東博の耐震リニューアルなった東洋館に、《上海博物館展 中国絵画の至宝》を再訪す。後期展示替えがあったためである。
明代・万暦帝の治世(爛熟期)に北京で活躍した画家・呉彬(ご・ひん)の『山陰道上図巻』(1608)の奇怪さたるや、虞や虞や汝を如何せん。
これも山水画と言ってよいのか、動物の屍から取り出した大腸小腸にも見えるし、見たこともない爬虫類の蠕動にも似ている。明の世にすでにこれほどのグロテスクがあったのである。呉彬は20世紀に入ってから再評価されたため、なにかと異端視されるのはしかたのないことであるが、本人の弁いわく、「いにしえの技法で筆を運んでみましたが、美醜併せ持つことこそ大切であるとパトロンの米万鐘がおっしゃっている。この作品はいかがでしょうか?」などと平然と言い放っている。自覚がないようで、じつはあるという。
しかしながら後年、日々シコシコと過去の書画文物に感想をばんばん落書きし、判を押してへこたれぬ清の乾隆帝さえもが、次のような趣旨のことを賛に書いている。「朕(ちん)はじっさいに山陰(浙江省・紹興の郊外の山岳)を訪れたことがあるが、かの風景はこの絵ほど奇怪だっただろうか?」と、これはリアリズムに属さぬものであると認めている。じかに作品を凝視していると、鳥肌が立つほどグロテスクである(左図は、長巻のうちのほんの一部)。
明代・万暦帝の治世(爛熟期)に北京で活躍した画家・呉彬(ご・ひん)の『山陰道上図巻』(1608)の奇怪さたるや、虞や虞や汝を如何せん。
これも山水画と言ってよいのか、動物の屍から取り出した大腸小腸にも見えるし、見たこともない爬虫類の蠕動にも似ている。明の世にすでにこれほどのグロテスクがあったのである。呉彬は20世紀に入ってから再評価されたため、なにかと異端視されるのはしかたのないことであるが、本人の弁いわく、「いにしえの技法で筆を運んでみましたが、美醜併せ持つことこそ大切であるとパトロンの米万鐘がおっしゃっている。この作品はいかがでしょうか?」などと平然と言い放っている。自覚がないようで、じつはあるという。
しかしながら後年、日々シコシコと過去の書画文物に感想をばんばん落書きし、判を押してへこたれぬ清の乾隆帝さえもが、次のような趣旨のことを賛に書いている。「朕(ちん)はじっさいに山陰(浙江省・紹興の郊外の山岳)を訪れたことがあるが、かの風景はこの絵ほど奇怪だっただろうか?」と、これはリアリズムに属さぬものであると認めている。じかに作品を凝視していると、鳥肌が立つほどグロテスクである(左図は、長巻のうちのほんの一部)。
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