荻野洋一 映画等覚書ブログ

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蔡國強〈帰去来〉展 @横浜美術館

2015-10-15 03:54:42 | アート
 横浜美術館で、蔡國強の〈帰去来〉展を見た。きょうはその感想というか、関連する些末事項を。

 まず、地下鉄のみなとみらい駅を出たら、街が一変していた。以前は、目の前に横浜美術館が見えて、その前には広めな、ホコリっぽい広場があっただけだった。しかしきょう、その広場だったところには「マーク・イズ」という名のショッピングモールが完成していて、横浜美術館の玄関にむかう際に、必然的にそのモール内を通過させられるしくみである。
 私は、横浜美術館にトラウマがある。2年半前、春のある休みの日、同館で開催されていた〈ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家〉を見に行った。ミュージアムショップで可愛いグッズを見つけたので買って帰ろうと思い、コインロッカーに財布を取りに行ったとき、ロッカーのなかで携帯電話が点滅しているのに気づいた。留守電が入っていた。留守電を聞くと、樋口泰人のくぐもった声が聞こえて、それは梅本洋一の急死を伝言する声だった。以来、横浜美術館に行くのに抵抗ができた。あたかも、そこへ行くたびに自分の大事な人が一人一人消えていってしまうかのように。──馬鹿げた考えだ。

 蔡國強が今回つけた展覧会名の〈帰去来〉がすごく気に入っている。東晋時代の詩人・陶淵明(とう・えんめい 西暦365-427)が官職を辞して故郷に戻り、耕田に生を全うした故事に依る。隠遁生活に入った際に詠まれた詩「帰去来の辞」がある。陶淵明については、拙ブログを訪れてくださる方々にだけこっそりご紹介したい本があって、2010年に出た沓掛良彦の『陶淵明私記──詩酒の世界逍遙』(大修館書店 刊)である。近年の私を導いてくれた書物のひとつだ。
 蔡國強といえば、2008年北京オリンピック開会式の花火演出でも有名なように、火薬アートということになる。和紙やキャンバスの上に切りぬいた型紙を置き、火薬を仕掛けて爆発させる。火薬の濃淡によるモノトーンの着色は、北宋・南宋期の破墨山水画のごときインプロヴィゼーション宇宙を現出させる。画を描くのに、絵の具や顔料を使わねばならないという法はない。墨でも火薬でもいいし、今回、蔡國強は『夜桜』という新たな超大作のために漢方薬さえ着色料として使っている。
 今展中、最も感銘を受けた作品は、去年に製作された『春夏秋冬』という作品だ。この作品の支持体は紙でも布でもない。磁器である。蔡國強の故郷、福建省に徳化窯という窯がある。中国全土でいえば、磁州窯や景徳鎮窯などに比すればさして名門の窯というわけはないが、ここで焼かれる白磁は、光沢のある白、もしくはクリーム色の素地と真珠のような色を帯びた釉(うわぐすり)が特徴だ。
 火薬、漢方薬、白磁、これらはいずれも中国の発明である。それらの古いものに耳を傾け、いまいちどクリエーションの素材に立ち戻らせる、というのが〈帰去来〉の意味するところだろう。火薬というのは、近代戦争を生み出した悪魔の発明でもある。しかしそれを止揚して、美を再創造する、というところに蔡國強の挑戦がある。事実、火薬を被った白磁には、草虫花鳥、蛙など、自然界の小さな生命が息づいていた。みごとな作品だった。

 美術館を出た私は、みなとみらい駅から一駅、馬車道の駅で下車し、とんかつ屋「丸和」にむかった。ここのロースは、脂に豊潤きわまりない甘味があって絶品である。冷えてきたので、熱燗を頼んでロースかつを肴とする。ご飯も味噌汁もいらなくて、とんかつと酒だけで私の場合はじゅうぶんである。
 何年前か忘れたが、最初にこの店を訪れたとき、いっしょにいたのは梅本洋一だった。横浜国立大学で映像論Bの講義を終え、「とんかつを食べたい」というリクエストに応えて彼が連れてきたのがこの店だった。その後もひとりで食べに来たが、彼の死後、「丸和」に来たのは、きょうが初めてだった。ロースかつの美味さが、淋しさを強調する。店の若主人は、最初の頃と代わらず真剣そのものの表情でしずかにとんかつを揚げている。むかしは母親らしき人が給仕を担当したけれど、きょうはいなくて、代わりに若い青年が見習いに入っていた。時が過ぎていく。


蔡國強展〈帰去来〉は横浜美術館で10/18(日)まで(木曜は休館)
http://yokohama.art.museum/special/2015/caiguoqiang/


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