風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

越後屋~

2018-06-12 04:48:43 | つぶやき






「越後屋、お主も悪よのう」

「いえいえ、御代官様にはかないません」

「むっ、こやつ、ハ、ハハハハハハハ!」




時代劇の悪徳商人といえば越後屋!というイメージがすっかり定着している感がありますが、しかし時代劇ファンの方々、本当にそうですか?


私も時代劇は大好きで、「時代劇専門チャンネル」を一日中見ていてもまったく飽きない。ずーっとみていると、まあ、悪徳商人が次から次からへとでてきます。


でも、その悪徳商人の中に、「越後屋」の屋号を持つ商人は、ほとんど、いや、まったくと言っていいほどに出てこない。



2005年の週刊文春の記事によれば、時代劇に登場する悪徳商人の屋号ランキングは

1位、西海屋。

2位、湊屋。

3位、真砂屋、川上屋、三崎屋等々。


このように、越後屋はまったく出てこないようです。



これはどういうわけだろう?どうやら原因はCМにあるらしい。




いつのころのCМだったか、時代劇の悪役俳優として超有名なお二方。

川井伸旺さんと田口計さんのお2人が出演された、カンロのど飴のCМで、


お二方はそれぞれに、「悪代官」と「悪徳商人」として出演され、その中でアドリヴで発せられたセリフが



【越後屋、お主も悪よのう】



だったのです。





川井伸旺





田口計




これがさらに、ビートたけしなどのお笑い芸人さんがギャグとして多用するようになって、そうして一般的に広まった、というのが真相のようです。


「越後屋」は悪くない!





ではなぜ、「越後屋」だったのか?


これはよくわかりません。ただ、時代劇の中で「越後」といえば、ある特定の人物が思い浮かばないでしょうか。


そうです、「黄門様」こと、水戸光圀公です。




時代劇『水戸黄門』の中で水戸光圀公が諸国行脚の度に、世を忍ぶ仮の姿として名乗るのは


【越後の縮緬問屋の隠居、光右衛門】


そう、なぜか「越後」なんですよね。




水戸なんだからそれこそ「常陸」の○○問屋でもよさそうなものですが、なぜか越後。まあ、なるべく水戸から遠い方が良いとの判断だったのかどうか、よくわからない、


しかし、黄門様が越後の商人を名乗ったことで、世の悪人たち、というか悪役俳優さんたちは、越後の商人に毎回やり込められることになってしまった。



川井さんも田口さんも、『水戸黄門』には何度も出演されている悪役界の超ベテラン。それこそ「越後の商人」には何度もやり込められているわけです。



ですから、このアドリヴで出たというセリフ「越後屋、お主も悪よのう」の越後屋とは、



越後の縮緬問屋光衛右衛門への、水戸光圀公への、黄門様への



冗談交じりの皮肉、だったのではないでしょうか。



あくまで冗談としてですよ。本気で皮肉っているわけでも、揶揄しているわけでもありません。



こうして考えてみると、なんだか面白いですねえ。



そういうわけで、越後屋は悪くない!


越後は悪くない!




だから、越後=新潟は悪くない!




良かったねえ新潟県、これで「悪役」にならずに済んだ。



えっ?なんの話?





佐々木彩夏生誕祭2018

2018-06-11 00:00:00 | ももクロ










本2018年6月11日は、ももクロのアイドル、我らがあーりん、佐々木彩夏さんの22歳の誕生日です!!




おめでと~~~~っ!!!!!!




一時期ちょっと、「ふっくら」されておりましたが、最近はすっかり「シュッ」となられて、急に大人っぽくなられた。成長期なんですねえ。



そうそう、2018年度カラアゲニスト【女性アーティスト部門】グランプリ受賞、おめでとうございます!去年に引き続き2年連続受賞ということで、唐揚げ好きに益々磨きがかかることでありましょう。


女性「アイドル」ではなく、女性「アーティスト」というところに、ももクロの立ち位置の面白さを感じます。ちなみに女性アイドル部門を受賞したのは、のぎざかあたりの人らしい。名前はわかりません、聞いたとしても覚えられないと思います。なにせ興味がないもので……。




唐揚げ上手いもんなあ~。私も大好き!ただ食べすぎはよくないですよ。せっかく「シュッ」となられたんだから、キープしなきゃね(笑)














ももクロ最年少も22歳。皆さんすっかり大人になられて、でも相変わらず一番のしっかり者はあーりんのようです。


これからもしっかり者の妹として、ダメダメなお姉さんたちを支えてあげてくださいね。



「佐々木プロ」と呼ばれるほどプロ意識の高いあーりんのこと、これから益々大きくなること(あっ、身体じゃないですよ、タレントとしてですよ。)を期待しつつ、




22歳、おめでとー!!!!!!





