杉浦 ひとみの瞳

弁護士杉浦ひとみの視点から、出会った人やできごとについて、感じたままに。

・宇都宮さんってこんな人

2012-11-26 22:33:08 | 
今東京の知事に立候補を予定している宇都宮さんのことは、
弁護士はよく知っているのですが
世間では、知らない方が多いと思います。

知事選挙とは関係のない話ですが、
私が関係して知っている情報(3年ほど前のものですが)を載せてみます。


       <宇都宮健児さんにインタビュー>

今日は、宇都宮健児さんに、杉浦ひとみがお話をうかがいます。


聞き手:単刀直入にうかがいますが、これまで、消費者問題、貧困問題に取り組んでこられた宇都宮さんが、
なぜ今回、日弁連の会長に立候補されたのですか。

宇都宮:今こそ日弁連を変えていく絶好の機会だと思っているからです。
社会はこれまで続いてきた規制緩和や派遣切りなどについて、反省の時期に入っています。
司法改革の現状もまた様々な問題が現れ、反省期に入っています。
とりわけ、この改革の流れの中で、若い弁護士のみなさんの悲鳴があちこちで聞こえ、
私はこれを放ってはおけないと思いました。

そして、現在日弁連がかかえる諸課題を突破していくためには、どうしても日弁連だけではなくて、
市民運動や、労働運動、消費者運動と連携する必要があるのではないかと考えたことが大きな理由です。
このような課題を解決していくためには、これまで市民運動、消費者運動、労働運動と一緒になって
多重債務者の被害者救済運動、それから出資法の上限金利引き下げ運動、
「年越し派遣村」などの反貧困の問題などに取り組んできた私の経験が活かせるのではないかと考えたからです。



聞き手:宇都宮さんの活動がたびたびマスコミに取り上げられることがあることから、宇都宮さんのことを「著名人」などと呼ぶメディアもありますが、ご自身ではどのように考えていらっしゃいますか。


宇都宮:私自身は、自分が著名人だと思ったことはないです。そういったこととは遠いところをずっと歩いてきていました。
 もともと私は、父親が傷痍軍人で、終戦後、田舎へ帰ってきたものの、田舎は愛媛県の小さな漁村でしてね。
そこで農家をやっていたんですが父は7人兄弟の6番目だったから、田舎に帰ってきても畑がないわけですよ。
だから他人の畑を借りて芋や麦を作ったりしてたんですね。
でも、私の下には2人の妹がいるし、やっぱり食べていけないんですよ。
それで、私が小学校3年のときに、一家で大分県の国東半島に開拓入植したんです。
山の中腹は険しいですから、山の頂上近くのなだらかなところを開墾して畑にしたわけです。

入植当時は、電気なんてもちろん引かれてない。家も天井なんかありませんでした。
いちから生活する場を切り開いていかなければならないわけですから、それは大変でした。
木を一本引っこ抜くのも一苦労。その長い根を引っこ抜いてね。
そしたら木や竹の根を掘り起こした底の土が畑になるわけですね。
そうやってひと鍬ひと鍬起こして畑にしていくような作業をやったわけです。

私が小学校3年のころ、だいたい父親は朝の3時とか4時に起きて仕事を始めて、星が出るころやめる、
そういう仕事をひたすらやってたんです。私は愚痴も言わずに黙々と働くそんな父を尊敬していました。

貧乏な生活から、進学し、東京の大学に行き、親に迷惑はかけられないと一生懸命勉強し司法試験に合格することができました。
ところが、その後、私は、イソ弁の時に二度も事務所からクビを言い渡されて、
その都度、人格を否定された思いの中で、悩みを抱えながら仕事をしてきました。

その時に出会ったのが、多重債務者の問題でした。
もともとサラ金・クレジット問題とか、多重債務者の問題というのは、私が取り組み始めた1970年代には、
あまり目立たない問題でしたし、私が二度目にボス弁からクビをいわれたのも
「品の悪いサラ金事件から手を引いてくれ」といわれながら、それを断ったからでした。

当時は、マスコミもほとんど取り上げず、弁護士会の中でもマイナーな問題だととらえられていたと思います。
ただ、この問題自体が実は、日本の社会の大きな問題であって、
日本の社会・経済構造に組み込まれた問題だということがだんだん知られるようになってきて、
その結果、それに取り組んでいる私たちの活動が注目されたんだと思います。私自身としては、
現場の被害者の救済のためを考えて、この間、ずっと同じことをやってきたのですが、社会の方が、
マスコミの方が、後からそういう活動に注目してきたということだと思います。


 聞き手:そうですか。もともと現場主義の方だったんですね。

宇都宮: われわれが取り組んでいる問題というのは、現場で本当に困っている人たちを救済する、
そういう人に手を差し伸べる、極めて地味な活動だと思っています。
しかし、それを本当に解決しようと思えば、国の政治まで変えなければ変わらないということを学んできました。



