音楽を、特にロックミュージックを私が真剣に聴いたのは、ローティーンからミドルティーンの間のほんの数年に過ぎない。その頃は「Fool's Mate」「ZigZag East」「Rockin' on」など何冊かの音楽雑誌を毎号買って隅から隅まで読んだし、西池袋の「サウンドボックス」という結構揃っている貸しレコード屋に日参して、録音カセットの山を自室に築いた。高校受験の選択を新宿区内にしたのも、放課後に新宿西口の輸入盤屋やブートレグ屋に通いやすいという動機が大きく、音楽批評は、小説よりも漫画よりも私の最大の愛読分野だった。
ところが高校入学後、いつの頃か自分は音楽とは縁遠い存在だ、リスナーとして失格だという気がしてきたのだ。ちょうどこの倦怠的な気分と、ゴダール、トリュフォー、大島渚らの映画作家との衝撃的な出会いとが相前後したため、“そっちがその気なら、こっちからも願い下げだ”、という偏狭な心を音楽に対して抱いてしまった。
そして現在、私と音楽との接点は、朝食時のBGMか、地下鉄でのイヤホンから聞こえてくるシャカシャカした音源か、仕事で担当するTV番組などの選曲・音効作業か、その程度になってしまっている。その後も、気になるアーティストの自伝やら伝記やらを時々買ってはみたけれども、最後まで読み通した本は一冊もなく、何人かいる親しい音楽批評家たちの皆さんが上梓した著書も、失礼だがこれといって読んでいない。音楽と無関係だった大学時代、ある友人宅の書棚の一番取りやすい場所にジョン・ケージの『小鳥たちのために』が立て掛けてあるのを発見して、こそばゆいようなまぶしいような気持ちを持ったことを記憶している。
ところが今、『宇宙の柳、たましいの下着』(直枝政広著 boid刊)という、一冊の出来たてのほやほやの本を手にして、何やらワクワクしている自分を発見してしまった。ページをめくりつつ、いわゆる「ミュージシャン本のつまらなさ」とは完全に一線を画していると直感してしまったのだ。これは凡百のミュージシャン本とは一線を画し、古今の英米ロックについての豊饒なるディスクガイドとなっているのだ。あぁ、これでここ25年くらいすれ違ってきたとしか言いようがないロックミュージックとのリコンシリエーションが、ついに成し得てしまうのだろうか、というほのかにして大袈裟なる期待感が、全身をゆっくりと流れてゆくのを感じている。
私が生まれて初めて買ったアルバムは、当時日本でもヒットしていたポール・マッカートニー&ウィングスの『London Town』だったのだが(いや実際にはその前に、スーパーカーのイグゾーストノート集みたいな音源アルバムを買ったが)、著者が何の韜晦もなくポールの音楽について、まるでジョン・フォードの西部劇について書くかのごとく慈愛に満ちた筆致で書いているのを読み、つい勇気づけられて同アルバムをiTunes Storeでダウンロードしてしまった。
ところが高校入学後、いつの頃か自分は音楽とは縁遠い存在だ、リスナーとして失格だという気がしてきたのだ。ちょうどこの倦怠的な気分と、ゴダール、トリュフォー、大島渚らの映画作家との衝撃的な出会いとが相前後したため、“そっちがその気なら、こっちからも願い下げだ”、という偏狭な心を音楽に対して抱いてしまった。
そして現在、私と音楽との接点は、朝食時のBGMか、地下鉄でのイヤホンから聞こえてくるシャカシャカした音源か、仕事で担当するTV番組などの選曲・音効作業か、その程度になってしまっている。その後も、気になるアーティストの自伝やら伝記やらを時々買ってはみたけれども、最後まで読み通した本は一冊もなく、何人かいる親しい音楽批評家たちの皆さんが上梓した著書も、失礼だがこれといって読んでいない。音楽と無関係だった大学時代、ある友人宅の書棚の一番取りやすい場所にジョン・ケージの『小鳥たちのために』が立て掛けてあるのを発見して、こそばゆいようなまぶしいような気持ちを持ったことを記憶している。
ところが今、『宇宙の柳、たましいの下着』(直枝政広著 boid刊)という、一冊の出来たてのほやほやの本を手にして、何やらワクワクしている自分を発見してしまった。ページをめくりつつ、いわゆる「ミュージシャン本のつまらなさ」とは完全に一線を画していると直感してしまったのだ。これは凡百のミュージシャン本とは一線を画し、古今の英米ロックについての豊饒なるディスクガイドとなっているのだ。あぁ、これでここ25年くらいすれ違ってきたとしか言いようがないロックミュージックとのリコンシリエーションが、ついに成し得てしまうのだろうか、というほのかにして大袈裟なる期待感が、全身をゆっくりと流れてゆくのを感じている。
私が生まれて初めて買ったアルバムは、当時日本でもヒットしていたポール・マッカートニー&ウィングスの『London Town』だったのだが(いや実際にはその前に、スーパーカーのイグゾーストノート集みたいな音源アルバムを買ったが)、著者が何の韜晦もなくポールの音楽について、まるでジョン・フォードの西部劇について書くかのごとく慈愛に満ちた筆致で書いているのを読み、つい勇気づけられて同アルバムをiTunes Storeでダウンロードしてしまった。