あーパぺ





あーりんゴミ箱




ボスゴリ……あっ、違う!あーりんだよ~。

PENICILLIN 「ロマンス」 1998

2018-06-10 05:36:13 | 今日のメタル











ヴィジュアル系というのは、厳密に云えば音楽のジャンルとは言えません。


派手なメイク、髪型、衣装で決めた一連のバンド群の総称で、そこに音楽的共通性はない、はずなのですが。

これが必ずしもそうとは云えなかったりします。


ほのかに香る共通性があるんですよね。それは、


ほとんどすべてのバンドが、ヘヴィ・メタル、ハード・ロックからなんらかの影響を受けているであろうと思えることです。



ただメタルほどの強烈な「圧」はなく、メタル以外の様々な音楽からの影響を取り込んで、それぞれのバンドごとのサウンドを作り上げていった。



そんなイメージですかね。



ペニシリンはメタルの香りを特に強く感じさせるバンドだなという印象があって、特にこの曲はメタル色が強い。でもやはりメタルほど「圧」は強くない。それとこの独特のヌメっとした感じのヴォーカルスタイル。これがメタルとは一線を画したものになっています。



このHAKUEIくんのヴォーカル・スタイル。カッコイイんだか気持ち悪いんだかよくわかりませんが、ある意味ヴィジュアル系の典型的なヴォーカル・スタイルです。何故かこういう歌い方をする人たちが多いような気がします。あの「ウィッシュ」の人なんかも、ここまでヌメっとはしてないものの、近いものがありますよね。


抑々は音楽ジャンルを表す言葉ではなかったはずの「ヴィジュアル系」ですが、いつのまにかなんとなくですが、音楽的な共通点が多数見受けられるようになってきた。


うーん、いまや「ヴィジュアル系」は、一音楽ジャンルとして捉えた方が良い時代になってきているのだろうか?



面白いような、不思議なような……。

馬上少年

2018-06-09 14:01:53 | 歴史・民俗





昨夜の月は綺麗な三日月だった……ように私には見えました、が



正確に云えば、三日月とは言えないようです。


旧暦では新月の日を朔(さく、ついたち)とし、その朔から数えて三日目の日の月を「三日月」というのだそうな。

ですから、私が昨夜見た月は、実は三日月ではない……わけですが、まあ、広義の意味では三日月と呼んでも構わないそうですので、じゃあ三日月だったと、言い張ることにします(笑)。









三日月型の前立てを付けた兜といえば伊達政宗。東北の雄、独眼竜などとも云われる、戦国武将です。



その伊達政宗の兜に付けられた三日月の意味は何か?諸説あるようですが、どうやら妙見信仰と関係があるらしい。妙見菩薩のシンボルとして太陽と月が使われることがあるらしいです。




「妙見」とは真理や残悪を見通す目を持つという意味らしい。そこから転じて悪を糺すという軍事的な大義名分と繋がり、武将の信仰を集めるようになったのではないでしょうか。


上杉謙信が信仰した毘沙門天(多聞天)も仏法を守る軍神ですから、やはりこの世の「正義」を守る武将の守護神として信仰されておりましたし、この謙信の跡を継いだ上杉景勝の軍師、直江兼続の兜の前立てに付けられた「愛」の文字は、やはり仏法を守護する愛染明王の「愛」であって、現代的な意味での「愛」ではありません。大河ドラマなどでは、いかにも現代的な意味合いがあるかのように描かれておりましたが、あれはまったくの嘘だと考えていいでしょう。



さて、妙見菩薩は北極星や北斗七星ともかかわりがあるようで、本地垂迹説でいうところの垂迹は天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。


伊勢神宮外宮に祀られている神は実はこの、天御中主神だとする説もあり、伊勢でよく見かける「太一(たいいつ)」の旗印は北極星を意味しているとか。



また、白山で祀られている神は実はこの北極星の神、天御中主神だとする説もあるようで、普通白山の神といえばイザナギ、イザナミの夫婦神ですが、そういえば太陽神アマテラスや月神ツクヨミを生んだのはイザナギ神でしたね。