 聞き手:では、具体的にはどのような事件や活動に取り組まれていらしたのか、いくつかお話しいただけますでしょうか。

宇都宮:最初に取り組んだのが、1970年代の終わりから社会問題になったサラ金被害者の救済活動です。
当時はサラ金を規制する法律がなかったんですね。サラ金の高金利、過剰融資、
そして過酷な取り立てで被害にあった人たちの自殺とか、夜逃げが多発していていました。
あるとき被害者が商工ローンの日栄の「腎臓売れ、肝臓売れ、目ん玉売れ」という取り立ての脅迫文言の録音テープを持参してきました。
そこで、このテープを警察に持ち込み、刑事告訴をし、逮捕させ、有罪判決が下されたことで行政が動きました。
これは、臨時国会に大きな影響を与えました。国会では日栄社長らの参考人質疑や証人喚問が行われました。
他方では、弁護士たちが救済マニュアルを作ったり、それから相談窓口を作ったり、
さらには多重債務者全体の救済のための法改正運動にも取り組んでいきました。そのような活動が実って、
1999年12月出資法、貸金業規制法の一部改正で、金利が年40.004%から上限が29.2%まで引き下げられました。

 次に、被害者問題。深く関わったのはオウム真理教事件です。
そもそもは、私の事務所に横浜の坂本堤弁護士の奥さん、坂本都子(さとこ)さんが4年間勤めていた関係で、
オウム真理教による坂本弁護士一家殺害事件(1989年11月3日から4日にかけて)が他人事ではなくなりました。

事件当初は一家の拉致事件だというふうに言われていたのですが、坂本弁護士一家の救出活動に携わった関係で、
1995年の3月20日に発生した地下鉄サリン事件の被害者救済活動にも乗り出しました。卑劣きわまりない凶悪事件の被害者を救うのは弁護士の使命であると考え、その被害対策弁護団の団長としてサリン事件の被害者の救済活動を行ってきました。
この救済の手段として、オウム真理教の破産申立をしまして、そしてオウム真理教の財産をですね、被害者に配当すると同時に、
それだけでは不十分ですので、破産手続きで救済されなかった分を補うため「オウム被害救済法」の立法活動もやってきました。

また、置き去りにされた被害者の方たちが自由に集まれる場をつくりました。
こうして「地下鉄サリン事件被害者の会」が発足し、営団地下鉄の職員であった夫をを亡くされた高橋シズエさんが被害者の会の代表に就かれ、月一回開かれたその会合には私もほぼ毎回、仲間の弁護士と共に出席しました。

 それから、サラ金全体の問題としては、貸金業法の改正、
特にサラ金の高利が多重債務者を生み出す大きな要因だったので、
出資法の上限金利の引き下げ運動を長いことやっていまして、画期的な上限金利を撤廃させる法改正が実現出来ました。
2006年12月に改正貸金業法成立させ、これにより、グレーゾーン金利をなくしていくことに成功しました。

 このように、2006年には大きな法改正が出来、サラ金の高金利とか過剰融資とか過酷な取り立てについては、
ほぼ完璧は法改正が出来たのですが、サラ金を利用する人たちは低所得者が多い訳ですね。

低所得者とか貧困を理由とする借入が多いので、サラ金をいくら規制しても貧困の問題は解決出来ない。
そこで、法改正前後からこの貧困の問題に取り組むようになりました。
2007年には貧困の問題を社会的にアピールして、政治的社会的解決を求める運動として、
「反貧困ネットワーク」を立ち上げて、湯浅誠さんが事務局長、私が代表となって、反貧困運動にここ数年取り組んでいます


 聞き手:「弁護士、闘う」という宇都宮さんの著書(岩波書店)の帯に
「いばらない、きどらない、かざらない。良心的で、良識的で、だけど徹底的。
公平で、公正で、そして弱者の側に立ちきる。現場を持ち、社会に訴え、そして政治に働きかける。
私たちは、闘う弁護士宇都宮健児に、理想的な活動家像を見る」
と湯浅誠さんが書いて下さっているのは、そこで一緒に活動され、宇都宮さんの人柄を知って書かれたわけですね。


宇都宮:とても過分な言葉をいただきましたが、私は湯浅さんこそ理想的な活動家だと思っています。
彼はね、貧困の問題を“溜め”をなくした状態だと言います。
“溜め”とは、一つには貯金なんですが、大事なのは人間関係の“溜め”がなくなること、
つまり、頼れる相手がおらずに孤立した状態だというのですね。これが貧困だというのです。
貧困は、孤独と絶望、活きる意欲の喪失に行き着きます。
私は、こんな視点を持った湯浅さんを見ていて、ほんとうに頼もしく思ったわけです。


