風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

映画『大魔神』 ユルッと考察その3

2014-09-28 10:41:46 | 特撮映画
   



                       



日本には「御霊(ごりょう)信仰」というものがありました。

平将門や菅原道真のように、強い無念を残したまま非業の死を遂げ、その後「祟り」を成した霊を神をとして祀り、その強い霊力を「守り神」として生かす、という信仰です。






「祟り」というものは、古くは「神のあらわれ」そのものを指していたもので、そこに吉凶の区別はなかったのです。

人間にとって、吉事であろうと、凶事であろうと関わりなく、神の御業と思われるものはすべて「祟り」でした。それがいつしか、凶事のみを指す言葉へと変化していった。

御霊信仰の背景には、そのような日本古来の神観念が根底にあったのではないでしょうか。だから怨霊も神になる。

いや、怨霊だからこそ、というべきか。

ところで、御霊信仰の「御霊」ですが、これは「おんりょう=怨霊」とも読めますが、

もう一つの読み方として、「みたま」とも読めますね。

「みたま」とはつまり、人の霊。つまりこれは、御先祖様である、とも言えるのではないでしょうか。

御先祖様は常に子孫を見守り、悪行を成した子孫に対しては、時にバチを与える、と考えられていました。

バチ=凶事、つまり「祟り」です。

御霊信仰とはすなわち、祖霊信仰の一変形形態である、ともいえるのではないでしょうか。

祖霊は氏神、土地神信仰とも繋がります。日本の信仰形態は一事が万事祖霊信仰に繋がると言って良い。

花房城下の人々の大魔神「アラカツマ」への信仰もまた、祖霊信仰であり、土地神信仰であった。



祖霊は常に見ておられる。

子孫の「行い」を。


********************



捕えられた猿丸小源太(藤巻潤)を救出するため、里へ下りた花房忠文(青山良彦)でしたが、犬上軍十郎(遠藤辰雄)の仕掛けた罠にはまり、逆に捕われの身となってしまう。これを知った老巫女・信夫(月宮於登女)が、城主の納まっている謀反人、大舘左馬之助(五味龍太郎)と直談判します。

信夫は、これ以上悪行を続けると御山の神が黙っていない。と左馬之助に行いを改めるよう迫ります。しかし元々流れ者だった左馬之助は、その言葉など意にも介さず、

「祟れるものなら祟ってみよ!」

と信夫を斬り殺してしまいます。そして山中にある武人像を破壊するように、軍十郎に命じます。

城下の人々の心の拠り所を破壊することで、反抗心を奪ってしまおうという魂胆です。

どこまでも神を畏れぬ奴。




軍十郎一行は山中深く分け入り、途中で小笹(高田美和)と、一緒にいた里の子供・竹坊(出口静宏)を捕えます。

忠文と小源太を明朝、磔にすると告げる軍十郎。蒼褪める小笹。

軍十郎は竹坊を人質に、武人像への案内を迫ります。止む無く従う小笹。

すでに辺りが暗くなったころ、武人像の下へ到着した一行は、武人像へ足場を掛け、鉄槌を武人像へ叩きつけます。小笹らは木に縛り付けられ、どうすることも出来ない。

何故か鉄槌では砕けぬ武人像に業を煮やし、軍十郎らは武人像の額に、鉄の杭を打ち込みます。

と、その額から突然血が!

すると一天俄かに掻き曇り、激しい暴風が吹き荒れ、稲妻が天を裂く!

大地は鳴動し、巨大な地割れが起こり、武人像に手を掛けた者達が次々と飲み込まれていく。

軍十郎も地の裂け目に落ち込みますが、必死に地面にしがみつきます。するとその裂け目から緑色の光が発せられ、それに引き込まれるように落ちて行く軍十郎。

それを合図とするかのように、大地の裂け目は閉じられ、暴風も落雷も止み、何事もなかったかのように元の状態へと戻る天候。

夜明けには兄たちが処刑される!小笹は最後の頼みと、武人像の下へ駆けより、兄たちを助けて欲しいと願います。と、武人像から転がる小石。

願いは聞き届けられたか!?しかし何事も起こらない。小笹は終に、自分の命と引き換えに兄や里の者達を救ってもらおうと、滝に自らの身を投じようとします。これを必死に止める竹坊。

するとどうでしょう!泰然と座していた武人像がゆっくりと動き出し、歩き出したではありませんか!

