監督・脚本家の犬塚稔が17日、老衰で亡くなった。享年106は、おそらく日本の映画監督経験者では最年長の人であった。たとえば小津安二郎より2歳先輩となる。犬塚稔といえば、やはり現在では「座頭市の生みの親」という評価が筆頭に来るだろう。
2001年に犬塚の自伝『映画は陽炎の如く』(草思社)が出版された際、さっそく読んでみたが、少し変な本だと思ったのが当時の率直な感想であった。「座頭市の生みの親」たる著者自身の処遇をめぐり、自分をないがしろにした勝新太郎を激しくののしり、『座頭市』原作者の子母沢寛に対しても、その原作は映画『座頭市』シリーズの成立にほとんど貢献しておらず、自分こそ真の生みの親であると声高に書き立てるその筆致は、怨嗟と情炎に満ちて怖いほどであった。少なくとも100歳老人の枯淡の境地とはいっさい無縁の、きわめて脂ぎった本であったことは間違いない。
この映画史上かなり興味深く奇妙な本を読み終えた僕は、駄目もとで「時事通信社」に書評を書きたい旨を連絡したが、知古の某担当者からは本の内容が書評にそぐわない、と却下されてしまった。編集担当者の当時の判断もまた理解できる。
とにかく、サイレント時代から監督・シナリオライターとして阪妻プロで活躍しつつも、川端康成、衣笠貞之助らと共同でアヴァンギャルド映画の代表作『狂った一頁』(1926)の脚本を書き、なおかつ長谷川一夫(林長二郎)のデビュー作『稚児の剣法』(1927)の監督も務めた、この一人の映画作家の長い長い人生の終焉に対して、哀悼の意を表したいと思う。
P.S.
犬塚が死んだことで、サイレント映画の経験のある映画作家は、もうどれほど残っているのだろうか。吉村公三郎も先年亡くなったし、現在の最年長・新藤兼人はスタッフとしてはともかく、監督としてはサイレント映画をやっていない。アメリカはどうせ全滅だろう。
ポルトガルにマノエル・ドゥ・オリヴェイラという、とんでもない怪物が存在しているが(98歳で現役バリバリ、新作『夜顔』も日本公開待機中で、しかも2008年発表に向けてさらなる新作をロケ中らしい)。彼の初期作品はサイレントである。
2001年に犬塚の自伝『映画は陽炎の如く』(草思社)が出版された際、さっそく読んでみたが、少し変な本だと思ったのが当時の率直な感想であった。「座頭市の生みの親」たる著者自身の処遇をめぐり、自分をないがしろにした勝新太郎を激しくののしり、『座頭市』原作者の子母沢寛に対しても、その原作は映画『座頭市』シリーズの成立にほとんど貢献しておらず、自分こそ真の生みの親であると声高に書き立てるその筆致は、怨嗟と情炎に満ちて怖いほどであった。少なくとも100歳老人の枯淡の境地とはいっさい無縁の、きわめて脂ぎった本であったことは間違いない。
この映画史上かなり興味深く奇妙な本を読み終えた僕は、駄目もとで「時事通信社」に書評を書きたい旨を連絡したが、知古の某担当者からは本の内容が書評にそぐわない、と却下されてしまった。編集担当者の当時の判断もまた理解できる。
とにかく、サイレント時代から監督・シナリオライターとして阪妻プロで活躍しつつも、川端康成、衣笠貞之助らと共同でアヴァンギャルド映画の代表作『狂った一頁』(1926)の脚本を書き、なおかつ長谷川一夫(林長二郎)のデビュー作『稚児の剣法』(1927)の監督も務めた、この一人の映画作家の長い長い人生の終焉に対して、哀悼の意を表したいと思う。
P.S.
犬塚が死んだことで、サイレント映画の経験のある映画作家は、もうどれほど残っているのだろうか。吉村公三郎も先年亡くなったし、現在の最年長・新藤兼人はスタッフとしてはともかく、監督としてはサイレント映画をやっていない。アメリカはどうせ全滅だろう。
ポルトガルにマノエル・ドゥ・オリヴェイラという、とんでもない怪物が存在しているが(98歳で現役バリバリ、新作『夜顔』も日本公開待機中で、しかも2008年発表に向けてさらなる新作をロケ中らしい)。彼の初期作品はサイレントである。