杉浦 ひとみの瞳

弁護士杉浦ひとみの視点から、出会った人やできごとについて、感じたままに。

・「命」の問題を考える年でした

2011-12-30 10:24:21 | 
今年も余すところ1日半ほどになります。

あるときから、
時間は、自分が生きていることのバックグラウンドミュージックではなく
過ぎるためにある独自の目的を持ったものなのではないかと思うようになりました。
だから、下手をすると、“時に追い越されることになる”のではないかという錯覚に陥るのですが
実際、追い越されないまでも完全に引きづられて行っている印象です。
まあ、このような思いはいいとして、
今年は「命」の問題に直面した1年だったように思います。

なんといっても衝撃的だったのは3月11日の東日本大震災でした。
大自然の活動の中で、人の命も生活も一瞬にして持って行かれるすさまじさを見せつけられました。
その後しばらくの間のテレビ放送は、広告機構のCMも含めて
私たちの心の中に重いイメージをすり込みました。

今も、毎日その一面に死者数と行方不明者の数を掲載している新聞がありますが、
行方不明者は一名、また一名と数が減っています。
日々、不明者が捜し出されている、つまり探している人がいるという事実を知ることができます。
でも、死者数が増えずに行方不明者が減っているのは、死者数には数えられながら、身元が判明していなかったのか
失踪宣告が出されているのかは分かりません。

愛する人がなくなったことを確認することが、残された者にとってどれほど大切かは
本当はその立場にならなくては分からないのでしょうけど
でも、過去の戦争の被害者遺族のお話や、今回の被害者の方のお話を聞くと
そのことの大きさに驚きます。
人が亡くなるということが、理屈で、頭で分かるということとは
全く違う意味を持つことを感じます。
今も、捜索に当たっている方の活動は本等に大切だと思いますし
終わったことと、捜索を打ち切らないで、それが続けられている社会の理解に安堵します。


今年は、自殺の問題にも関わる中で
特に自死遺族の方のことを考える年でもありました。
自殺が年間3万人を越えて既に10年以上になりますが
知らない人の命や、家族を亡くした方の思いにあまりに思いを
致していなかったことを痛感し、反省しています。
かつて、ご家族を自死で亡くされた方にとんでもなく軽いことばを掛けてしまったことを思い出します。
(もちろん、そのときには真剣に思いを巡らしたつもりではありましたが)
この問題は、今後も自分の中では大きな課題です。


初夏の頃に、親しい弁護士の重篤な病気を知らされました。
これまでも活躍されている方でしたが、今回の震災後は元ジャーナリストの経験と
持ち前の「正義」の感覚から、東電の記者会見に連日詰めて、原発事故被害者にとどまらず大手の電力会社のあり方
国のあり方にまで及ぶような重要な追及をされ、その活躍は目を見張るようなものでした。
そうした、我が身を惜しまない活動が、ご本人の治療時期を逸しさせたのではないかと本当に無念です。
余命宣告をされ、今は掌に命を載せて見つめながら、最後まで、これまでの経験と知恵を記録されています。
彼のことは、私自身片時も忘れることのできない大きな出来事です。


そして、最後に、この11月の終わりに
私が未成年後見をしている女の子が出産をしました。
親にも家庭にも恵まれずに、この出産も大きな課題をもってのものでした。
無理ではないか、という周囲の声もたくさんありました。
でも、彼女は生むことを決めました。

今は、訳あって赤ちゃんは乳児院に入りましたが、
とても素敵な乳児院で、元気に過ごしています。

彼女は生後1ヶ月の我が子に手紙を書き送っています。
「ひとりぼっちだった私に、親代わりができて、あなたも生まれた。
お母さんは、これから、今までで一番っていうくらいに頑張るからね」
そして、「これからも手紙をたくさん書くから、字が読めるようになったら一緒に読もうね」と。

生まれてきた坊やの命が健やかに育つこと、
そしてその子の命が、これまで恵まれなかったお母さんの今後の人生を支えてくれたら
と願っています。





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