荻野洋一 映画等覚書ブログ

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ガルシア・ロルカ作『イェルマ』 ナショナル・シアター・ライヴ2018

2018-10-10 00:42:31 | 演劇
 生ではないとはいえ、現代イギリス演劇を見られる貴重な機会だから、「ナショナル・シアター・ライヴ」には可能なかぎり足を運ぶことにしている。東京での上映場所はTOHOシネマズ日本橋のみ。去年までは日本橋の中洲に住んでいたから徒歩で劇場に行って、上映後は劇場そばのバーで一杯やってそのまま徒歩で帰ったものだった。日本橋を去ったいまでは、この「ナショナル・シアター・ライヴ」のみが日本橋に帰る数少ない機会となった。

 今回上映されたのは、スペインの詩人・劇作家フェデリコ・ガルシア・ロルカ(1898-1936)の戯曲『Yerma』を、2016年にロンドンのヤング・ヴィック劇場で翻案上演したものの上演収録だ。戯曲ではスペインのアンダルシア地方が舞台だが、現在のロンドンに置き換えられている。夫婦の物語。夫はなにかの事業でそれなりの成功をおさめ、地価の安い犯罪多発地域とはいえスタイリッシュな邸宅を購入したばかり。夫婦は左翼系知識人階級に属し、自立した男女どうしの共同生活であって、旧弊な家族至上主義を標榜してはいないが、妻のイェルマ(ビリー・パイパー)は「そろそろ子どもが欲しい」と言う。こうして妊活が始まるが、これが悪夢の始まり。
 いや、妊活が悪夢の原因なのか? 一見するとこの芝居は、ヒロインの過剰な妊娠願望がもたらした悲劇として語られていく。しかしそもそもこのカップルはその関係性のなかに悪夢の因子を孕んでいたのではなかったか。妻に引っぱられるまま不妊治療に付き合う夫は、じつを言うとさして子どもなど望んでもおらず、現在のそれなりにゴージャスなライフスタイルをただ維持したいだけだろう。いっぽうイェルマのブログは、進歩的な政治発言やセックスについての率直な記述で人気がある。彼女が夫のEDについて書くと、夫の会社同僚はみな翌朝にはそのことを知っているという寸法だ。妊活はなんの効果もなく推移する。夫婦はたがいに相手の機能不全を言い立てて争う。現代日本の用語に適切に(笑)したがえば「生産性」についてのお話。傷ついたイェルマの精神は、目に見えて崩壊していく。
 ヤング・ヴィック劇場の中央にガラス張りの舞台がしつらえられ、ぐるりと取り囲むように観客が彼らの転落を、理科の実験のごとく見つめる形だ。ガラス張りの残酷格闘技を見るかのように。一場一場は「たとえばこんなこともあった」というような、あたかもそこに必然性がないかのごとくぶっきらぼうに提示され、シーンとシーンのあいだに広がる暗闇に轟音で音楽がかかり、観客はそこで表示されるスーパー字幕で、彼らの惨状がどこまで行ったのかを知る。スタンリー・キューブリックの『シャイニング』に感覚が近い。「こんなことがあった」とあっけらかんと恐怖の描写が提示されたあと、シーンは数日か数週間は経過している。「少しは状況が回復するかも」という淡い期待はそのあとに続く描写によって完全否定される。
 
 「ナショナル・シアター・ライヴ」はそれが方針なのか、DVD発売もしないし、名画座にも落ちないから、安心してラストをばらすと、ヒロインのイェルマは、事業破綻した夫に去られ、昔の恋人にも去られ、不動産に売りに出されたからっぽの邸宅でひとり、割腹自殺する。つまり、不在たるお腹の子どもをみずから殺す。子どもを宿す可能性を殺す。そしてそれはみずからに対する子殺しの死刑宣告でもある。腹から噴き出す血を抑えながらもんどり打つヒロインの姿は、まるで増村保造映画の若尾文子のように狂おしく壮絶だ。
 本篇上映前のアバンタイトルに、本作の演出家サイモン・ストーンと劇場オーナーの対談VTRが付いていたのだが、その中でサイモン・ストーンは「重要なのは、これを書いたガルシア・ロルカが若くして死んだこと、リベラルだった彼がフランコ派右翼によって暗殺されたという事実だ。彼は自分がまさか早死にするとは思っていなかっただろう。『イェルマ』は彼が暗殺される2年前に書かれた作品だ」と言っていた。

 絶讃された同作は翌2017年にローレンス・オリヴィエ賞の最優秀リバイバル賞および主演女優賞(ビリー・パイパー)を受賞し、今年は同じスタッフ&キャストで、ニューヨークのパーク・アヴェニュー・アーモニーでも上演されている。


10/4まで全国の指定劇場で上映
https://www.ntlive.jp
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有馬稲子、樋口尚文 著『有馬稲子 わが愛と残酷の映画史』についての寸感

2018-07-28 04:31:21 | 映画
 有馬稲子については既刊書として自伝『バラと痛恨の日々』(1995)、そして『のど元過ぎれば 私の履歴書』(2012)があるが、語り下ろしの最新刊『有馬稲子 わが愛と残酷の映画史』がこのたび刊行された(筑摩書房 刊)。この刊行と連動して、先日シネマヴェーラ渋谷で特集上映も催された。ファンならば誰もが、いやファンならずとも手に取りたくなること必至の貴重証言集である。
 日経新聞の連載をまとめた2012年の前著『のど元過ぎれば』は、市川崑監督との不倫愛そして堕胎という衝撃的告白で度肝をぬいたが、今回もその続報というか、補足が述べられている。しかし、全体としては新書のようなスピード感であっという間に読めてしまうことが目指された本で、フィルモグラフィを丁々発止でスキップしていく。『夫婦善哉』のヒロインは淡島千景だが、いったんは有馬稲子で決まっていた時期もあったそうだ。有馬稲子の『夫婦善哉』ならどんなだったろう。