白山信仰は関東から東北にかけて特に強く広がっていたようです。東北の雄たる伊達政宗と北極星である妙見信仰との関係性を、白山信仰から紐解いてみるというのも、



面白いかも。











独眼竜伊達政宗は、生まれてきた時代が遅すぎた、もっと早く生まれていれば、天下を獲れていたかもしれないと云われたほどの名将だそうですが、歴史にタラレバはありません。それに人は、生まれるべき時に生まれてくるものだと、私は思っておりますので、この説には同意しかねます。



それはともかく、正宗に天下獲りの野望があったことだけは確かだったろうと私は思うし、若い頃は随分頑張りもした。


しかし夢はことごとく破れ、気が付けば髪の毛は白髪と化し、もはや老境の身。


それでも晩年の政宗は、晴れ晴れとした気持ちで老後を過ごしていたように思えます。



その証左となるのが、正宗が残した漢詩にあります。






馬上少年過
世平白髪多
残躯天所赦
不楽是如何




馬上少年過ぐ
世平らかにして白髪多し
残躯天の赦す所
楽しまずして是を如何にせん




戦場を駆け回った青春の日々は遠く過ぎ去り
今や天下は平らかとなり、我が髪の毛も白くなってしまった
こうして戦国の世を生き延びたのも天の赦す所であろう
老後くらい、好き勝手に楽しまずしてどうするのだ!?






ここにはもう、叶えられなかった夢への未練など微塵も感じられません。ただただ、残りの人生を楽しもうという明るさだけがある。


ある意味、理想の老境といえるかも知れません。



若き日々を本当に命がけで生き抜いたからこその老境なのでしょうか。できれば、このような境地に至りたいものですが。




さあて、今のままでは、どうなることやら……。







はやぶさ

2018-06-08 05:16:50 | ここで一句





2014年に打ち上げられた小惑星探査機「はやぶさ2」は、今月27日頃、目的地の小惑星「リュウグウ」に到達する予定。リュウグウより土などの資料を採取し、地球に帰還するのは2020年の予定だとか。



2003年に打ち上げられた先代「はやぶさ」は、2005年に目的地の小惑星「イトカワ」に到達、苦労の末になんとか資料を採取したものの、その後通信途絶やエンジン故障などのトラブルが相次ぎ、それらの苦難を乗り越え地球に帰還したのは2010年のことでした。

日本人はこのはやぶさの帰還を、感動の涙をもって迎え入れました。


神羅万象すべてに命が宿るとする日本古来の生命観。それは小惑星探査機だとて同じこと。日本人ははやぶさに、故郷地球を目指して必死に進み続けた一つの意志、一つの魂のようなもの、そこに「命」の輝きを見たのかもしれない。





さて、2代目はやぶさには、何事もなく無事に帰還することを願いたいものです。持ち帰る資料には、地球における生命誕生の秘密を解き明かすカギがあるかもしれないらしい。目的地が「リュウグウ」ですから、持ち帰る資料はさしずめ「玉手箱」というところか(笑)


命の秘密が納められた玉手箱ですか。なにやらロマンの香りがしますねえ(笑)




さて、ではここで一句。いや、


今日は「一首」といきましょう。



【遥かなる波頭を越えて竜宮へ無事持ち帰れその玉手箱】



今度は、日本の皆さんを心配させちゃだめだよ(笑)






谷村昌彦

2018-06-07 05:07:46 | 名バイプレーヤー











山形県出身の方で、浅草の劇団で修業した喜劇人でした。



喜劇出身の方のシリアスな演技は、とても説得力があるというイメージが私は強い。この方は数えきれないほど多くのドラマ、時代劇現代劇を問わず実に多くのドラマに出演しており、コミカルで気のいい人物から、凶悪な殺人犯まで、とても幅広い役柄を、見事な説得力をもって演じていました。





この方の演技で特に強烈に印象に残っているのが、刑事ドラマ『Gメン75』で演じた殺人犯です。



殺人を犯したものの、精神を病んでいたということで無罪となるのですが、実はこの精神病は演技だったんです。本当は病んでなどおらず、無罪を勝ち取るために演技をしていたわけです。

