荻野洋一 映画等覚書ブログ

http://blog.goo.ne.jp/oginoyoichi

カフヱ・ド・サイコ

2017-06-25 17:26:11 | 映画
竹藤恵一郎の8ミリ作品で、ゲルニカの楽曲「カフヱ・ド・サイコ」が使用されていたのは、どちらだったか。
ネット上にはまったくと言っていいほど、この情報がない。
『サメロメ』
『メシムラク』
『クレノコレメ』
『もっと別な話』

アンリ・カルティエ=ブレッソン、そしてソール・ライターについて

2017-06-19 22:31:55 | アート
 先日、脚の悪い老母をわざわざ京都に連れ回した。荻野家の菩提寺である宗派の総本山である知恩院に初参拝させることが主目的である。2日目はあいにく雨に祟られたため、おもに美術館、博物館と屋内観光におとなしく収まった。
 知恩院参拝のあと、祇園の「鍵善良房」で葛きりを食べ、その並びの「何必館」でアンリ・カルティエ=ブレッソンの写真展を見た。老母はブレッソンの写真よりも地階の魯山人の器展示のほうが興味を抱いていたようだ。まあそれはそれとして、同館のポスターやバナーに採用された『ムフタール街』(1952)という写真は、私の最も愛するブレッソンの作品である。10歳に満たぬ少年が赤ワインのボトルを2本抱えている。おそらく親のお遣いなのだろう。酒瓶を持って歩くことが大人じみて鼻高々だったのか、得意げな微笑を浮かべている。
 ブレッソンの展示を見て刺激を受けたため、東京の自宅に戻っても、ロバート・フランクの『THE AMERICANS』(1958)から十文字美信『感性のバケモノになりたい』(2007)、マルティナ・ホーグランド・イヴァノフ『FAR TOO CLOSE』(2011)などなど、いろいろと手持ちの写真集を片っ端からパラパラとめくっていた。ロバート・フランクについては最近、ドキュメンタリー映画『Don't Blink』も公開されたが、これはじつにいい作品だった。もし機会があったらご覧いただきたいと思う。

 にわかの写真熱を充当してくれたのが、試写と試写の移動途中に時間が少しあって寄ることのできたBunkamuraザ・ミュージアムのソール・ライター展〈ニューヨークが生んだ伝説〉である。この人の写真展を初めて見たが、感動的な発見となった。とくに素晴らしいのが、1950年代から60年代にかけてニューヨークの市井を撮影したまま現像もされずにソール・ライターの自宅スタジオに放置されていたカラー写真の作品群である。この時代の写真作品はモノクロームであることが普通だろう。表現と呼べる写真はつねにモノクロームだった。ところが、ソール・ライターはカラーフィルムの色彩を好んだようである。
 この時代のニューヨークをカラーで見ることができるのは、ハリウッドのテクニカラー作品以外にはほとんどないと思う。後代に生きる私たちにとってソール・ライターのカラー写真作品は、テクニカラーのハリウッド映画に連なるものである。赤い傘が、オレンジの帽子が、緑の青信号が、ねずみ色の残雪が、まっ黒な遮蔽物が、真っ白なワイシャツが、いずれも眩しい。目を喜ばせる。
 ソール・ライターは写真家であり、画家だった。日本美術に精通した彼の抽象画は、禅僧の描く山水と墨蹟であったり、ニコラ・ド・スタールの色彩の横溢であったり、ロラン・バルトが戯れに筆を走らせたざっかけない水彩のようであったりする。やはり、目を喜ばせる。


Bunkamura ザ・ミュージアムにて6/25(日)まで(以後、2018年春に伊丹市立美術館に巡回)
http://www.bunkamura.co.jp/

『ザ・ダンサー』 ステファニー・ディ・ジュースト

2017-06-13 01:02:58 | 映画
 現在公開されている作品のなかで、個人的に非常に気に入っている作品がある。「キネマ旬報」の星取りレビューでも絶讃の短評を書いたのだが、あまり読まれていない可能性もあるので、ここでもう一回触れておきたい。フランスの女性監督ステファニー・ディ・ジューストの長編デビュー作『ザ・ダンサー』である。
 19世紀末、ベルエポックのパリで活躍した女性舞踏家ロイ・フラー(1862-1928)のことはじつはまったく知らなくて、映画で初めて知った次第だ。アメリカ中西部のフランス系移民の娘である彼女は、田舎でくすぶっていたが、父親の死をきっかけにニューヨークに出て、夢である舞台女優をめざす。芝居の幕間で余興で踊ってみせたところ、そこそこ喝采を浴びたことから、ダンサーに転身する。
 ロイ・フラーを演じたミュージシャン兼女優のソコが、非常に素晴らしい。通常、中性的という言葉はどちらかというと女性性を併せ持つ男性に使われるケースが多いが、ソコは逆で、ある種の男性的な顔貌も兼ね備えた女性である。それほど美貌に生まれついたわけではなかったロイ・フラーは、羽を広げた白鳥のような絹の衣裳と、強烈な照明効果を活用しつつ、肉体の酷使によってオリジナリティを見出す。ひとりのアーティストの半生記という意味では、いわゆる「芸道もの」というジャンルに属する映画である。しかしこれほどフィジカルの強調された「芸道もの」は、パウエル=プレスバーガーの『赤い靴』(1948)以来あっただろうか。「スポ根もの」のような「芸道もの」である。
 まだ時代はコルセットの時代だった。そこに彼女はみずからの肉体によってアール・ヌーヴォーを体現した。初期のシネマトグラフにも踊る彼女がいる。そういう端境にいる感覚が、この作品から伝わってくる。美と悲惨がない交ぜとなってゴロゴロと転がっていく世紀の始まりとは、こういう火のような舞いによって印をつけられた。絵画においてジャポニスムが興ったのと同様に、ロイ・フラーが川上音二郎一座を招聘して、パリで川上貞奴ブームを生み出したのは面白い。映画においても、ロイ・フラーの日本舞踊へのリスペクトの念は印象的だ。上写真は、ロートレックが彼女の舞踏公演を描いた絵である。
 最後にひとつ。本作のシナリオは監督のステファニー・ディ・ジューストとトマ・ビドガンの共同によるものである。ホワイ・ノット・プロダクションの制作担当だったトマ・ビドガンはやがて脚本にも着手するようになり、ベルトラン・ボネロの『サンローラン』(2014)も書いている。『サンローラン』は私の偏愛する作品であり、今回の『ザ・ダンサー』も含め、私はこのトマ・ビドガンというライターが好みのようである。


6/3(土)より新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座、Bunkamuraル・シネマほか全国公開中
http://www.thedancer.jp