 聞き手をつとめた樋口尚文さんはベテランらしい巧みさでスターから言葉を引き出している。5年前に銀座シネパトスが閉館するに際し、同館にオマージュを捧げた氏の監督作品『インターミッション』(2013)は、良く言えば珍品、悪くすると茶番と言ってしまいたいもので、当惑ついでに同年の「映画芸術」誌ベストテン&ワーストテン選考でワースト10位に選んでしまった。
 しかし、映画評論家あるいはインタビューアーとしては定評ある大先輩で(大学の学部でも先輩にあたり、私が新入生の時に氏はたぶん4年生だったと記憶する)、赤入れで読みやすく工夫しただけかもしれないが、監督や脚本家にインタビューするのとは勝手が異なり、役者に対してはまったく別のノウハウが必要であることを心得ていらっしゃっていて勉強になる。以前、映画学系の人たちが作ったある役者インタビュー本がひどく生硬な質問でノッキングを起こし、ストレスを感じたことがあった。本書はそんなストレスとは無縁にスターの言葉に集中できる。

 有馬稲子という人の歯に衣着せぬ物言いは、いい意味で当惑を感じるほど。彼女の出演作で私の好きな作品も、彼女の物差しでいうと印象の薄い作品として片付けられてしまうこともしばしばだ。木下惠介の『惜春鳥』(1959)や田坂具隆の『はだかっ子』(1961)といったあたりがそれに該当する。『惜春鳥』は彼女と佐田啓二が会津の飯盛山で心中する展開なのに、肝心の心中シーンが省略されていることに「物足りない」と言っている。夭折した映画評論家、石原郁子さんが著した渾身のモノグラフィー『異才の人 木下恵介 ──弱い男たちの美しさを中心に』(1999)で著者が万感の思いをこめて『惜春鳥』のスチール写真を表紙に使用していたのとは好対照の素っ気なさである。
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『小村雪岱随筆集』について

2018-07-12 15:40:21 | 
 いま金沢の泉鏡花記念館で、特別展《日本橋──鏡花、雪岱、千章館》というのをやっている。今年の夏はぜひ金沢を訪れ、ついでに当地の味覚も味わえたらなどと考えていた。ところが5月に母方の伯母が、7月に父方の叔母が相次いで逝き、さらに今月は祖母の三回忌法要も控えているという事情も鑑み、北陸行きを断念した。

 その代わりに、今年2月に幻戯書房から刊行された真田幸治編『小村雪岱随筆集』を大いに堪能したところである。小村雪岱(こむら・せったい 1887-1940)は装幀家として、また挿絵画家、舞台装置家、さらには資生堂意匠部デザイナーとして、大正から昭和初期にかけて活躍した。泉鏡花の花柳小説『日本橋』(1914)の美装によって評価を高め、以降、ほとんどの鏡花の著作は雪岱が装幀をおこなった。その『日本橋』まわり一切を今回の金沢行きで見ておきたかったが、しかたがない。『日本橋』は溝口健二監督によって1929年に、市川崑監督によって1956年に、2度映画化されているが(溝口版は消失)、もはや現代ではこの花柳小説を映画にできる監督はいないだろう。花柳界のこと、芸のこと、衣裳のこと、江戸言葉、セット、もろもろを体得した監督なんてもういるわけがない。体得していなくても、優秀なスタッフを付ければできるのかもしれないが、そんな『日本橋』なんて見る気がしない。
 今回の『小村雪岱随筆集』は、すでに中公文庫などで出回っている雪岱随筆集『日本橋檜物町』に未収録だった文があらたに収録され、あまつさえ『日本橋檜物町』収録分も編者の真田幸治氏が初出の掲載誌にあたり、同書刊行時(1942)の書き写し間違いを初出誌のとおりに直している。解題も簡潔にして詳細、じつに気持ちよい本だ。ご自身装幀家でもある真田幸治氏のような在野の研究者によるこういう気の利いた仕事ぶりに接すると、私は大舟に乗ったような安らかな気持ち、あこがれの気持ちをもって本の中で遊泳できる。
 あくまで個人的な好みの話だが、学術的な論文を読むのは好きではない。必要な際には読まないではないが、原注と訳注が別々のページにあったり、図版説明がさらに別のページ、そして索引と、栞が何枚あっても足りないような、著者側・編者側の思惑によってあっちこっちに引き回されるような読まされ方は、ああいうのも必要なのは分かっていても、わがままな読者である私には合うものではない。『小村雪岱随筆集』のようなスタンスが私には最も快適な読書を約束してくれる。

 雪岱は映画美術の分野でも活躍している。溝口健二『狂恋の女師匠』(1926)の美術考証ほか、島津保次郎『春琴抄 お琴と佐助』(1935)、『白鷺』(1941)、山本嘉次郎『藤十郎の恋』(1938)などで美術監督や考証、装置を担当している。本書のなかでは島津の『春琴抄 お琴と佐助』について、大阪・船場の古い商家のしつらえなど、ロケハンで丹念に調べあげたことなど、映画ファンなら垂涎のエッセーだと思う。
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あけましておめでとうございます