しかしこれがGメンにバレてしまう。谷村さん演じる犯人はGメンに包囲され、じりじりと輪が詰められていく。


最早逃げられぬと知り、恐怖の表情を浮かべる、谷村さん演じる犯人。と、その犯人の目が突然虚ろになり、口元がだらしなく開いた、呆けた表情に変化してしまう。

そう、包囲された恐怖で、犯人は本当に精神を病んでしまったのです……。



この表情が変化していく演技の見事さね!この谷村さんの演技もあって、この回はめちゃめちゃ怖かったのを憶えています。




山形県出身ということで、東北訛りのある役を演じることも多かった。谷村さんの東北弁はとても柔らかく温かさがあって、なにかとても人を安心させるような響きがありました。

東北出身のタレントさんの中には、田舎者であることを売りにするために、わざとらしく強調した東北弁を使う人もいて、嫌な感じを受けることもあるのですが、谷村さんの東北弁は自然体でとても好感が持てた。本来の東北弁とはこういうものだと思いましたね。



良い役者、面白い役者さんでした。




2000年8月、脾臓がんのため73歳で逝去。脇役一筋に生きた人生でした。



素敵な役者さんに、拍手を!

ももクロ改

2018-06-06 09:40:43 | ももクロ










この本で一番印象に残ったのは、4人が異口同音に言ったこと。


「ももクロを辞めようと思ったことはない」

「モノノフさんがいる限り、辞めることは出来ない。辞められない」



なるほど、やはりこの4人が、ももクロの「本体」でしたね。





じゃあ、杏果は違ったのか?いいえ、杏果だって基本は同じです。


確かに杏果はももクロを卒業しました。そんな杏果にとって、ファンなど大した存在ではなかったのか?いいえ、違います。


だって、ツイッターを始めたではないですか。あのツイッターが、杏果の卒業によって途方に暮れ、彷徨っていた緑推しにとって、どれほどの福音だったか。

緑推しはあのツイッターによって救われたんです。杏果は決してファンを放って置かなかった。置き去りにはしなかった。



杏果にだって、ももクロイズムは立派に継承されているのですよ。



杏果のツイッターについてはいずれまた、考察したいと思います。今日はこの辺で。
















さて、1月に杏果が卒業し、2月にはバレンタイン・イベント。4月には滋賀県東近江市で2日間に亘って開催された「春の一大事」と、ライヴ・イベント目白押しの3ヶ月間で、ももクロが5人仕様から4人仕様に作り替えた曲の総数は何と40曲!

作り替えるといってもそんなに簡単なことではありません。ももクロは今回、5人から4人に変わったわけで、つまり奇数から偶数になった。フォーメーションの変更というのは、偶数から奇数にするのは比較的容易だそうですが、奇数から偶数にするのは大変難しいのだとか。つまり5人なら2:1:2でセンターを置いて、両翼をダイナミックに動かすことが出来るけれども、4人だとセンターがいなくなるので、動かし方が難しくなるんですね。

ももクロの絶対センターは夏菜子でしたから、特に夏菜子の負担は大きかった、10年間続けてきた振りを根底から変えるわけですから、それは大変だったと思います。

でも夏菜子をはじめ、誰一人として弱音は吐かなかった。


だって、「やるしかない」のだから。



歌割りの変更というのもまた、大変な作業です。ももクロの曲は複雑なものが多い。その歌割りも5人の声質やキャラを考えた上で計算されて割り振られたもの。それを変えるわけですからこれまた大変です。杏果はももクロで一番歌が上手いといわれていましたから、その担当パートは特に難しいパートが多かった。低音域から高音域を幅広くカバーし、フェイクも担当していた、ソウルフルでパワフルな杏果パートを新たに担当するのも亦、大変な試練でした。

でも彼女たちは努力してます。杏果とは違った色を出したいと、日々頑張ってます。


偉いです。




こうしたダンス・パフォーマンスや歌割りの変更は、結果としてももクロに「初心に帰る」機会を強制的に与える結果となりました。

5人のももクロは、ある意味「行き着くところ」まで行き着いていたのかもしれない。



有安杏果という人は、ももクロのメジャー・デビューに際して、ももクロに決定的に足りなかったダンス・パフォーマンス力とヴォーカル力をカバーし強化するために、後から加入した人。抑々がももクロに対する関わり方は、他の4人とは最初から違っていました。


それに、杏果は0歳の頃から芸能界にいて、結構活躍していた経緯もあり。ももクロ卒業までに至る杏果の心の動きを考える上では、その部分まで考慮しなければならない。ももクロにおける有安杏果を見ただけでは、杏果の卒業に至る「本当」の動機など分かりはしないし、それが分かるのは、結局ご本人だけなのです。

