滋賀県甲賀市水口町にある標高282mの古城山(大岡山)。
少し時間があったから、山の南西側の登山道をブラブラ散策です。
この古城山の山頂にはかつて水口岡山城がありました。
天正13年(1585年)に豊臣秀吉が甲賀郡と蒲生郡の一部を支配させるために、家臣の中村一氏に命じて水口岡山城を築かせました。
水口の町が東海道五十三次の50番目の宿場に指定されるのは徳川時代に入ってからですが、すでに室町時代から宿場の機能を有していたようで、眼下に東海道の要衝を見渡せる場所を押さえておくという秀吉の戦略的な意図は明らかですね。
水口岡山城縄張図・・・竹が邪魔だ・・・
前進あるのみ!!
登山道には所々に仏像が安置されてました。
第二十二番 補陀洛山総持寺 千手千眼十一面観世音菩薩・・・
どうやらこの仏様たちを拝んでいけば、西国三十三か所を回ったのと同じ功徳を積むことができるというものみたいですね。
えっちらおっちらと登り坂を進みます
がんばれ~!!
公園に出ました。
お母さん二人が小さい子供たちを遊ばせてました。
管理人、ここまで登るだけで結構息が上がってるのに、子供は元気だなぁ。。
山の中腹にある平らに開けた場所なので曲輪(くるわ)跡でしょうね。
招魂碑
さらに150mほど進むとお社がありました。
続きはまたあらためて
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いつも有り難うございます
水口は、歴史古い所だと聞いていました、
甲賀郡の事は分からないのですが、
昔の蒲生郡は、日野 蒲生 竜王 野洲 八幡
安土と広域だったと聞いています、
ブログの中で、水口岡山城とありますが、
近江八幡市にも、びわ湖よりで
岡山学区に 岡山城があったと聞きました
日野川の下流の方です、小さな山があり
その上にお城があったそうで、それは秀吉より
もっと古くにあったそうで、水口岡山城と
関係があるのでしょうか?
拝読させて頂き、思い出した次第です😅
又、続きをお待ちしています😃。
コメントありがとうございます。
近江八幡の岡山城は水茎岡山城とも呼ばれていて、水口岡山城より80年くらい前の南北朝時代に佐々木氏によって造られた城です。
琵琶湖の水上警備の役割もあったそうですよ。
いつもありがとうございます・
そうそう、湖周道路近くに老人介護施設
「水茎の里」があります、
良く、ご存知ですね、岡山城のこと❗😆。
そんな名前の施設もあるのですね。
滋賀って中世の時代は歴史の表舞台でしたからね。
実は滋賀って社寺数も全国の都道府県の中でトップクラスなんですよ!
いつもありがとうございます。