2018-01-01 04:38:22 | ラジオ・テレビ
新年あけましておめでとうございます。

 さっそくですが、新年の番組告知です。1/8(月)13:00から日本映画専門チャンネルで、『カツライス劇場新春スペシャル カツシン最期の舞台「夫婦善哉 東男京女(めおとぜんさい あずまおとこにきょうおんな)」』が放送されます。勝新太郎が1996年に下咽頭癌で入院する前月まで上演した舞台『夫婦善哉 東男京女』の収録テープが倉庫で発見されました。この収録テープが初めてテレビで放送されるにあたり、冒頭18分ほどのガイド番組を製作しました。私はこの番組の構成および、妻で同舞台の共演者である中村玉緒さんへのインタビューを担当しております。
 勝新太郎、真の遺作にして最後の傑作舞台。演劇ファンのみならず、映画ファンにとっても必見だと思います。ぜひご覧いただきたいと思います。

 本年もよろしくお願い致します。    荻野洋一


日本映画専門チャンネル「カツライス劇場」HP
https://www.nihon-eiga.com/osusume/katsuraisu2017/
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茶葉を以前愛用のものに戻す

2017-11-29 09:16:01 | 味覚
 久しぶりに緑茶を替えてみた。「うおがし銘茶」から出ている「にゅう」という茶葉である。替えたと言うより10余年ぶりに元に戻したと言ったほうがいい。ここ10年ほどは、近所のスーパーで適当に美味そうな茶葉を購入して飲んでいた。では「にゅう」が極上に美味いかというと、そういう意味でもない。上等ではあるけれど、たとえば最高級の玉露などとは比べものにならない。いや、むしろ、やや番茶の気配とエグミが混じる味は、下卑の一歩手前であり、普通の煎茶よりクセがある。極上というより、普段使いとしてはパンチがあって、日々の生活に元気をもたらしてくれる。そんな茶葉である。
 「うおがし銘茶」は亡父の好物だった。霞ヶ関の某庁の勤め人だった亡父は、勤務の前や後に築地市場を冷やかすのを趣味にしていたようだ。かといって上等のマグロを買って帰ってくるとかいった、これ見よがしのことをするような人物ではなく、よく言えばクール、悪く言えば地味な性質である。ただし、場内に店舗を置く「うおがし銘茶」で茶葉を買っては、兄弟の家に送り届けたりといった程度の自己主張はしていた。気づいてみると長年のそんな慣行のせいで、関東一円の荻野一族はみな「うおがし銘茶」が好きになっている。
 2005年晩夏に、その父が癌で逝った。葬儀を終えた直後に母も交通事故で入院してしまい、窮した私は四十九日法要の香典返しに「うおがし銘茶」の茶葉詰め合わせを選んでみた。故人の好物でもあり、親戚一同の皆さんもお好きでしょ、といった体で選んだのだ。そんな縁もあって、しばらく私自身も築地の店舗に通っては、せっせと「うおがし銘茶」のなかでも自分好みの味だった「にゅう」を買って、日々飲んでいた。しかしその慣行も、いつぞや時間的余裕の喪失と共になくなり、先述のように、近所のスーパーの茶葉で間に合わせるようになってしまった。
 この夏、私は中央区の日本橋中洲から、新宿区の市谷某町に引っ越した。さびしいことに早くも日本橋時代の付き合いはとぎれつつあるのだが、4ヶ所ほど付き合いは残っている。それは江戸文物研究所の内村所長との親交、室町の路地裏で和服のマダムが営む隠れ家バー「M.N.」、人形町のお香屋「松榮堂」、そして浜町の理髪店「F」である。正直、床屋なんてどこでもいいのだが、頭皮に湿疹ができた時に親身にケアしてくれたり、手のあかぎれにまで軟膏をくれたり、いろいろと世話になった誼(よしみ)がある。
 先日、わざわざ浜町まで散髪に出かけた際、話題が食べ物の話から茶の話へと移り、理髪店「F」の主人は「うおがし銘茶」が大好きだと言った。その時、私は非常なる懐旧の念におそわれた。数日後、新宿伊勢丹のデパ地下に「うおがし銘茶」が出しているテナントで、「にゅう」を久しぶりに買った。帰宅して、淹れる。味、香りからは、すでに隔ててしまった、そしてもう戻ることもない時間の薫りまでが立ちのぼった。


うおがし銘茶(本店 築地市場)HP
https://www.uogashi-meicha.co.jp/
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『月と雷』 安藤尋

2017-11-11 18:52:29 | 映画
 ペットなんかをスマホで撮影したら、誰にでも可愛らしく撮れてしまうだろうが、映画はまったく別次元である。映画作家も動物を撮れたら一流だとよく言われる。なかなかそういう人は出てこないのだけれど。動物同様に才能が要求されるのは、火、水、風、光、土だろう。そして何と言っても気象である。晴天を晴天として撮れる人、曇天を曇天として、雨天を雨天として、嵐を嵐として撮れる人を、私は尊敬してやまない。青山真治を以前から変わらず「現代では稀少なグリフィス的映画作家」として敬ってきたのはそういうことであるし、『愚行録』で急に登場した石川慶監督に期待するのもそうなのである。
 安藤尋監督の新作『月と雷』を見た。茨城のさびれた農村の一軒家を、じつに表情豊かに画面に収めている。「表情豊か」などと陳腐な表現しかできない自分がもどかしいが、言いたいのは、場面ごとにその家が変化するということだ。安藤尋は、原作と脚本のプレテクストに恵まれている映画作家だけど、映画それじたいのありように一作一作、安藤の色が濃厚に出てきていて、今回私は作品のなかをどっぷりと徘徊してしまった。一軒家に誰かが一人取り残されたと思ったら、こんどは親類のようで他人のような人々が集まりだして、妙に賑やかになる。でもそれがかりそめの賑やかさであることは、誰もが承知している。
 安藤映画は、ここぞという時の火、光に力を感じる。『海を感じる時』(2014)終盤の市川由衣と池松壮亮の頭上で街灯がパンと割れるシーンが、いまだに脳裏に残っていて、今回の『月と雷』も、高良健吾の足元で燃える炎が素晴らしかった。火という移ろいゆくものの中に過去の証拠物を投入して、移ろいの風に乗せていく。
 安藤映画の光、炎はどこかしら人間忌避を示しているのかもしれない。決して冷たい映画ではなく、むしろ人間臭くすらある安藤映画だけれども、どこかしら否定の意志が働いているように思う。そして否定のあとにくる諦念を引き受けた上で、なおも元気でいる。近作のヒロインたちの強さを、私はそんなふうに解釈している。


