6月21日
滋賀県東近江市にある『滋賀県平和祈念館』を訪れました。
滋賀県における戦争被害のことを全く知らなかったから、とても興味深く見学することができました。
1873年(明治6年)1月に施行された徴兵令。
男子は満20歳で徴兵検査を受け、合格者の中から抽選で、3年間は常備軍、その後4年間は後備軍として兵役に服しました。また、17歳から40歳までの男子を国民軍の兵籍に登録することも定められていました。
戦地へ赴く若者を壮行する出征幟(出征旗)
これはあかん・・・明るく晴れやかなデザインがかえって悲し過ぎる
兵役は国民の義務だった時代、出征は喜ばしく名誉なこととして扱われていました。出征幟が晴れやかな雰囲気に満ちているのはそのためでしたが、裏を返せば、もし戦いで命を落としてしまったら、その若者の人生の中でお祝いしてもらえるのはこの機会しかないってことですから。。。
滋賀県と戦争コーナー
滋賀にゆかりのある人々から寄贈された戦争体験談や資料・遺品の展示コーナーでは県民が体験した戦争の記憶を知ることができました。
シベリアに抑留されていた人や従軍看護師を務められた方からの寄贈品
国家総動員
昭和13年(1938年)に公布された国家総動員法。
国家総動員とは、「国の全力を最も有効に発揮せしむる様人的及物的資源を統制運用する」と定義されました。すなわち、政府が国の経済や国民生活を全て統制できる権限を持つという法律で、政府は議会承認を得なくても、勅令として自由に法律を制定できるようになりました。
当時の一般住宅の様子
電灯の傘に黒い布が巻かれ、光が外に漏れないようになってますね。
弾丸や戦闘機などを作るために金属は供出され、陶器などで代用された生活用品。
焼夷弾の燃え方と消火方法
こんなことまで覚えておかないといけなかったのか
海軍志願兵募集のポスター
昭和21年採用って書いてあるので、もう戦争末期のものですね。
近江八幡への空襲で米軍が使用した焼夷弾と機銃弾
寄贈者のお母さんが亡くなった水田で、お父さんが拾われた機銃弾。想像するだけで胸が痛みます
つづく
過去記事<平和の燈(ともしび)>
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