だから、何もわからぬ他人がごちゃごちゃ言うことではないのですよ。本人の意志をこそ、尊重するべき。






それはともかく、こうして見ていくと、杏果の卒業はももクロに強制的に試練を与え、結果として初心に帰る機会を与え、それが新たな「飛躍」へと繋がってきている。


私は思う。杏果は卒業することによって、「ももクロのダンス・パフォーマンス力とヴォーカル力を強化する」という、杏果の役割「仕事」の総仕上げをしたのだと。




桃響導夢の大成功と新たなももクロのスタート。これらはすべてある意味、杏果の御蔭であるということ、ちょっと考えればわかることです。


未だに杏果に批判的なモノノフよ、あなたは読みが浅いね。


モノノフは杏果に大いに感謝をすべきなのであって、文句を言う筋合いなど一切ないということ。



そこに気が付かなきゃ、「大人」のモノノフとは、到底言えませんよ。













『ももクロ改』
川上アキラ(ももいろクローバーZチーフマネージャー)著
日経BP社








ももいろクリスマス2017。5人のももクロ完成形。

ちょっと何言ってるかわからない

2018-06-05 13:37:54 | エンタメ総合






漫才 【ヒーローインタビュー】





日経エンタテインメント、タレントパワーランキング1位。おめでとうございます。



真面目さ、謙虚さ、ネタ作りの丁寧さ、人柄の良さ。


こういう人たちが正当に評価されていることに、なんだか知らないか、まだまだ日本は大丈夫だなと思ってしまう。変?(笑)




なにより、東北、仙台出身だということが嬉しいね。





東日本大震災当日に松島で仕事をしており被災。以後復興事業にずっと関わり続けている優しさ、故郷を想う想い。



いいねえ。好きだな、この人たち。

玉井詩織生誕祭2018

2018-06-04 00:00:00 | ももクロ










本日6月4日は、我らがももクロの玉井詩織さんの、23歳の誕生日です!!



おめでと~~~~っ!!!!!!



最近では元体操選手、池谷直樹が主宰するアクロバット・エンタテインメント集団「サムライロックオーケストラ」の舞台、『マッスルミュージカル、オズの魔法使い』に、主役のドロシー役で出演、身体能力の高さを生かしたアクロバティックな演技を見事にこなしていたようです。













ソロ活動も充実しているようで、その気合の入り様には目を瞠るものがあります。一時期はももクロでも一番つかみどころのない印象がありましたが、ここにきて随分と弾けてきましたね。



ももクロを続けていく覚悟が固まった。いや、元々その覚悟はあったのでしょうが、杏果が自分の道を行く決断をしたことが、好い刺激になったのかもしれません。


自分はももクロで行くんだ!という覚悟をより強く定めた、ということかもしれません。




10周年を機に、我らがももクロの若大将は愈々その本領発揮となるようです。



これからの玉井詩織、しおりんが楽しみだ。




期待してますよ。





高田みづえ 「花しぐれ」 昭和53年(1978)

2018-06-03 14:13:27 | エンタメ総合











6月、梅雨、紫陽花、紫陽花に降る雨……。ということで


『花しぐれ』です。



この方の曲で一番有名なのはやはり、桑田佳祐作詞、作曲による『私はピアノ』でしょうか。まあ確かに、あちらも良い曲ですが、私は寧ろ、この方のデビュー曲『硝子坂』の方が好きだったし、その『硝子坂』以上に好きだったのがこの曲でした。


作詞、松本隆。作曲、都倉俊一ということで、流石に良い曲ですよね。忘れちゃいけない昭和の名曲です。





この方の同期といえば榊原郁恵さんや故・清水由貴子さんなどですが、同時代のアイドルのなかでも並外れて歌が上手かった。ただこの方は本当は演歌歌手になりたかったのではないか、と思える節があってね。それがレコード会社の方針でアイドルとしてデビューしたんだけど、今一つアイドル業界の水があってないように見えて、ちょっと痛々しかった印象がありますね。





現在は相撲部屋、二所ノ関部屋の「おかみさん」です。結婚後は芸能界を引退、スパッと歌を辞めて、おかみさん業にほぼ専念しておられる。


あれほど歌が好きで、歌の上手かった人でも、それ以上に「大切」なものが見つかったということか。




それもまた良し。その方の人生は、その方にしか決められない。



悔いなき人生を。