横浜シネマジャック/ベティ、シネマテークたかさきなど、各地で続映中
http://tsukitokaminari.com
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ハロルド・ピンター作『誰もいない国』 ナショナル・シアター・ライヴ2017

2017-10-03 06:50:28 | 演劇
 TOHOシネマズ日本橋など全国数カ所だけで上映されたナショナル・シアター・ライヴの『誰もいない国(No Man's Land)』を見に行った。イギリスの劇作家ハロルド・ピンターが1974年に発表した戯曲で、当時はまだイギリスに検閲があったため、じつに曖昧模糊としている。
 2時間半の芝居は2幕に分かれるが、舞台は老作家の自宅の居間のみ。どうやらロンドンの富裕層が多く住むハムステッド・ヒースの近くらしい。老作家とパブで意気投合した詩人を名乗る老人が、2人して作家の自宅に入ってくる。2人は興に乗ったまま、昼酒の続きをたしなむ。この家には家族はおらず、老作家の身の回りの世話をする2人の若い男がいる。この2人は、突然の客人を丁重にもてなしたり、乱暴に扱ったりと、時によって態度がころころ変わる。若い男たちのしゃべり方は、演じた俳優の述懐によれば、サッカーチーム、ミルウォールの1970年代サポーターのしゃべり方を体得して臨んだとのこと。ようするにフーリガンである。この戯曲からまもなくして、イギリスはパンク=ニューウェイヴの時代が来る。その直前の英国病の鬱屈ということか。
 居心地の悪い会話、楽しい会話、ギスギスとした口げんかが代わる代わる展開される。詩人を名乗る客人はもうずいぶんと侮辱されたはずだが、いっこうに帰る気配がない。当然である。この家には充実したホームバーがしつらえられており、タダで良質なウィスキー、ウォッカが飲み放題だからだ。
 芝居は2時間半のあいだ、ずっと曖昧模糊としたままだ。この作品は何なのだろう。考えながら見続けた。検閲のためか、非常に分かりづらい描写だが、ここに登場する老若4人の男たちはおそらく全員がホモセクシャルだろう。もちろん同性愛を示す描写はほのめかしでしかないが、ハムステッド・ヒースで男同士が出会うというのは。そして彼らはいずれも精神的な疾患を患っており、人格が一定しない。また、昼間からウィスキーを何杯もお代わりしている。夜となり、朝となって、起きるとまた彼らはグラスに酒を注いで、思い出話のような、空想の連鎖のような、狂気の披露のような会話を再開する。老作家と老客人をパトリック・スチュワートとイアン・マッケランが相手の出方を窺うように演じる。つまり、映画『X-MEN』のシリーズでプロフェッサーXとマグニートーを演じてきた二人だ。片やミュータントと人類の和合を信じて学園を創設した学者、片やホロコーストの生き残りで、ミュータントが殲滅されないためには人類の殲滅も辞さないというテロリストの長。その二人が今や、ロンドンの豪邸で酒浸りとなり、混乱した「竹林の清談」に花を咲かせている。
 私たち映画ファンにとって、ハロルド・ピンターとは、赤狩りでハリウッドを去ってイギリスで映画を撮り続けたジョゼフ・ロージー監督の盟友としてその名を覚えたものだ。『召使』『できごと』『恋』に熱狂した。と同時に居心地の悪さをも抱いた。今回の『誰もいない国』で抱く居心地の悪さは、それとまた別種のもののように思える。何なのか。
 ピンターというと、2012年に東京・初台の新国立劇場で見た『温室』の鮮烈さが記憶に新しい。演出の深津篤史は、この上演のあとに若くしてガンで命を落としてしまったが、彼の手によるピンター演劇を、もっと見たかった。深津は翌年、同じ新国立劇場で別役実の『象』を演出しているのだが、これもすごい出来だった。原子爆弾の被爆者の大杉漣がケロイドを大道芸のネタにしている。ネタにしつつ彼はいまわの際へと追いつめられていく。そして看護に当たっていたナースの奥菜恵も、やがて原爆病を発症する。上半身をつねに伏せて、異常な姿勢を上演中つらぬいた大杉漣は、たいへんだっただろう。すさまじい演技だった。


TOHOシネマズ日本橋、TOHOシネマズ六本木ヒルズなどで上映(終了)
http://www.ntlive.jp/nomansland.html
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ウンベルト・エーコ著『ヌメロ・ゼロ』

