荻野洋一 映画等覚書ブログ

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黒田清輝『マンドリンを持てる女』

2007-04-29 10:24:00 | アート
いま東京で見られる中で、とびきり美しい絵画について語ろう。
 
 黒田清輝の1891年(明治24辛卯)の作品『マンドリンを持てる女』。日本の近代肖像画では、中村彝『エロシェンコ氏の像』(1920)、竹久夢二『山・山・山』(1927)、藤島武二『匂い』(1915)と並んで素晴らしい傑作ではないだろうか。ソシエテ・デザルティスト・フランセ入選時代の作だから、下宿屋のマダムを描いたものだろうか、モチーフの詳細についてはよく知らないのだが、胸元を微妙なラインまではだけつつ、ソファの背もたれに枕を載せて凭れる女の姿勢が静かに放射するエロティシズムに、しばし立ち止まってしまうこと必至の作品である。

 おそらく同じように打たれて立ちつくす輩が、そばに1人や2人はいるかもしれない。疼きのようなものを感じていることに赤面しつつ、足早にその場を立ち去ってみたものの、その十数秒後にはどこか物陰からまた盗み見たくなってしまう。『マンドリンを持てる女』には、そういう抗しがたい魅力がある。女が放つエロティシズム、とさっき書いたが、実際にはそうではなく、いままさに描かれようとする作品の側から放たれてしまうであろうエロティシズムに対し、むしろモデルの女の方が、前もってたじろいでいるかのようである。
 とにかく、この1枚だけのためにわざわざ美術館に赴くだけの価値はあると約束する。

東京国立博物館・本館1階(18室)にて展示中。ただしこの絵の展示期間は5月6日(日)まで。
http://www.tnm.jp/jp/

ロストロポーヴィッチの死

2007-04-28 17:37:00 | 音楽・音響

 すでに報道されているように、ムスチスラフ・ロストロポーヴィッチが27日、モスクワ市内の病院で死んだ。享年80歳だから悲しみというよりも、淋しさが強い。
 ロストロポーヴィッチといえば莫大な作品群の中で、やはりバッハの無伴奏チェロがまず挙げられるだろうが、ブレジネフ政権下に亡命する以前のソ連での活動を纏めた13枚組BOX『the russian years 1950-1974』の気迫に満ちた数々のトラックが捨てがたい。

『NANA』 大谷健太郎

2007-04-28 02:24:00 | 映画
 『NANA』に対しては、やや冷淡な評価を下すことしかできない。少女2人の関係性に絞った点はよいが、だからといって何かが描けているとはいえない。ライブシーンも魅力に乏しく、学芸会のような演技合戦が延々と続き、エキストラの様子も烏合の衆と化している。40億稼いだからといって、ムードに流されることなく凡作であると断じるべきである。大谷健太郎の作品は『アベック・モン・マリ』以降は一応全部見ているが、徐々に悪くなっている。即席ラーメンかファーストフードみたいな味になってきた。大谷健太郎には相当の奮起が必要である。

 ただ、唯一いいと思った点は、「ハチ」を演じた宮崎あおいのナレーション。回想的に「ねえナナ、覚えてる? あなたはあの時○○だったよね」と反復していく。このナレーションがいったい何年後の未来時制から語りかけているのかは不明だが、おそらくこのナレーションの時点では、もうこの少女たちは現在ほど幸福ではなくなっているのだろう、と想像させる。
 これは、大島渚『儀式』における河原崎健三のナレーション「律子さん、覚えていますか? あの時ぼくは…」と繰り返す形式に似ている。河原崎健三が演じた『儀式』の主人公・満洲男は、「非凡」を代表しつつ滑稽かつ荘厳な死を遂げた従兄の輝道(中村敦夫)に対して、『NANA』のハチ同様、「凡愚」を自ら引き受けることで、「総括者」の名誉を保留したのだ。

『ボルベール〈帰郷〉』 ペドロ・アルモドバル

2007-04-28 00:06:00 | 映画
 先月、バルセロナにロケで訪れた折、百貨店「エル・コルテ・イングレス」のCD売場でペドロ・アルモドバルの新作『ボルベール』のサントラを購入した。表題の"Volver"といえば、アストル・ピアソラと並ぶアルゼンチン・タンゴの巨匠カルロス・ガルデルの名曲だが、本作ではモントジータの最高のギターにエストレーリャ・モレンテの最高のボーカルが渋く聴かせる。再来月の日本公開が楽しみだ。

『ボルベール<帰郷>』6月30日TOHOシネマズ六本木ヒルズ他でロードショー
http://volver.gyao.jp/

『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』 松岡錠司

2007-04-27 23:25:00 | 映画
 『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』を見、松岡錠司の相変わらずのうまさに舌を巻く。ストーリーテリングはさしてスムースとは言えないが、感情の起伏を描く一挙手一投足にまったく無理がない。

 だが、松岡作品で最も評価しているのは、2003年公開の『さよなら、クロ』である。あの他愛ないペット映画での作者の冷めた視線は高く評価されねばならない。生徒たちが冒頭すぐの後夜祭で仮装行列の衣裳小道具を火にくべる行為が、ラストで用務員役の井川比佐志によって服喪として反復されるあたりは、いかにも松岡的な秀逸な部分であった。
 あの主人公の黒犬は、生徒たちにとって、おそらく青春の証人というよりその逆で、青春の臨終を看取りにくる検死官のような存在、たとえばジョゼフ・ロージー監督『夕なぎ』におけるリチャード・バートンのような存在なのではないだろうか。そういうドス黒い何かを提示しながら、あれだけ透明な作品として仕上げるあたりも流石であった。