕事が捗らなくて
これまたイラッとしたり
(受付に一番近い席&一番下っ端の為
来客対応担当らしい立場。涙)
心がぐらんぐらんっしてしまう。
そんなに噴火してどうするよ、私。
心穏やかに居られるには、まだまだ修行が足らんねぇ。
そんな事を軸を拝見しながら思いました。
さて、硲。
先生に「どうして茶道は敷居が高く見られ、捉えられるのか?」
片づけをしながらそんな質問を投げかけてみました。
非日常の動作、非日常の空間、道具、
茶道はどう考えてもその日常と非日常のギャップがある。
もっと真髄と言うか
家元のお手前を知りたいと思ったら
稽古代だけでも恐ろしい額になる。
全然気軽じゃないし、OLにとってはむしろ恐怖だ。
かといって
昔のお教室は市が運営してて驚愕するほど破格の稽古代。
んー結局誰に学ぶか、先生によって変わるのかなぁ?
中身も値段によって違うのか?
結局、実用的でなく
非日常的なことであり、
その価格設定が高い認識や
上下関係の圧迫感が強いのかな?
ただ、何となく非現実的な?
現実だけに振り回されない静な心を養えたらいいなー
ほんと、
『掬水月在手』
今の私の掌の中には
まんまるなお月さんが映っているだろうか?
とは言え、柄杓をきりっと構える時は
唯一[ピシッ]と腕に痛みが走った。
むぅ、本調子はまだまだっすね。
でも重い水差しも持てたし(水の入った入れ物)
袱紗捌きも出来たしokとします。
さて、今夜の軸
『掬水月在手』
両手で水を掬ったら、そこに月が映った。という意味。
丁度名月の季節にぴったりですね。
そしてその心は、
両手の水に映った月は
手や心を揺らすと形が崩れてしまい、
いかに自分の心を沈めて落ち着かせていられるか
名月を愛でていられるか
そんな意味にも取れるらしい。
日々時に、
とんちんかんな電話がかかってきてイラッとしたり
あまりの来客の多さに仕事が捗らなくて
これまたイラッとしたり
(受付に一番近い席&一番下っ端の為
来客対応担当らしい立場。涙)
心がぐらんぐらんっしてしまう。
そんなに噴火してどうするよ、私。
心穏やかに居られるには、まだまだ修行が足らんねぇ。
そんな事を軸を拝見しながら思いました。
さて、硲。
先生に「どうして茶道は敷居が高く見られ、捉えられるのか?」
片づけをしながらそんな質問を投げかけてみました。
非日常の動作、非日常の空間、道具、
茶道はどう考えてもその日常と非日常のギャップがある。
もっと真髄と言うか
家元のお手前を知りたいと思ったら
稽古代だけでも恐ろしい額になる。
全然気軽じゃないし、OLにとってはむしろ恐怖だ。
かといって
昔のお教室は市が運営してて驚愕するほど破格の稽古代。
んー結局誰に学ぶか、先生によって変わるのかなぁ?
中身も値段によって違うのか?
結局、実用的でなく
非日常的なことであり、
その価格設定が高い認識や
上下関係の圧迫感が強いのかな?
ただ、何となく非現実的な?
現実だけに振り回されない静な心を養えたらいいなー
ほんと、
『掬水月在手』
今の私の掌の中には
まんまるなお月さんが映っているだろうか?