2017-08-10 03:58:36 | 
 ウンベルト・エーコの最後の小説『ヌメロ・ゼロ』(河出書房新社)がイタリア本国で刊行されたのは、2015年1月。翌2016年2月にエーコは永眠している。ミラノで「ドマーニ」(明日)なる新聞が創刊準備を始める。しかしこれは、政財界に脅しをかけるための陰謀的な「商材」にすぎない。創刊準備号、つまりヌメロ・ゼロ(零号)の製作のために数人の経験者が雇われる。「ドマーニ」が永遠に創刊されることはないことを、彼らは知らない。
 「ドマーニ」は腐敗したジャーナリズムを地で行く。毎日ヘドが出るような編集会議が催され、編集者たちは3流出版物の作業で養った3流の経験をもとに創刊準備号を構想していく。構想の中で、ある男がしつこく調査していたムッソリーニ戦後生存説が、「ドマーニ」関係者の運命を暗転させていく。

 陰謀、陰謀また陰謀。低予算のフィルムノワールのような簡潔さで陰謀が語られ、エーコ作品としてはめずらしく、たった200ページで終わってしまう。一昨年に邦訳が出た前作『プラハの墓地』(原著は2010)の補遺のように思える。『プラハの墓地』はトリノ〜パリへと主人公を追いかけながら、近現代ヨーロッパの暗部を丸ごとつかみ取っていく大作業だった。『ヌメロ・ゼロ』の舞台はトリノではなくミラノだが、『プラハの墓地』はユダヤ人虐殺の理論的根拠の捏造をあつかい、『ヌメロ・ゼロ』はムッソリーニの保護生存をあつかう。ファシズムの擁護機能を取り出してみせた点で共通点が多い。また今回は、ミラノの古い街並み、犯罪通りが活写される。古くて物騒なミラノ旧市街について語るエーコがじつに楽しげだ。

 現代日本にこそ、ウンベルト・エーコの再来を願わずにおれない。史上最低の政権、安倍政権の支持率がついに低下し、どうやら終焉に近づいているようだ。ただし支持を失ったのは1強ゆえのおごり、ゆるみのためであり、〝お友だち〟優遇による歪み、腐敗のためだとの論調が支配的となっている。この政権がなぜ最低なのか。それは腐敗のためではない。日本的ファシズムの再生装置としての安倍政権のあり方そのものを根底から検証すべき段階にきているところを、単におごり、腐敗の名において批判することは、むしろ擁護にすら近い。エーコがえぐり取った陰謀とは、この無意識のことである。
 最近になって安倍を批判するようになった層は、容易に安倍擁護に転じる予備軍、第2の安倍誕生プログラムに寄与する予備軍だろう。ファシズムの温存になにかと寄与してはばからない巨大な塊を、エーコは鋭い筆致と博物誌的な情報量で描いた。小説などというジャンルは一部をのぞいてほぼ無視を決めこむ私が、エーコのそれは読むようにしている理由がそれである。イタリア同様にファシズムが潜在的に根付いている日本でこそ、ウンベルトEが復活する必要がある。
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突然ですが、日本橋を去ることになりました その1

2017-07-05 02:01:48 | 身辺雑記
 突然だが、東京中央区の日本橋中洲を離れることになった。私としては、ここ2~3年のあいだ薄らと考えていたことだったので、突然というわけでもないのだが、さんざんSNS上などで日本橋自慢みたいなことを偉そうに書いておいて何なのだとお思いの方も、ひょっとするといらっしゃらないとも限らない。

 しかしながら、私はもともと日本橋に縁もゆかりもない人間だ。2002年の夏、ここへ越してきたのは諸般の事情もあったが、やはり永井荷風、佐藤春夫、小山内薫といった私の愛する作家たちが跳梁跋扈し、小津安二郎がグルメ日記を書いたこの街に住むのは、ヨーロッパの都市に赴く以上のエキゾチズムを感じさせたのだ。そもそもこのブログ自体、2007年春に、日本橋散歩日記みたいな気分で始めたものである(前身のauoneブログ時代)。20代のアシスタント時代、浜町の東京テレビセンター(通称テレセン …テレビだけでなく、宮崎駿をはじめとして数多くの映画作家がここでポスプロをおこなう)でダビング作業を終えたあと、浜町、人形町と歩き回り、同僚の男と「なんて良い町なんだ」と感激して以来の思い入れある場所だった。

 私が現在住むマンションの前には、かつて成瀬巳喜男監督『乱れる』の水野の女将の宅として使われた料亭があった。その料亭はまた、小津安二郎監督『秋日和』の序盤で、原節子の亡夫の七回忌を終えた一同が酒宴をもよおす料亭でもあり、座敷はこの料亭の寸法を合わせたセットだろうが、窓からの夜実景はこの料亭から撮られた。
 その隣は、増村保造監督『女経 第一話 耳を噛みたがる女』で若尾文子が出入りする左幸子のアパートがあった場所である。なおそのアパートは、戦争で焼けるまでは「中洲病院」だった。永井荷風が『断腸亭日乗』の中で、「川向こう」を徘徊する前に必ず寄って整腸の注射を打ってもらった病院である。じつはそこは産婦人科なのだけれど。

 日本橋を去るのも、来たときと同様に諸般の事情によるもの。そして私自身の、変化への欲動もないとは言えない。移転先は市谷の某町である。独居老人である母に何かあれば、すばやく駆けつけねばならない年令である。メトロ副都心線と有楽町線が好ましい。そういう交通的な都合が一番の理由だろうか。その老母が青春時代を過ごしたのは、新宿の戸山町であり、いっぽう父の出身地は四谷である。荻野家代々の墓が新宿にあり、くしくも私のこんどの新居は、自分の墓から歩いて数分という距離とあいなった。私は幼いころ、なぜ父方の墓が母の実家のそばにあるのかが、まったく理解できなかった。なにか理由があるのかと必死に考えたが、単に偶然だったのである。
 まあ要するに、いま、私も心身共に墓に近づいた、ということか。