 聞き手:2008年の年末から、翌年始にかけて宇都宮さんがその「年越し派遣村」の名誉村長として
活動されたことは記憶に新しいのですが、どうしてあの「年越し派遣村」ができたのですか。

宇都宮:労働者の皆さんが派遣切りにあっている背景に、労働者派遣法があるんですね。
この労働者派遣法がどんどん対象を拡大したり、規制緩和をしてきたので、簡単に経営者の都合で、
労働者が解雇される。だから派遣労働者の権利を守るような労働者派遣法の抜本改正が必要だということで、
2008年12月4日に日比谷野外音楽堂で集会をやったんですね。

 その時、私とか湯浅誠さんが呼びかけ人になってまして、一緒に集会に参加して、国会の請願にも参加しました。
その後、その集会の実行委員会の皆さんが「派遣法の改正」を求めなければいけないんですけど、
リーマンショックの後、派遣切りされた労働者が大量に生み出されて、その労働者の中には寮とか社宅を追い出されて、
野宿を余儀なくされている人がいる。

 その人たちは、特に年末年始ですね、この寒い冬空の中で、役所が開いてませんのでね、
それこそ生命の危険に瀕している人が大量に生み出されている。
たしかに、労働者派遣法の改正は重要だけれど、それを叫ぶだけで、
今、生命の危機に瀕している労働者を手を差し伸べないでいいのかという議論が行われまして、
それがきっかけなんですね。

 そして、労働者派遣法の改正に取り組む労働組合と、反貧困ネットワークの市民団体と、
それから弁護士さんとか司法書士さんとかが一緒になって取り組んだのが年越し派遣村なんですね。
 一番の原点というのは、今、目の前にいる野宿を余儀なくされている人たちに、
少しでも支援、救済しようという気持ちから始まったということですね。


 聞き手:一年ほど前のあの活動は、いまどのような動きとなって次につながっているのでしょうか。

宇都宮:あの年越し派遣村の取り組みで重要なのは、貧困は日本の社会に広がっているというのを目に見える形にした、
顕在化したということが大きいと思います。
あの取り組みの中で、本来、国とか自治体がですね、まず取り組むべき課題なんだけど、
それが行われていないから、民間の労働組合とか市民団体がせざるを得なかった。

だから派遣村の実行委員会としては、その後の政府への要請で、
政府がこういう問題について対策を取るべきだということを訴えていたんですけれど、
従来の自公政権では、第2のセーフティネットの形はできたもののワンストップの相談体制が欠落している等
不十分なものにとどまっていました。

 2009年8月の総選挙で新政権が出来たので、新政権に対しては、こういう取り組みにですね、
政府が主導してやるべきだ、という要請をしてきました。
実は、現在、雇用情勢が悪化して、経済的な危機が続いていますし、
職を失って野宿をする人の数が昨年の倍くらいになっているんですね。
このまま冬を迎えると、危機的な状況ですので、政府に対して対策を促していたんですけど、
新しい政権の国家戦略室に、派遣村の村長で反貧困ネットワークの事務局長だった湯浅さんが、
政策参与として起用されました。

 起用された理由は、年末年始の対策の助言なんですね。
いろいろな議論がありましたけど、基本的にはやっぱりわれわれ現場の人間しか、
対策の助言が出来ないですので、中に入ってもらって、外側から彼を応援する、
政府とか自治体にプレッシャーをかけて対策を採るべきであるということで、
外側と中の湯浅さんとの連携で、11月にはハローワークを中心に全国77か所でワンストップサービス、
つまりそこで労働相談もやるし、生活保護の相談もやるし、多重債務の相談もやるし、生活資金貸付の相談もやると、
ワンストップの相談をやれたんですね。

 それでその経験を踏まえて、政府が2009年12月21日、全国一斉の相談、ワンストップ相談を呼びかけてますね。
その呼びかけによって、自治体の中では年末年始、自治体が率先して対策をやる。
路上生活者とか失業者の対策を採るところも出てきています。

 昨年は、政府とか自治体は全く動かなかったけれど、新しい政権下で、まだ不十分なところがあるんですが、
少なくとも政府や自治体が乗り出したということが大きな成果だと思っています。


 聞き手:ちょうど、2010年の年明けの今、このいわゆる「官制派遣村」は、
飢えと寒さをしのぐことはできても職も住居も失った人たちの生活再建については何のフォローもないのではないかと危惧して、
一昨年の「派遣村」で中心となった労働組合員や法律家などで作る「ワンストップの会」、
これも宇都宮さんが代表になられているのですが、
この会が、「多重債務」「就業」「住宅」について相談に応じたり、
また東京都に働きかけて、利用期間を1月4日から、さらに2週間延長させたりしているということですね。
成果を得ても、官に任せっぱなしにしない、現実の生活者に目を向けた活動を続けられているわけですね。
 

