荻野洋一 映画等覚書ブログ

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梅本洋一葬儀、早咲きの桜

2013-03-21 16:50:48 | 記録・連絡・消息
 急逝した梅本洋一の通夜が3月18日、告別式が翌19日におこなわれた。通夜告別式は青山葬儀所、火葬は桐ヶ谷斎場。一夜明けたが、いまだ夢の穴のなかというか、別の現実が始まってしまったような感覚である。このブログにしても、梅本さんが毎回読んでくれることを想定してこれまで書いてきたので、今夜は、ぽっかりと空いた穴に向かってブログを書いている気分である。

 通夜、告別式ともに、こう言ってはなんだが、すばらしい会だった。読経や焼香など宗教的行事は一切なく、弔辞と献花、黙祷、音楽だけで構成された儀式。言葉というものを信じてやってきた批評家らしい儀式だった。死者と生者の双方を慰撫するものとして、葬儀は人間社会のもっとも重要な儀式であるが、その点で生涯忘れられない時間が形成されていた。
 通夜の弔辞──黒沢清、樋口泰人、安井豊作、荻野洋一、稲川方人。海外からの代読はジャン=フランソワ・ロジェ、ジャンヌ・バリバール、セルジュ・トゥビアナ。喪主あいさつ梅本安美。告別式の弔辞──蓮實重彦、松本正道、松浦寿輝、青山真治、北山恒。海外からの代読はジャン=マルク・ラランヌ、アルノー・デプレシャン、ティエリー・ジュス。喪主あいさつ梅本安美、そして中学二年生のご長男・梅本健司君のあいさつ。
 不肖私のものはともかく、すべての方の弔辞のなかに重要な言葉が溢れんばかりに出ていたし、涙なしに聴くことは不可能であった。黒沢、青山という実作者からのオマージュは、批評家という職分に対する最高の賛辞となっていた。

 最後になりましたが、このような故人にふさわしい葬儀を企画し、大きな大きな輪を作ってくれた若い方中心の関係者のみんなに、感謝と賛意を表します。そして、急逝の当日と葬儀両日にわたりお世話になった佐藤公美さんのご配慮に感謝致します。


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1 コメント

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早咲きの桜 (中洲居士)
2013-03-21 16:51:58
 青磁の骨壺に入った梅本さんが無言の帰宅を果たすマイクロバスに同乗し、あるじなきお宅にみんなでお邪魔した。舞台の本番直前の青山さん、香港映画祭出席の黒沢監督が乗っていないのが寂しかったが。
 バスはかむろ坂を上がり、目黒の補助26号線に入る。隣席の中原昌也さんが「あ、このまずいラーメン屋知ってる!」とつぶやいた。11年前までこのあたりに住んでいたので、このラーメン屋のまずさを私も知っている。
 そしてあれは1997年11月のことだ。パリの秋の芸術祭に出席していた梅本さんが帰国直後の夜に、この補助26号線まで車を飛ばし、ジョホールバルの日本vsイラン戦の録画ビデオを借りに来た。代わりにおみやげのチーズを置いていった。日本のW杯初出場の報道は、「レキップ」紙で知ったそうだ。ティエリーら「カイエ」の人たちからも「おめでとう」と言われたとのこと。
 マイクロバスは、われら仲間たちを乗せて梅本邸に向かっている。安美さんが「桜、もう咲いちゃってるね」と車窓の外を見ながら言った。私たちは、2013年3月のこの早咲きの桜を、生涯忘れることはないだろう。
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