曇天寒空の中、東武玉ノ井(現・東向島)で下車、向島百花園に遊ぶ。柴門を入ってすぐ左側の植え込みに、亀田鵬斎(ぼうさい)の《墨陀梅荘記碑》がある。この碑のことは、先月5日に脳腫瘍で亡くなった渥美國泰の旧著をかつて読んで詳しく知るところだったが、これまでじかに見る機会に恵まれなかった。
碑の中に次のような一節が見えた。
一夕月下、酌酒賞之、遂酔而寝、忽夢一大姫自称花嬢、率一百美女而來
(意味)
ある夕月夜、酒を酌み交わして花を賞で、つい酔って、園内で寝てしまったことがある。たちまち夢を見た。一人の美姫が「花嬢」と名乗り、百人の美女を率いてやって来たのだ。
狂想逸脱の儒者、亀田鵬斎らしい文である。このあと、夢の中で鵬斎は「花嬢」なる姫と会話を交わすが、咳払いが聞こえて目を醒ますと、園主が花々の手入れをする後ろ姿が暗闇の中にぼんやり見えるばかりで、他に誰もいない。「先生はこの世ならぬものをご覧になっていたのではないですか。長いこと呻いておられましたが」と園主が鵬斎に問う。鵬斎は夢の中で、「花嬢」という姫に「梅花顛」というあだ名をもらったが、「廃人になるほどに梅花を愛してやまない人」という意味のこのあだ名は、私よりもむしろあなたに相応しいのではないですか、と園主に告げて帰った、とのことだ。
この園主こそ、一代で財を築き、向島百花園を文化元年(1804)に開園した、佐原鞠塢(きくう)のことである。
碑の中に次のような一節が見えた。
一夕月下、酌酒賞之、遂酔而寝、忽夢一大姫自称花嬢、率一百美女而來
(意味)
ある夕月夜、酒を酌み交わして花を賞で、つい酔って、園内で寝てしまったことがある。たちまち夢を見た。一人の美姫が「花嬢」と名乗り、百人の美女を率いてやって来たのだ。
狂想逸脱の儒者、亀田鵬斎らしい文である。このあと、夢の中で鵬斎は「花嬢」なる姫と会話を交わすが、咳払いが聞こえて目を醒ますと、園主が花々の手入れをする後ろ姿が暗闇の中にぼんやり見えるばかりで、他に誰もいない。「先生はこの世ならぬものをご覧になっていたのではないですか。長いこと呻いておられましたが」と園主が鵬斎に問う。鵬斎は夢の中で、「花嬢」という姫に「梅花顛」というあだ名をもらったが、「廃人になるほどに梅花を愛してやまない人」という意味のこのあだ名は、私よりもむしろあなたに相応しいのではないですか、と園主に告げて帰った、とのことだ。
この園主こそ、一代で財を築き、向島百花園を文化元年(1804)に開園した、佐原鞠塢(きくう)のことである。
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