永保3年(1083)より寛治元年(1087)にかけて、奥州の覇権を争った後三年合戦。
源義家・清原清衡(後の藤原清衡)連合軍は、金沢の柵(秋田県横手市金沢)に立てこもる清原家衡・清原武衡の軍勢を攻めますが、難攻不落の金沢の柵はなかなかに落ちない。
そこで義家・清衡軍は金沢の柵を兵糧攻めにする策に出ます。
秋から冬へと季節は移り替わり、飢餓に苦しむ女子供らが柵から脱走してきます。源義家はこの者達を残らず捕らえ処刑します。
柵から出ても殺される。こうした恐怖を与えることで、柵の中に人々を釘付けにし、食料を早く食べつくさせようという作戦でした。
当時の武家の棟梁、源氏はこうした残虐なことを割と平気で行った。これがいくさだといってしまえばそれまでのこと。武士道とかなんとか言いますが、
現実はそんな甘いもんじゃない。
こうして愈々食料がつき、家衡・武衡らは柵に火をつけ脱出、武衡は逃走途中に討たれ、家衡は捕らえられ処刑されます。
こうして奥州の覇権は清原清衡。後の藤原清衡の手に渡り、清衡はいくさに明け暮れた己の生涯を顧み、二度といくさが起こらないよう、仏教による此土浄土を奥州に築こうとします。
それこそが奥州100年の都、黄金都市・平泉です。
ところでこの後三年合戦の際、義家軍が食料として持参し、藁の中に包んだまま放ったらかしにしていた大豆が発酵していました。
これを食してみるとなんとも美味!おわかりですね、これこそが
「納豆」誕生の瞬間だったのです。
納豆の発祥に我らが平泉が関わっている……もちろんこれは、諸説ある納豆発祥伝承の一つにすぎませんが、でも東北人は大概納豆が好きじゃないですか?納豆嫌いの東北人なんてあまり聞いたことがない。
それはおそらく、いや絶対
東北こそが、納豆発祥の地だからですよ。間違いない!キッパリ!
納豆の栄養価だとか効能だとか、そうした細かいことは、私は書きません。とにかく納豆は美味いし身体に良い。これで十分。
納豆は世界を救う。行けNATTO!世界の平和を守るため。
N・A・T・T・O、NATTO!
、皆さん、納豆を食べましょう。美味いよ~。
納豆カレーは美味い。
レシピは簡単。普通に作ったカレーに、普通にかき混ぜてネバネバにした納豆を、普通にぶっこめば良いだけの話。実に単純にして美味いったらありゃしない。
そこの疑いの目を向けているあなた!四の五の言わずに食べてみなはれ。あまりの美味さに悶絶するぞ~(笑)
納豆カレーは美味い!皆さん、納豆カレーを食べましょう。
納豆は世界を救う。行けNATTO、世界の平和を守るため。
N・A・T・T・O、NATTO!
岩手県南から宮城県にかけて、また山形県などでも食される納豆餅。これも美味い!
とにかく納豆は美味いのだ!!