アレクサンダー・ペインは、初期の『ハイスクール白書 優等生ギャルに気をつけろ!』(1999)以後は、『アバウト・シュミット』(2002)、『サイドウェイ』(2004)、そして今回の新作『ファミリー・ツリー』と、たった3本しか長編映画を監督していない。はた目から見たところリスキーな作風ではないが、どうしてこれしか撮っていないのだろう。
モーターボート事故で昏睡状態に陥った妻の浮気判明をはじめ、祖先から引き継いだ固定資産の売却、娘たちとの関係修復など、主人公(ジョージ・クルーニー)には、むずかしい問題が折り重なっていて、当然のごとく主人公は、終始浮かない顔をしている。アレクサンダー・ペインという映画作家は、上記の過去作品もそうだったが、苦虫を噛み潰している状態にとどまるという志向があるようだ。まじめに働く人間にとって人生というものは、いやもっと卑近に、生活というものは、単に幸福であることはない代わりに、単に悲惨であることもない。そのはざまで楽天と悲観が織り上げられる。楽園の中にもペイン(苦痛)はある。ジョージ・クルーニーが作中で言うように、マイ・ラヴ、マイ・ジョイ、マイ・ペインである。
そして『アバウト・シュミット』『サイドウェイ』でも実行されてきた、旅先におけるその土地の歴史性や風物に寄り添った道行きが、この『ファミリー・ツリー』にも転移している。トラベル・ガイドすれすれの土地への教条的な言及は、作者を一見あか抜けない説明主義者に見せるが、「これはやっておかねばすまぬ」という作者のロケーションに対する奇妙な儀式として、毎度受け取るべきだろう。自分たちアメリカ人が先住民族を殺戮し、彼らの土地を横取りした侵略者であるという認識を、自明の上にさらに上塗りする。その愚直な姿勢が、主人公たちのちっぽけな生をいかばかりか救済するとでも言いたげな、そういう懇願の儀式ではないだろうか。いや、実際にはそれは救済への懇請などという意図以前の、もっと慎ましい心情かもしれない。
『ハイスクール白書』のすばらしさには依然として達していないとはいえ、これはこれでかなり好感の持てる、ペインらしい「苦痛を伴った喜劇」である。
TOHOシネマズ日劇ほか全国で上映中
http://www.foxmovies.jp/familytree/
モーターボート事故で昏睡状態に陥った妻の浮気判明をはじめ、祖先から引き継いだ固定資産の売却、娘たちとの関係修復など、主人公(ジョージ・クルーニー)には、むずかしい問題が折り重なっていて、当然のごとく主人公は、終始浮かない顔をしている。アレクサンダー・ペインという映画作家は、上記の過去作品もそうだったが、苦虫を噛み潰している状態にとどまるという志向があるようだ。まじめに働く人間にとって人生というものは、いやもっと卑近に、生活というものは、単に幸福であることはない代わりに、単に悲惨であることもない。そのはざまで楽天と悲観が織り上げられる。楽園の中にもペイン(苦痛)はある。ジョージ・クルーニーが作中で言うように、マイ・ラヴ、マイ・ジョイ、マイ・ペインである。
そして『アバウト・シュミット』『サイドウェイ』でも実行されてきた、旅先におけるその土地の歴史性や風物に寄り添った道行きが、この『ファミリー・ツリー』にも転移している。トラベル・ガイドすれすれの土地への教条的な言及は、作者を一見あか抜けない説明主義者に見せるが、「これはやっておかねばすまぬ」という作者のロケーションに対する奇妙な儀式として、毎度受け取るべきだろう。自分たちアメリカ人が先住民族を殺戮し、彼らの土地を横取りした侵略者であるという認識を、自明の上にさらに上塗りする。その愚直な姿勢が、主人公たちのちっぽけな生をいかばかりか救済するとでも言いたげな、そういう懇願の儀式ではないだろうか。いや、実際にはそれは救済への懇請などという意図以前の、もっと慎ましい心情かもしれない。
『ハイスクール白書』のすばらしさには依然として達していないとはいえ、これはこれでかなり好感の持てる、ペインらしい「苦痛を伴った喜劇」である。
TOHOシネマズ日劇ほか全国で上映中
http://www.foxmovies.jp/familytree/