お気楽忍者のブログ 弐の巻

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2023 お気楽行楽記総集編(7)

2023年12月18日 18時00分00秒 | 行楽・旅行記6

3月

近鉄四日市駅前(三重県四日市市)

用事のために三重県の四日市駅前に行った時の写真です。

四日市のゆるキャラ、こにゅうどうくんが掲げられた1番街商店街で掘り出し物(謎)を見つけました。

新名神高速 甲賀土山サービスエリア(滋賀県甲賀市)

四日市で夕食を済ませ、その帰りに寄った新名神高速 甲賀土山サービスエリア。コロナ禍の間は全く来てなかったから、3年以上ぶりでした。

5月にコロナも第5類感染症になることが決まり、お土産物売り場やフードコートは、コロナ禍前と変わらないくらいの人で賑わってましたね。

応仁の乱以来の衝撃! 宇治抹茶入り京都ブラックサンダー(激爆)

相変わらずぶっ飛んだコピーのブラックサンダーでした。

3月31日に新居本体が無事完成し、引き渡し式がありました。式には施工会社の方々が集まってくれて、金ピカに輝くハサミで初めてテープカットしました(笑)

旧宅の解体が6月から始まるから、4, 5月はひたすら引っ越しの日々でした~。

4月

水口城址(滋賀県甲賀市)

江戸期、徳川の直轄地となった水口は東海道の宿場町(水口宿)に指定され、3代将軍家光が寛永11年(1634年)の京上洛の際の宿館として水口御殿(本丸御殿)を築かせ、これが水口城(水口御茶屋)となりました。

天和2年(1682年)に加藤明友が2万石で入城して水口藩が成立し、水口城は同氏の居城となりましたが、本丸御殿は家光の上洛後は一度も使われることなく、天守閣を持たない水口城は明治維新で廃城となりました。

近江鉄道 城南駅(滋賀県甲賀市水口町)

水口城址近くの近江鉄道 城南駅前のしだれ桜

近江鉄道は旧彦根藩士族と有力な近江商人を中心に鉄道会社を設立し、明治31年(1898年)に彦根-愛知川間、明治33年(1900年)に彦根-貴生川間が開業しました。

水口神社(滋賀県甲賀市水口町)

水口神社は垂仁天皇の時代に稲田姫命がこの地で4年間神鏡を奉じるとともに大己貴命を神鏡守護の神として祀ったのに創まると伝えられてますが、伊勢神宮鎮座の伝承を下敷きにした後世の造作と考えられてます。

『日本三代実録』では貞観元年(859年)に従五位下から従五位上に昇叙されたことが見え、延喜の制で国幣小社に列したことが記されている、古いお社です。

鮎河千本桜(滋賀県甲賀市)

仕事帰りの夕暮れ、甲賀市土山町の山の中にある鮎河地域を流れるうぐい川を訪れました。

うぐい川の両岸や近くの青土ダム湖畔周辺には多くの桜の木が立ち並び、俗に「鮎河千本桜」と呼ばれます。

今年は桜まつりが再開されるかなと思ったんですが、まだコロナの影響もあって。祭りに向けた準備が整わず、止む無く中止となりました。

浄土宗勝寶山 大福寺(滋賀県甲賀市)

こちらも仕事帰りに立ち寄った大福寺。

鎌倉時代にこの地域の地頭だった岩室家俊の古道場であったのが興りで、元和年中(1615-1635年)には京の黒谷金戒光明寺の末寺となり、寛永19年(1642年)に京都知恩寺第37代管長の阿心上人がこの地に本堂を建て隠棲されたことから浄土宗寺院となりました。

境内いっぱいに枝を張った徳本桜と呼ばれるこの枝垂れ桜は江戸時代の文化2年(1806年)に、徳本上人がこの地に立ち寄った際、信者となった人たちの集まりである徳本講の世話人が植えたそうで、樹齢は200年を超えているそうです。

つづく

過去記事<2023 お気楽行楽記総集編(6)

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