そうそう、ご飯のお供に……って、違~う!!
コホン、ええと、そうそう。
気を取り直しまして。
初代天皇であられる神武天皇のことを、「ハツクニシラススメラミコト」などと申しますね。
肇て日本の国を統治した天皇(スメラミコト)という意味ですが、
この場合、シラスが「統治する」と意味になり、「治らす」と表記することもあるようです。
この「治らす」。本来は「知らす」つまり「知る」という意味だったとか。
なにを知るのか、決まっています。
それは民の「心」。
国のどこかで災害が起きていないだろうか、事件、事故が起きていないだろうか。
民は苦しんでいないか、貧しい想いをしてはいないか。
それを知り、国ため、民のために祈る。
国平らかなれ。民安かれと祈る。
それが、天皇の統治なのです。
天皇の御心、「大御心」は民の心でもある。それは百姓と書いて「おおみたから」つまり国の宝だとしているところに、如実に表れていると云えます。
天皇は民を慈しみ、民は天皇を御尊崇申し上げてきた。
そこには、対立も断絶もなかったのです。
日本の政治は遥かなる太古より、基本、合議制で行われてきました。
これは神話を見ればわかることです。神話では神々が何か重要な決定をする際には、八百万の神々が天の安河原に集って、合議により決定しています。神話は現実世界の反映ですから、現実の政治によぅても、合議によって動いていたであろうことは、容易に想像がつきます。
日本に於いても専制君主が台頭した時期がなかったわけではありません。しかしこうした専制君主たちは、決して長続きしたことがない。これは日本の歴史上如実に表れている事実です。
日本の風土、もっとはっきり言えば、日本の八百万の神々は、専制君主をお好みではないのかもしれない。
天皇は専制君主ではなかった。これは明治以降に発布された大日本帝国憲法下においても同じでした。
戦前においては、天皇は専制君主であったかのようなことを言う方々がおられますが、これは明らかな間違いです。それは調べればわかること。
それについては、次回以降。
【四方(よも)の海みな同胞(はらから)と思ふ世になど波風の立ち騒ぐらん】
昭和天皇が愛した、明治大帝の御製です。そこに伺えるのは、戦争回避への強い想い。
それでも、戦争は始まってしまった……。
最後に今上陛下が平成16年の歌会始でお詠みになられた御製をご紹介したいと思います。これぞ天皇のあるべき姿勢が、痛いほどにみえてきます。
お題は「幸」
【人々の幸願いつつ国の内めぐりきたりて十五年経つ】
<参考文献>
『天皇は本当にただの象徴に堕ちたのか ~変わらぬ皇統の重み~』
竹田恒泰著
PHP新書
専制君主って、国の統治する全機能を掌握していることだと思うのですが、例えばキリスト教の法王とか、本当に権力の象徴のような、それとは全く違う天皇。
反論する人達は、戦争だって止めれたはずじゃん、止めなかったから天皇だって戦争したかったんじゃん、権力持ってたのに、ってことだと思うんですが。
本当に明治から昭和、そして今上陛下までの時代を知れて、有難いと思います。
私だって一歩間違えたら、天皇は戦争したがってた、って方になってたかもしれない。
でも、だからこそ、知れたことの有り難みに感謝しなきゃですね。
天皇の大御心が民の心だなんて、とても畏れ多くも有り難過ぎることです。
私たち日本国民も、昔のように天皇を御尊崇して天皇家の御安寧をただただお祈りする御心で暮らしたいですね。心からそう願っています。
昨日はテレビで、歌始会を有り難く拝見しました。次は私も歌を詠んでみようと思いました。
いつも学ばせて頂いてありがとうございます。