風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

歌は世につれ

2018-07-01 09:09:23 | 日記





天野滋。1953年5月5日、岩手県一関市生まれ。

一関高専在学中に、同級生の平賀和人(ベース)らと、ロックバンド「サディスティック・ピンク」結成。ハード・ロック、プログレッシブ・ロックなどを主に演奏していたとか。

1972年、天野と平賀は、やはり同級生の中村貴之と3人で、フォーク・グループ「ニュー・サディスティック・ピンク」を結成。翌73年、ヤマハ・ポピュラー・ソング・コンテストに出場し、楽曲『あせ』がニッポン放送賞を受賞。同年6月、1stシングル『さようなら』でデビューします。


その際、「ニュー・サディスティック・ピンク」というグループ名はフォークに似合わないということで、頭文字をとって「NSP」というグループ名でデビューすることとなったのです。




74年には『夕暮れ時はさびしそう』大ヒット。その後も『赤い糸の伝説』などのヒット曲をリリース。叙情派フォークの代表的なグループとなっていきます。





1987年にNSPはその活動を休止します。天野氏はソロ活動を続けながら多くの歌手、アーティストに楽曲を提供します。提供した相手は堀ちえみ、斉藤由貴、高井麻巳子などのアイドルからchar、世良公則、円広志、前川清など実に多岐にわたっていました。




2002年、NSPは活動を再開しますが、天野氏は末期の大腸がんであることを宣告されます。


そして2005年7月1日。天野氏は療養中の病院にて脳出血を起こし死去。52歳でした。





天野滋氏の歌詞は、素朴で少々素人臭さすら感じさせることがありますが、日本の四季折々の風景や伝統行事、習俗などをさりげなく折り込み、題材としては天野氏と同世代の人たちの心情を歌いながら、普遍的でどこか懐かしい、「日本」を「日本人」を感じさせる。


そんな詞を書く方だったように思います。










『歌は世につれ』
作詞、作曲、天野滋
歌、NSP


街頭では学生たちが
マイクをもって声を上げる
決まりきったように政治の季節
どこかの店先に流行のメロディ

歌は世につれ僕は思う
燃え尽きそうな若さにしがみつこうと
いつでも いつでも


情熱を注ぐのはなんでもいいし
どれもこれもが1つの青春で
僕もこうしてギターを持って
LOVE SONGを口ずさむ

歌は世につれ人は誰でも
過ぎていった昨日にすがりついてる
いつでも いつでも


死にたい時も何度かあった
自分が嫌になることだって
泣き言だらけの僕のとなりに
君が笑ってすわっていて欲しい

歌は世につれ僕はおもう
足並みそろえすぎて流れてしまう
いつでも いつでも







天野氏はこの歌をステージ上で歌いながら泣いてしまい、曲が止まってしまったことがあるそうです。

この少ない語彙と短い歌詞の中に、どれほどの想いを込めていたのでしょう。



本日7月1日は、天野滋氏の御命日であります。我が郷土の詩人、アーティストに心よりの敬意と哀悼を込めて

この歌を捧げます。