物事というのは、「段階を踏んで変わっていくものです。一朝一夕では変わらない。
私は岩手県人ですが、今回の結果はある程度予想はついていました。「ここから」変わっていくのなら、一度「総決算」をしなきゃなりません。
それも昨日今日の話ではなく、太古の昔からの、日本が歩んできた「歴史」の総決算です。
だから今回の結果は、至極当たり前のことだと思ってます。
そして、「ここから」、本当に変わっていくんです。
私は若い人たちを、未来を信じてます。
ついでに一言。
私は、「お花畑」という言葉が、大っっっっっっ嫌いです!!!!
結局この言葉は、他人を見下し、揶揄し、自分の憂さを晴らすための手段としてしか使われていない。今回の件でも、自党候補が落選した1人区の県の人々を貶し、貶める手段として使っている例が散見され、はっきり言って不愉快だ!!!
こんなことでしか使われないなら、最初から使わない方がよっぽどまし!私はこの言葉を安易に使いたがる輩を嫌います!宣言します!
以上!
一応言い訳、自分もそうである、人間とは歴史的にもそうなりがちである、前提として使ってます。
でも不愉快にさせてたら、ごめんなさい。
元々この言葉には、私は強い上から目線を感じていて、最初から気に入らなかった。ま、私の個人的な好みに過ぎませんがね。
同時に、沖縄の成人式がいつも荒れ荒れなことや、沖縄の男性は、離婚後、養育費を払いたくないがために子供に会う権利を放棄する人が多いこと(離婚率一位の県、DV一位の県)、などなど、沖縄の人の一部の県民性を思うと、寄り添えない。。。と思う事もあります。
これって、もしかしたら、琉球最高の聖地といわれる「斎場御嶽(せーふぁうたき)」が世界遺産登録されて、入ってはならない聖地が汚されてるからかしらん?なんて、かっ飛んだ発想をしてしまいました。男子禁制の聖地で、もともと沖縄は、女性神官の国なんですよね。この伝統が途切れてしまったから、今の沖縄はこんなことになってしまってるのかも、と思うととても悲しい気持ちになります。最も神様に愛されていた地域なのになあ、と。聖地を守るのは大変なことだと思います。熊本の結界も切れてしまったし。。。
支離滅裂に話が飛んでますが、私の中では辻褄があって繋がってる話なのでした。
その点を考慮もせず、いかに日本のためとはいえ、善悪二元論的に白か黒かで切って捨てる。
沖縄には沖縄の、東北には東北の歴史的背景がある。これは一朝一夕に変わるものではありません。
その点をわかろうともしない愛国ってなんなの?本当に東北や沖縄を同胞sだと思っているのか!?
私も愛国者の端くれですがね、だからこそ、愛国者ゆえの「驕り」には、絶対に堕ちたくはない!なんと言われようとこの点だけは曲げない。曲げる理由は私には、
ない!
東北については全く知りませんが、琉球王国の歴史がわりと好きです。沖縄旅行に行った際の、空気も好きです。
首里城の異国な感じも。沖縄女性の美人さ♪も。本土女性にはない美しさを見ました。
鎖国したまま、自国の文化を守れたら良かったのに。本土に染まらない方が、あの自然と神様をお守りすることができたのではないか?、、と思っています。
驕りって何なのでしょうか?
私にはよくわかりません。
自信もって、独自の文化を貫けばよいはずが、やっぱり都会の汚れに染まって近代化したくなる、、、、この気持ちもよくわかるんです。
やっぱり、中央に染まりたいっていう気持ちをもってしまう気持ちも理解できるんです。
愛国者故の驕りってナニ?としか思えません。
驕りっていうのは、気が付かないから驕りなんです。気が付いたら驕りじゃない。
私になかにはね、たぶん恨みに近い怒りや悲しみが、沸々と煮えたぎってる。そして同じような思いを抱いている人は、おそらく日本中にいる。これをどうしたら昇華できるか、ずーと考えてる。
とりあえず今は対峙するしかないと思ってます。
この話はこれでおしまい。続けてもむなしくなるだけだ。
今日は夏菜子の誕生日、静かに祝いたい。
お願いします。
私には、兄じゃが[ももクロ以外は屁だ]みたいな記事を書かれると
>驕りというのはね、、、、
の文章をお返ししたくなります。ももクロちゃんたちはそんなおごったこと考えてないと思って。
沖縄は日本(本土)とは違うことに誇りをもったアイデンティティーがあって、明治前くらいまで独立王国であったのですから。
南国ならではの明るい歴史もあります。
私は沖縄が好きで、知事以上の権力を持てるならば、せいふぁうたきを禁足地に戻します。今すぐにでも。自分も観光がてら足を踏み入れてしまったことが申し訳ないです。
東北と沖縄は一緒くたに考えることが間違いです。
誰も東北のひと達に対して、お花畑だとか言ってるの見たことがない。
東北のひと達じゃなければ、揶揄されて良いのか?という問題でもないけど。
「どんな人たちでも揶揄されることは良くない事だ」っていう一般論の通りだと思います。
でも、お花畑と言われてる人たちが、兄者と同じような、悠久の歴史を感じて反発してるかどうかというと、私には違うように見えます。デモの人達は、もっと軽く見えます。最悪想定が怖くてできない、おバカな子供に見えます。この世は花畑で、普通に生きてる人を襲ってくるような連中など存在しないのだ☆と漫画の中に生きれることを信じてるみたいな。
悠久の歴史や、先祖の思いに馳せることができる人は、危険の意味も知らないデモみたいな行動に安易には走らないと思います。
始めてお花畑という言葉を聞いたのは、本家でのリー米でしたが、私には愛情のある表現だと思いました。かわいそうだ、しょうがないなあ、本当に、困った人達だ、、、という愛情ある表現に思えました。私には。