小笹の目の前で、武人像は左腕を顔の前に翳します。すると柔和な埴輪顔は一転、憤怒の形相へと変わります。




武人像に封じられていた御霊、隠されてた土地の神が、子孫であろう汚れ無き乙女の悲嘆に、ついに封印を破り、目覚めたということでしょうか。目覚めた御霊は武人像に「憑依」し、自らの肉体とした。

顔相の変化はそのことの表れか。





夜明け、折しも城下では、小源太らの処刑が行われようとしていました。

そこへ突如飛来する光の玉。その光は大地へ降り立つとともに魔神となり、城へ迫ります。


これを食い止めんとする城の者達。しかし魔神には通用しない。鎖で締め付け、火攻めにかけとようとも、ものともせず迫りくる魔神!ついに悪の元凶、左馬之助が魔神に捕えられます。

魔神は額に撃ち込まれた杭をゆっくりと引き抜くと、くわっ!と目を見開き、左馬之助に突き刺します。絶命する左馬之助。



しかし左馬之助を誅しても、魔神の怒りは収まりません。城内の建物を叩き壊し、目に留まる者をひっつかんでは地面に叩きつける。

それは台風や地震、火山噴火など、日本人が古来より経験してきた自然災害そのものです。怒れる神、荒ぶる神に容赦はない。それが「神のあらわれ」。

まさに「祟り」。



このまま里に出しては大変なことになる。忠文は魔神の手にしがみつき、怒りを収めるよう懇願しますが、魔神はそんな忠文をひょいと投げて放します。

お前は心が清いから殺しはせぬ。だが邪魔はするな!とばかりに。

今度は竹坊が魔神の足にしがみつきます。しかし魔神はこれも振り払い、「うるさい!」とばかりに竹坊を踏みつぶそうとします。

その竹坊を身を挺して庇う小笹。

魔神は踏み潰そうとした足を止め、ゆっくりと足を降ろします。

「どうか私を踏み殺すだけで、怒りを御鎮めください」。懇願する小笹。その曇りなき眼より落ちる一粒の涙。

その涙は魔神の足の上に落ちます。汚れ無き乙女の清い涙に、怒りを洗われたのでしょうか。魔神は再び左腕を顔前に翳すと、憤怒の形相を温和な埴輪顔へと戻します。


そして光の玉が天へと昇って行き、魔人像は土くれとなって崩れ、消えて行きました。

花房の里に、再び平和が訪れたのです。-Fine-

********************



日本の民話や信仰、神観念等をしっかりと踏まえながら、映画的なオリジナルを加え、見事なエンタテインメントに仕上げた、日本映画史上に残る傑作であるといえましょう。



ところで、魔神は御山へお帰りになられたのでしょうか?

私にはそうとは思えない。

封印されていた「古き神」はやっと解放されたのです。これから本来の活動を再開されることでしょう。

その活動、「神のあらわれ」が、埴輪顔となるか、憤怒顔となるか。

それは我々次第。

いずれにしろ、人類にとっての吉凶禍福に関係なく、「祟り」は起こりましょう。

いや、もうすでに、起こって(怒って)いますね……。








『大魔神』
制作 永田雅一
脚本 吉田哲郎
撮影 森田富士郎
音楽 伊福部昭
特撮監督 黒田義之
監督 安田公義

出演

高田美和
青山良彦
藤巻潤

島田竜三
伊達三郎
月宮於登女

木村玄
出口静宏

五味龍太郎
遠藤辰雄
伴勇太郎

橋本力

昭和41年 大映映画

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (玲玲)
2014-09-29 22:39:39
怒られているから、起こってしまったからお喋り慎もうかしら?と思ってたけど来ました。気楽に真剣に楽しむ分にはお喋りも必要さ、なんて。
魔神は土に帰って大地の神様になったのかしら?
信夫はしのぶと読むのかしら?
月宮於登女さんの名前がかっこいい。
Unknown (薫風亭奥大道)
2014-09-29 23:50:15
玲さん、この「大魔神」記事を書き始めた時と、御嶽噴火がリンクしちゃってるんだよね。書き始めた時は全然そんなこと考えてなかったんだけど、なんか、“そっち”へ引っ張られるような内容になっちゃった。こんなことって、あるんだね。
ブログを書いていると、色々なシンクロニシティを経験するんだけど、あんまり奇異なことを書きたくなかったので、触れないでいたんだけど、今度ばかりは、ちょっと身震いしちゃうね。
ももクロはスターダスト・プロモーション芸能3部所属です。そして5人組。おお!「3」と「5」じゃん!とか、バカなこと考えて喜んでます(笑)
。私のこういう性格って、良いんだか悪いんだか…。あっ、でも同じ芸能3部所属の、たこやきレインボーも5人組だ…チッ!(笑)
信夫は「しのぶ」でしょうね。女性ですから、「のぶお」はないでしょう。月宮於登女!良いセンスしてるよね。巫女役にピッタリな名前。
Unknown (玲玲)
2014-09-30 06:50:55
いやはや私もちょうど5th~のアルバム聴きたい気持ちでかけてたら、次元?とか星が一つ壊れちまったとか色々関連づけて考えちゃったりしましたよ。てへへ。
この子らが笑顔でパフォーマンス出来るよう頑張るぜ!とか。
だって本当にいい子達だもん。
関連づけちゃうけど、でもももクロちゃん達の一途さと真剣さにはかなわないし、勝手に私が関連づけちゃうのとか関係無しにそのままの彼女達でって、そんな気持ちだすよね。

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