杉浦 ひとみの瞳

弁護士杉浦ひとみの視点から、出会った人やできごとについて、感じたままに。

・返ってきた年賀状

2009-01-10 02:04:58 | 
20年前に夫とヨーロッパへ旅行をした時に、ドイツで乗った列車の中で60歳代の日本の男性とご一緒になりました。その方は国立大学の工学部の教授をされていて、お仕事での来独ということでした。列車の向かい合わせの席に乗り合わせ、何を話したというでもなくしばらく過ごし、先に降りる私たちと別れ際、なぜか窓からずっと手を振ってくださり、名残惜しく別れました。

日本に帰り、一緒に写した写真があったので、記憶に残っていたその方の大学へ電話をして、ご住所を教えてもらいました。
当時は「個人情報」などといってはねつけられることのないのどかな時代だったわけです。

その後、その方には夫婦で年賀状を出すようになりました。でも書くことは、毎年、ドイツで短い時間ご一緒したその思い出と、こんな仕事をしていますとか、子どもが生まれましたとか、こちらの勝手な近況報告でした。
〇〇先生から年賀状をいただくたびに、「お元気みたいだね」などと話し、一時、懐かしい旅行先を思い出す瞬間でした。


数年前、年賀状の変わりに「生前お世話になりました」と〇〇先生のお連れ合いからのハガキが届きました。
ほんの袖ふれあう程度のおつきあいでありながら、もうドイツでお目にかかることも金輪際ないのだなと思うと、寂しい思いがしました。
あのころの〇〇先生の年齢を考えると、お連れ合いもそろそろゆっくりと歩かれるくらいのお年なのだろうな、と思いながら、今度はお連れ合い様宛に、年賀状を出し続けていました。でも、書くことはもう10数年も前の、〇〇先生とドイツで一緒に旅をしました、とそのこと基点にして、数行の近況書いていました。


昨年のその方からいただいた年賀状には、夏にいった家族旅行の写真の年賀状を一昨年お送りしていたからだったのでしょう、「夏の盛りのようなご家族ですね。お幸せに。」と書かれていました。子育て真っ盛りの家庭は、たしかに春から夏に向かうような勢いと明るさを持つのでしょう。それは、ご自分たちの残像に照らしてもはっきり感じられるのだろうと思いました。
我が家のことを書いてくださったにもかかわらず、逆に書かれた方のご様子が忍ばれる一文でとても心に残りました。


そして、今年、そのお連れ合い様宛に出した年賀状が「宛所に尋ねあたりません」というスタンプを押されて返ってきました。
どちらかに行かれたのだ・・・。

“過ぎた時はどこに行くのだろう”
折に触れよぎる感慨ですが、今、机上にあるその返って来た年賀状を見る時、もう来年から宛てる先がない寂しさをしんみり感じています。

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