元赤穂藩城代家老・大石内蔵助は、亡き御主君・浅野内匠頭の御無念をお晴らし申し上げるため、元禄15年10月、京山科より江戸へ向けて下向します。
討ち入りに必要な武具類を運ぶため、大石一行は「日野家用人・垣見五郎兵衛」の一行と称し、隊列を組んで江戸へと下っていくのですが……。
その途上、本物の垣見五郎兵衛一行と出くわしてしまう。
本物の垣見五郎兵衛は単身、大石のもとへ乗り込み、どういうつもりかと詰問しますが、大石は自分こそが本物であると言って譲らない。
ここから先の展開は、作品によって違うのですが、代表的な例を挙げますと
本物の垣見五郎兵衛が、大石に、「本物ならば日野家より賜った目録があるはず」と、それを見せるよう要求します。
大石は文箱より恭しく一巻の巻物を取り出すと、これを五郎兵衛に渡します。
しかしその巻物には、なにも書かれてはいない。まったくの白紙だったのです。
この時、五郎兵衛はあることに気が付きます。この巻物が納められていた文箱に刻まれた家紋。
「丸に違い鷹の羽」の家紋、しかもその羽には渦が描かれている。
これはまさしく「浅野違い鷹の羽」の家紋、ということは、この目の前にいる武士は……。
「浅野違い鷹の羽」
すべてを悟った五郎兵衛は態度を改め、「それがしこそ偽物にござる」と非礼を詫び、「御用の向き、滞りなくあい務めまするよう、お祈り申し上げる」と言葉を掛け、去って行ったのでした。
これぞ「武士の情け」。大石は垣見五郎兵衛の温情に深く首を垂れるのでした。
なんだか【勧進帳】に似ていますね。それもそのはず、このエピソードは勧進帳をヒントとして創作されたものなのです。
つまりは、これもフィクション。
でもフィクションであるからこそ、そこには日本人の思う理想の「武士像」というものがあるように思われます。
赤穂義士の仇討は、幕府の裁定に意義を唱えるもの。これは幕府への反逆であり、テロ行為です。これをほう助することは、やはり幕府への反逆と受け取られても仕方がないのです。
それでも五郎兵衛は大石を助けた。武士の「まこと」を貫かんとする「こころ」の美しさに、同じ武士として、感じるところがあったからこそでしょう。
そしてこれを鑑賞する観客(日本人)もまた、この理想の「武士像」に、深い感銘を受けるのです。
やはり日本人は、表向きの善悪、正否よりも、(勿論それだって大事なんです、大事)心根の「美しさ」をこそ、
大事に思うようです。
このシリーズ、もうしばらく続きます。
『大石東下り』大石内蔵助:里見浩太朗。垣見五郎兵衛:西田敏行。