まさか冒頭でいきなり主人公ニシノユキヒコ(竹野内豊)がトラックに轢かれて死んでしまうとは、びっくりさせられた。原作を読んでおらず、あるドン・フアンの女性遍歴という事前知識しか持たずに見たため、最初は、交通事故にあって入院した先でナースとの恋愛でも始まるのだろうと予想したのだが、その安直なる予想は大きくはずれることになる。ある夏の午後、みごとにジャック・リヴェット的な疾風が吹いたのを合図に、ニシノユキヒコの亡霊が女子中学生(中村ゆりか)の前に忽然と出現するのである。清順タッチのリヴェット映画?
翌日、江ノ電に乗った少女と亡霊が向かうのは、ニシノユキヒコ自身の葬儀会場である。真夏の白昼、黒い喪服を着て集まった大勢の女たち。おそらく全員、ニシノユキヒコと関係した女たちだ。こんどはトリュフォー? 葬儀会場で出会った和装の喪服を着た年配女性(阿川佐和子)が、少女にニシノユキヒコの恋愛遍歴を語って聴かせる。合図として阿川が少女に手渡すのは「カンロ飴」か味覚糖の「純露」か、ようするにありふれた琥珀色のあめ玉にしか見えないが、私の推定では、どうやらあれがあやしい。リヴェットの『セリーヌとジュリーは舟で行く』でトリップ用に使用されていた服用物を、映画ファンという設定の阿川佐和子が個人的に輸入していたとしか思えない。ところが回想的ナラタージュという話法に対して、監督が参考にしたのはサシャ・ギトリの『とらんぷ譚』だというから痛快である。じつは先週に六本木で本作を見たのだが、すぐに再見したくなり、今週は新宿で見てしまった。可愛らしくて可笑しくてせつない、そして残酷な映画。
ファーストシーンの竹野内豊と麻生久美子のカフェテラスの長回し、あるいはニシノの事故を目撃した松葉杖の女(藤田陽子)の呆然とした顔のアップなど、最初のほうは正面ショットが少し生煮えで、スタンプ的ではないかという感想を持ったが、徐々に調子を上げる。横浜のシネマ・ジャック&ベティから出てくる客を正面からとらえたショット。それからニシノユキヒコの住む、どうやらお茶の水ニコライ堂あたりとおぼしきマンションの2台のエレベータを正面からとらえたショット。こういうのがすごくいい。ただ建物の出入り口を正面から漫然と撮っているだけに見えるのに、妙にいいのだ。たぶんそれらが、『リュミエール工場の出口』(1895)の原初的魔力からパワーを得ているからだろう。
井口監督の前作『人のセックスを笑うな』(2008)が公開された少し後だったと記憶するが、東京日仏学院で井口監督とジャック・ドワイヨンのトークディスカッションがあった。ドワイヨンは「ファーストテイクなんぞ犬に喰わせろ」と怪気炎を上げていたが、井口監督はファーストテイクのみずみずしさは捨てがたいと主張していた。今回の『ニシノユキヒコの恋と冒険』がファーストテイク中心に作られた映画なのかどうかは分からない。でも、ドワイヨンや溝口のように偏執的にテイクを重ねて練り込んだものではないように思う。トリュフォー映画でさらっと歌われたジャンヌ・モローの「つむじ風」の歌声のように、ひょいひょいと積み上げられていったカットの集積なのではないか。つむじ風……そう、最も映画的な気象とは、第1に風、第2に木漏れ陽、3・4がなくて5に嵐である。
P.S.
先述の日仏イベントの打ち上げ後の路上で、井口監督が「じつは私、荻野さんの映画を手伝ったことがあるんですよ」と打ち明けてくださった。まったくもって光栄なことであるが、むかし、拙作の音声ミキシング作業を鈴木昭彦さんのいたスタジオでやってもらった時、成人してまもない彼女は鈴木氏の助手だったのだそう(鈴木氏は『人のセックスを笑うな』『ニシノユキヒコの恋と冒険』で撮影を担当している)。知らぬ間に縁ができているものだ。あの仕上げの際はじかには会っていないと思う。知らぬ間の縁やすれちがい、出会い、別れなど、私たちの生も少しずつニシノユキヒコたちの生と似ている。
渋谷HUMAXシネマ(東京・渋谷公園通り)ほか全国で公開中
http://nishinoyukihiko.com