 日本橋に残した愛おしき店や人々――私はそれらに触れんがために、たびたび日本橋を再訪し続けることになろう。
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カフヱ・ド・サイコ

2017-06-25 17:26:11 | 映画
竹藤恵一郎の8ミリ作品で、ゲルニカの楽曲「カフヱ・ド・サイコ」が使用されていたのは、どちらだったか。
ネット上にはまったくと言っていいほど、この情報がない。
『サメロメ』
『メシムラク』
『クレノコレメ』
『もっと別な話』
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アンリ・カルティエ=ブレッソン、そしてソール・ライターについて

2017-06-19 22:31:55 | アート
 先日、脚の悪い老母をわざわざ京都に連れ回した。荻野家の菩提寺である宗派の総本山である知恩院に初参拝させることが主目的である。2日目はあいにく雨に祟られたため、おもに美術館、博物館と屋内観光におとなしく収まった。
 知恩院参拝のあと、祇園の「鍵善良房」で葛きりを食べ、その並びの「何必館」でアンリ・カルティエ=ブレッソンの写真展を見た。老母はブレッソンの写真よりも地階の魯山人の器展示のほうが興味を抱いていたようだ。まあそれはそれとして、同館のポスターやバナーに採用された『ムフタール街』(1952)という写真は、私の最も愛するブレッソンの作品である。10歳に満たぬ少年が赤ワインのボトルを2本抱えている。おそらく親のお遣いなのだろう。酒瓶を持って歩くことが大人じみて鼻高々だったのか、得意げな微笑を浮かべている。
 ブレッソンの展示を見て刺激を受けたため、東京の自宅に戻っても、ロバート・フランクの『THE AMERICANS』(1958)から十文字美信『感性のバケモノになりたい』(2007)、マルティナ・ホーグランド・イヴァノフ『FAR TOO CLOSE』(2011)などなど、いろいろと手持ちの写真集を片っ端からパラパラとめくっていた。ロバート・フランクについては最近、ドキュメンタリー映画『Don't Blink』も公開されたが、これはじつにいい作品だった。もし機会があったらご覧いただきたいと思う。

 にわかの写真熱を充当してくれたのが、試写と試写の移動途中に時間が少しあって寄ることのできたBunkamuraザ・ミュージアムのソール・ライター展〈ニューヨークが生んだ伝説〉である。この人の写真展を初めて見たが、感動的な発見となった。とくに素晴らしいのが、1950年代から60年代にかけてニューヨークの市井を撮影したまま現像もされずにソール・ライターの自宅スタジオに放置されていたカラー写真の作品群である。この時代の写真作品はモノクロームであることが普通だろう。表現と呼べる写真はつねにモノクロームだった。ところが、ソール・ライターはカラーフィルムの色彩を好んだようである。
 この時代のニューヨークをカラーで見ることができるのは、ハリウッドのテクニカラー作品以外にはほとんどないと思う。後代に生きる私たちにとってソール・ライターのカラー写真作品は、テクニカラーのハリウッド映画に連なるものである。赤い傘が、オレンジの帽子が、緑の青信号が、ねずみ色の残雪が、まっ黒な遮蔽物が、真っ白なワイシャツが、いずれも眩しい。目を喜ばせる。
 ソール・ライターは写真家であり、画家だった。日本美術に精通した彼の抽象画は、禅僧の描く山水と墨蹟であったり、ニコラ・ド・スタールの色彩の横溢であったり、ロラン・バルトが戯れに筆を走らせたざっかけない水彩のようであったりする。やはり、目を喜ばせる。


Bunkamura ザ・ミュージアムにて6/25(日)まで(以後、2018年春に伊丹市立美術館に巡回)
http://www.bunkamura.co.jp/
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『ザ・ダンサー』 ステファニー・ディ・ジュースト

2017-06-13 01:02:58 | 映画
 現在公開されている作品のなかで、個人的に非常に気に入っている作品がある。「キネマ旬報」の星取りレビューでも絶讃の短評を書いたのだが、あまり読まれていない可能性もあるので、ここでもう一回触れておきたい。フランスの女性監督ステファニー・ディ・ジューストの長編デビュー作『ザ・ダンサー』である。
 19世紀末、ベルエポックのパリで活躍した女性舞踏家ロイ・フラー(1862-1928)のことはじつはまったく知らなくて、映画で初めて知った次第だ。アメリカ中西部のフランス系移民の娘である彼女は、田舎でくすぶっていたが、父親の死をきっかけにニューヨークに出て、夢である舞台女優をめざす。芝居の幕間で余興で踊ってみせたところ、そこそこ喝采を浴びたことから、ダンサーに転身する。
 ロイ・フラーを演じたミュージシャン兼女優のソコが、非常に素晴らしい。通常、中性的という言葉はどちらかというと女性性を併せ持つ男性に使われるケースが多いが、ソコは逆で、ある種の男性的な顔貌も兼ね備えた女性である。それほど美貌に生まれついたわけではなかったロイ・フラーは、羽を広げた白鳥のような絹の衣裳と、強烈な照明効果を活用しつつ、肉体の酷使によってオリジナリティを見出す。ひとりのアーティストの半生記という意味では、いわゆる「芸道もの」というジャンルに属する映画である。しかしこれほどフィジカルの強調された「芸道もの」は、パウエル=プレスバーガーの『赤い靴』(1948)以来あっただろうか。「スポ根もの」のような「芸道もの」である。
 まだ時代はコルセットの時代だった。そこに彼女はみずからの肉体によってアール・ヌーヴォーを体現した。初期のシネマトグラフにも踊る彼女がいる。そういう端境にいる感覚が、この作品から伝わってくる。美と悲惨がない交ぜとなってゴロゴロと転がっていく世紀の始まりとは、こういう火のような舞いによって印をつけられた。絵画においてジャポニスムが興ったのと同様に、ロイ・フラーが川上音二郎一座を招聘して、パリで川上貞奴ブームを生み出したのは面白い。映画においても、ロイ・フラーの日本舞踊へのリスペクトの念は印象的だ。上写真は、ロートレックが彼女の舞踏公演を描いた絵である。
 最後にひとつ。本作のシナリオは監督のステファニー・ディ・ジューストとトマ・ビドガンの共同によるものである。ホワイ・ノット・プロダクションの制作担当だったトマ・ビドガンはやがて脚本にも着手するようになり、ベルトラン・ボネロの『サンローラン』(2014)も書いている。『サンローラン』は私の偏愛する作品であり、今回の『ザ・ダンサー』も含め、私はこのトマ・ビドガンというライターが好みのようである。