 聞き手:宇都宮さんは、常に具体的な事件の解決だけでなく、制度の改善、法改正に取り組み結果を出して来られていますが、
いつも、どのような視点で問題に取り組まれているのでしょうか。


宇都宮:私が取り組んできた問題というのは、多くは生命の危機に瀕している人や、
そこまで行かなくても全く生活が破壊されている人なんですね。
だから一刻も早く救済が求められている人の相談に乗ってきたんですけど、弁護士に相談できる人は限られているということですね。

その問題を知れば知るほどね。やっとたどり着ける人はごく一部であって、
その背後に何十万人、何百万人と同じような状況で苦しんで、悩んで、弁護士に相談出来ない人がいるということが分かりました。
そこにはどうしても個別相談だけでは救済出来ない問題があるなということに気づいたわけです。
だからその事実を知った専門家、弁護士としての責任ですね、その責任を果たすためには、個別救済だけではダメなんだ、
知った以上は法改正とか立法運動、制度の改革を国とか自治体、政府に対しても訴えていかないといけない。
それが弁護士としての責任、専門家としての責任じゃないかと考えるようになりました。


 聞き手:ところで、一部では、「宇都宮さんはスペシャリストだがゼネラリストではない」
と評されることもありますが、宇都宮さんはこういった評価についてはどう思われますか。

宇都宮:弁護士は一人ひとりがスペシャリストだと思います。
日弁連には今100近くの委員会がありますが、それぞれの分野のスペシャリストがいて、
その総和が日弁連だと思っています。私自身は自分が関わってきたこと以外については、
当然その分野のスペシャリストには及ばないわけですが、
各分野のスペシャリストの意見に謙虚に耳を傾けて全体を決断していくことが大切なんだと思います。

弁護士は具体的事件を取り扱い、深刻な被害実態を把握するからこそ、社会的な発言力・説得力を持つと思います。
具体的事件をやらないで、あれこれいうのでは「評論家」になってしまい、説得力もなくなってしまいます。
また、弁護士は目の前の個別被害者の救済だけで満足してはなりません。
常に個別被害者の背後にいる数十万人、数百万人の被害者のことを考える必要があります。
このような観点から、個別被害の救済にとどまらず、被害を告発して世論を喚起する活動や、
政策・立法提案をして、その実現を目指す活動が必要となってきます。

 わたしは、スペシャリストだといわれれば名誉だと思いますが、それを通じて解決するための方法は、
今の日弁連の改革にもっとも必要なノウハウだと思っています。


 聞き手:最後に、これから弁護士になる人たちは、前期修習がないことや就職事務所が見つかりにくいことから、
経験不十分での出発を余儀なくされること、あるいは、給費制への移行での加重な経済的負担などに大きな不安を持ち、
弁護士への夢を失いそうになっています。宇都宮さんは後輩たちにどう道を切り開き、また、アドバイスされますか。    

宇都宮:たしかに、今のような状況が進めば、誰でもが弁護士を目指すということができなくなってしまいます。
先ほど話しましたが、私自身も家が非常に貧乏でしたから、その気持ちはよくわかりますし、
今の制度の下では私も弁護士にはなれなかったかもしれません。

 私は、どんな経済的な状況の下でも、人のために法律を通じて尽くしたいと思う人がいれば、
その人が弁護士になれるような制度でなければならないと思います。
弁護士は仕事自体に社会性があり、基本的人権の擁護と社会的正義の実現という崇高な理想を実現できるものです。
 また、時には国に対峙しなければなりません。
それは、これまでの先輩たちが積みかさねた良い伝統です。
私は、このような観点からこの間の司法改革の評価は、
社会的・経済的弱者の味方となる弁護士が増加するか否かにかかっていると思っています。
弁護士というのは仕事をすると共に、社会的にも貢献できるすばらしい仕事です。
若い人たち自身が、気概を持ってがんばって欲しいし、弁護士になってよかったと思えるような弁護士会にしていきたい。
そのためには、これから希望を持つ人たちが、
弁護士を目指すことさえできなくなるような現状の司法修習制度については見直していかなければならないと思っています。
 そのような司法修習制度、そのような弁護士会にしていけるように一緒に闘っていきましょう。



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1 コメント

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トラックバックありがとう (志村建世)
2012-11-26 23:37:02
お久しぶりです。トラックバックありがとうございます。宇都宮さんは本当に「出したい人」ですが、まだ一般には知らない人が多いですね。勝手連は盛り上がっていますが、上滑りせず、地道な活動が必要だと思います。
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