荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『母娘監禁 牝』 斉藤水丸(加藤善博追悼)

2007-07-12 00:48:00 | 映画
 先だって自ら命を絶った俳優・加藤善博の個人的追悼上映会。会場は拙宅DVDプレーヤー前の「大広間」。参加者は一人。作品は『家族ゲーム』…ではなく、もちろん『母娘監禁 牝』(1987)。

 傑作である。感動的である。ひょんなことから即席のポン引きとなる無職のダメ青年・実(加藤善博)と、友だちを投身自殺で亡くしたばかりの女子高生・チヅル(前川麻子)の、哀しく、初々しく、厳しい数週間の関係。チヅルの若いからだを食い物にする男たちもまた、物悲しく情けない。

 「チヅルを返してください」と訴えるためアパートに訪ねてきたチヅルの母(吉川遊土)も、男たちの欲望の餌食となるが、獲物を食う男どものなんという情けなさよ、ダメぶりよ。好色男の一人を演った河原さぶをとらえるクロースアップがすさまじく物悲しい。男たちの方がむしろこの小さな地獄に必死に堪えているかに見える。

 そして事後、解放された母と娘が相合傘で帰る雨の舗道の悲しさ。「のどが渇いてしょうがない」といって雨に濡れるのも構わず販売機に駆け寄り、トマトジュースを飲み干す母。生々しく律動する母の喉元を禍々しい表情で見つめてから雨の中を走り出ていく娘。思わず息を飲むラストシーンである。

 1980年代の日本映画というものは、非常に息苦しく、かつ滑稽な時代であった。みんなが馬鹿げた営業努力に時間を費やし、収穫なしに堪えた時代であった。80年代のエース、相米慎二がいなければ、あるいは学生たちの自主映画の勃興がなければ、「Nothing」と言ってしまえる時代である。当時のホイチョイを再評価する言説を最近見かけるが、僕に言わせれば「冗談でしょ」である。

 加藤善博、前川麻子が素晴らしい『母娘監禁 牝』は、にっかつロマンポルノという枠を越え、時代の中に屹立した異色作だったと、2007年の現在も言うことができる。


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