6/3(土)より新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座、Bunkamuraル・シネマほか全国公開中
http://www.thedancer.jp
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『グレートウォール』 張芸謀

2017-05-07 05:38:43 | 映画
 結局のところ、張芸謀(チャン・イーモウ)をどう評価すべきなのか? もうひとつ映画作家としての輪郭がはっきりしてこないし、あまり積極的に評価したいとも思わない。しかしながら、文化大革命を描いた前作『妻への家路』(2014)における前半のクライマックスである主人公夫婦の密会シーン——密会場所である駅の連絡橋にむかう妻(コン・リー)、逃走中の思想犯である夫、夫を追う当局の捜査陣、バレエの主役の座欲しさに父を当局に売った娘の4者のめくるめくカットバック——の、何十カットにも増幅され、サスペンスが宙づりになったまま引き伸ばされていくこのシーンは、まるで映画が発明されて間もない時代の産物のごとく、いまだ私たちがグリフィスの時代、エイゼンシュテインの時代を生きているかのごとく蠢いていた。

 張芸謀の最新作『グレートウォール』は、マット・デイモンを招聘し、中国史上最高額の予算をかけたCGベースの史劇アクションとして見るなら、単につまらなさそうな空疎な超大作にすぎない。『ワールド・ウォーZ』の原作者マックス・ブルックスが、『グレートウォール』の原案スタッフに入っており、まさにこの2作は似たようなイメージに収まる。しかし上のような、無償の運動論的サスペンスとしてとらえた場合の張芸謀映画は、別の表情も見せてくれるかもしれない。
 万里の長城をめぐり、映画は2つの再考をうながす。1つめは長城建設の真の理由である。史実としては、北方民族の侵攻を防ぐためというものだ。しかしこの映画は、モンスターの侵攻を防ぐのが真の建設理由だと説く。ようするにこれは、単にモンスターパニックムービーなのである。
 2つめは長城の用途についてである。これがこの映画の最も素晴らしい部分だ。長城の屋上に無数の飛び込み台が設置され、体重の軽い女子部隊が命綱をつけ、バンジージャンプの要領で落下し、モンスターを長槍で退治してから命綱によって上方に退散する。ハアー!なるほど、万里の長城はこうやって戦争で活用されたわけか。長城とは、トランプ大統領が提唱する移民防止壁ではなかったのだ。ワイヤーアクションの元となる装置、上下運動をくり返しつつ敵を殺戮するための装置だったのだ。

 ところで、中国を代表する歴史大作に、日本の一映画評論家がいちゃもんをつけるのもナンであるが、宋王朝の軍人たちがモンスターのことを「饕餮(とうてつ)」と呼んでいたのが、非常に気になった。たしかに「饕餮」とは怪獣のことだ。私のような青銅器ファンにとっては、饕餮は鳳凰や爬虫類などと並んで、最も親しみのある文様である。殷から西周、東周、春秋戦国時代にかけて青銅器にあしらわれた饕餮文は不気味きわまりなく、紀元前の人々の美的感覚は途方もないとしか言いようがない。ただ、この世のあらゆるものを食い尽くす饕餮は、魔を喰らう、凶事を喰らう、いわば魔除けとしても描かれていたのである。
 日々の美術鑑賞の場において、私のような者はグロテスクなモンスターの図像である「饕餮文」を魔除けとして、ルーペで細部まで拝んで有り難がっている。だから今回の映画で、饕餮の名が取り沙汰されたことじたいをうれしく思う一方、残忍かつ野蛮な異民族(古くは匈奴や鮮卑、中世ではモンゴル族、満州族、19世紀ではイギリス、20世紀では日本のことだ)のアレゴリーと化したのは、非常に居心地悪かった。


TOHOシネマズシャンテ(東京・日比谷)ほか全国で上映
http://greatwall-movie.jp
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『ムーンライト』 バリー・ジェンキンス

