水口城址 滋賀県甲賀市水口町本丸
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東海道五十三次の50番目の宿場町だった水口宿。
残す石部宿、草津宿、大津宿を抜ければ京に至ります。
数日前、水口でタモリさんを目撃したとの話を聞きました。ブラタモリのロケかな
さて、現在の滋賀県甲賀市水口町の市街中心部にあるのが、県指定史跡に指定されている水口城址。
かつて、水口岡山城主だった秀吉五奉行のひとり長束正家は関ヶ原の戦いで敗れ自害、その後水口岡山城は廃城となりました。
江戸時代、徳川氏の直轄地になった水口は東海道の宿場町になり、3代将軍家光が京上洛の際の宿館として、寛永11年(1634年にその道中の水口に築かせたのが水口城(水口御茶屋、水口御殿)です。
実際は1回しか使われなかったそうですが・・・
天和2年(1682年)には加藤明友が2万石で入城し、水口藩が成立。水口城を居城としましたが、本丸御殿は使わず、二の丸で政務を行いました。
明治維新後に廃城となり、その石垣は近江鉄道の線路の敷設に使われたそうです。
石垣の遺構が残る出丸跡(大手外枡形虎口部分)を整備修復し、廃城後に民家へ移築されていた本丸乾矢倉(写真)を再移築し、今は水口城資料館となってます。
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