荻野洋一 映画等覚書ブログ

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ハロルド・ピンター作『誰もいない国』 ナショナル・シアター・ライヴ2017

2017-10-03 06:50:28 | 演劇
 TOHOシネマズ日本橋など全国数カ所だけで上映されたナショナル・シアター・ライヴの『誰もいない国(No Man's Land)』を見に行った。イギリスの劇作家ハロルド・ピンターが1974年に発表した戯曲で、当時はまだイギリスに検閲があったため、じつに曖昧模糊としている。
 2時間半の芝居は2幕に分かれるが、舞台は老作家の自宅の居間のみ。どうやらロンドンの富裕層が多く住むハムステッド・ヒースの近くらしい。老作家とパブで意気投合した詩人を名乗る老人が、2人して作家の自宅に入ってくる。2人は興に乗ったまま、昼酒の続きをたしなむ。この家には家族はおらず、老作家の身の回りの世話をする2人の若い男がいる。この2人は、突然の客人を丁重にもてなしたり、乱暴に扱ったりと、時によって態度がころころ変わる。若い男たちのしゃべり方は、演じた俳優の述懐によれば、サッカーチーム、ミルウォールの1970年代サポーターのしゃべり方を体得して臨んだとのこと。ようするにフーリガンである。この戯曲からまもなくして、イギリスはパンク=ニューウェイヴの時代が来る。その直前の英国病の鬱屈ということか。
 居心地の悪い会話、楽しい会話、ギスギスとした口げんかが代わる代わる展開される。詩人を名乗る客人はもうずいぶんと侮辱されたはずだが、いっこうに帰る気配がない。当然である。この家には充実したホームバーがしつらえられており、タダで良質なウィスキー、ウォッカが飲み放題だからだ。
 芝居は2時間半のあいだ、ずっと曖昧模糊としたままだ。この作品は何なのだろう。考えながら見続けた。検閲のためか、非常に分かりづらい描写だが、ここに登場する老若4人の男たちはおそらく全員がホモセクシャルだろう。もちろん同性愛を示す描写はほのめかしでしかないが、ハムステッド・ヒースで男同士が出会うというのは。そして彼らはいずれも精神的な疾患を患っており、人格が一定しない。また、昼間からウィスキーを何杯もお代わりしている。夜となり、朝となって、起きるとまた彼らはグラスに酒を注いで、思い出話のような、空想の連鎖のような、狂気の披露のような会話を再開する。老作家と老客人をパトリック・スチュワートとイアン・マッケランが相手の出方を窺うように演じる。つまり、映画『X-MEN』のシリーズでプロフェッサーXとマグニートーを演じてきた二人だ。片やミュータントと人類の和合を信じて学園を創設した学者、片やホロコーストの生き残りで、ミュータントが殲滅されないためには人類の殲滅も辞さないというテロリストの長。その二人が今や、ロンドンの豪邸で酒浸りとなり、混乱した「竹林の清談」に花を咲かせている。
 私たち映画ファンにとって、ハロルド・ピンターとは、赤狩りでハリウッドを去ってイギリスで映画を撮り続けたジョゼフ・ロージー監督の盟友としてその名を覚えたものだ。『召使』『できごと』『恋』に熱狂した。と同時に居心地の悪さをも抱いた。今回の『誰もいない国』で抱く居心地の悪さは、それとまた別種のもののように思える。何なのか。
 ピンターというと、2012年に東京・初台の新国立劇場で見た『温室』の鮮烈さが記憶に新しい。演出の深津篤史は、この上演のあとに若くしてガンで命を落としてしまったが、彼の手によるピンター演劇を、もっと見たかった。深津は翌年、同じ新国立劇場で別役実の『象』を演出しているのだが、これもすごい出来だった。原子爆弾の被爆者の大杉漣がケロイドを大道芸のネタにしている。ネタにしつつ彼はいまわの際へと追いつめられていく。そして看護に当たっていたナースの奥菜恵も、やがて原爆病を発症する。上半身をつねに伏せて、異常な姿勢を上演中つらぬいた大杉漣は、たいへんだっただろう。すさまじい演技だった。


TOHOシネマズ日本橋、TOHOシネマズ六本木ヒルズなどで上映(終了)
http://www.ntlive.jp/nomansland.html