2017-05-01 06:21:25 | 映画
 マイアミのリバティ・スクエアという麻薬・犯罪多発地区で撮影された、泥の中から芽が出る蓮の花のような、朦朧とした夜の美しい月をすくい取ろうとしている映画である。マイアミというと、『マイアミバイス』などの警察映画、アクション映画ばかりが思い浮かぶが、ニコラス・レイの密猟映画『エヴァグレイズを渡る風』(1958)なんていういかにもフィフティーズ的な傑作もある。いずれにせよ、明るい南国の陽光とは裏腹に、油断の許さない暗黒街のイメージがある。ロケーション期間中、スタッフ&キャストにはボディガードが付いた(とはいえ監督自身が地元出身のため、地区の住人はロケに危害を加えなかったそうだ)。
 薬物中毒の売春婦の息子シャロンは、リバティ・スクエアの子どもたちに絶えずいじめられている。シャロンを、小学生、高校生、成人期と3つのパートに描き分け、それを別々のアフリカ系アメリカ人俳優が演じている。面白いことに、その身体的特徴がはなはだしく異なり、別人にしか見えない。小学生のシャロンは小柄で「リトル」とあだ名されている。高校生のシャロンはひょろりと細長く、ゲイに目覚める。彼の孤立と鬱屈ぶりは、ヴィンセント・ミネリ『お茶と同情』(1956)のシスターボーイを思い出させる。そして、大人になったシャロンは筋肉質に肉体改造し、高級車のスピーカーでヒップホップを聴いている。
 『お茶と同情』では、シスターボーイを精神的に助ける舎監の妻をデボラ・カーが非常に印象的に演じていたが、この『ムーンライト』にも、似たような慈愛に満ちた年上の女性が登場する。テレサという、麻薬密売ボスの恋人である。このすてきなアフリカ系女性と主人公シャロンの擬似的な母子関係はずっと続くが、画面上からは前半だけでいなくなってしまう。私たち観客はもっとこのテレサという女性を見続けたいと思い、後半における彼女の不在を寂しく思う。父性の喪失、そして母性の稀薄は、主人公あるいは作者にとって、取り返しのつかない宿命としてあるのだろう。
 アトランタに転居したシャロンが久しぶりにマイアミに帰省して、高校時代の親友(じつは恋心を寄せていた)ケヴィンに会いに行く、夜のダイナーのシーンが出色である。ケヴィンはシャロンに最初は気づかない。ケヴィンは高校時代の裏切りをシャロンに詫びたものの、タフガイとなったシャロンの風貌変化にとまどいを隠せない。登場人物たちの記憶と体験はしっかりとした紐帯で留まっているものの、じっさいのところ3つの時代はもはや別々の作品と言ってよく、撮影手法も色調もまったく異なる。シャロンと母親、シャロンとケヴィンの再会を、ヨリの切り返しで見せていく第3パートは、堂々たるメロドラマへと傾斜し、私たち観客を揺さぶるだろう。


TOHOシネマズシャンテ(東京・日比谷)ほか全国で公開
http://moonlight-movie.jp
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庭劇団ペニノ『ダークマスター』

2017-02-12 10:20:04 | 演劇
 タニノクロウ主宰の庭劇団ペニノの新作は、『ダークマスター』(こまばアゴラ劇場)で、これは2003年に下北沢駅前劇場、2006年にこまばアゴラ劇場で上演された戯曲の再々演である。3度目となる今回は大阪の場末を舞台にして大幅に改訂されたものである。改訂されたとはいえ、ペニノ旗揚げ3年後に初演された作品ということで、これまで何本も見てきたタニノクロウの演劇作品のなかで最もオーソドックスに小劇場的な、いわゆるお芝居だった。
 腕は一流だが、客あしらいの悪さとアルコール依存症のために、客足がぱたりと途絶えた洋食屋のワンセットドラマである。偶然店にやって来た東京のバックパッカーが、「自分捜し」ついでに、成り行き上この店の見習いとなる。料理未経験の若者の耳に超小型のWiFiイヤホンが装着され、店の主人の指令どおりに料理する。店のありとあらゆる場所にミニカメラが仕掛けられ、上階に閉じこもった主人は的確に指令を出し、若者のつくる洋食はSNSやグルメ評価サイトで好評を得て、あっという間に行列店になってしまう。
 大阪弁の荒っぽい主人と、東京から来たナイーヴな若造の、奇妙な友情と成功をニヒリスティックに描いた喜劇かと思いきや、どうやらそうでもないらしい。若造の耳にイヤホンを入れた次の瞬間から主人は上階に引きこもってまったく姿を現さなくなり、ただ単に指令の声だけの存在となる。それも徐々に若造の腕前が上がるにつれて聞こえなくなっていき、芝居の序盤では主人公とも思われたはずの店の主人は、存在しているのかどうかさえ分からなくなる。
 リモートコントロールによる指令、実体のない司令塔、知らぬ間に群衆を寄せつけるプロモーションなど、ある種ドクトル・マブゼ的、洗脳主義的なドラマが薄気味悪く展開していく。若造の料理パフォーマンスは客たちによってスマホで撮影され、YouTubeなどで世界中に流布される。こんな分かりやすいタニノ演劇があるとは。初期らしい作風なのかもしれない。近年のタニノ演劇はもっと不可解で謎めいていた。おととしの東京芸術劇場アトリエイースト・リハーサルルームにおける『タニノとドワーフ達によるカントールに捧げるオマージュ』などはその極北であった。だから、今回の『ダークマスター』は最新の上演なのに、すこし懐かしい、アナクロの感触がある。
 後半に登場する、札束攻勢で店を翻弄するバブル的な中国人客と、店の若造との確執は、あまりにも分かりやすい比喩的表現に落ち着いていて、疑問に思えた。劇を通じて会場内に笑いが絶えず、その点では成功作ということになるのかもしれない。しかしながら、この大阪的笑いに落ち着いている点に、私は物足りなさも感じた。喜劇ではダメだと言うのではない。しかしもっと挑発的であってほしい。


こまばアゴラ劇場(東京・駒場東大前)できょうマチネで終演
http://niwagekidan.org
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