私がふだん出入りする映像製作プロダクション移転につき、東京・広尾のスペースを引き払って引っ越しをする前夜、作業の合間にエレベーターで上がり、ビル最上階にある会長室を訪れた。グループの総務課からの連絡によれば、安田匡裕の一周忌に際して、一週間ほど会長室隣の役員応接室に祭壇を設けた、というのである。
午前0時を回っていたから、部屋はもう開いていないかと思ったが、さすがは製作プロダクションだけに、こういう時刻の訪問も想定されているのであろう。役員応接室で、さまざまなトロフィーやら賞状やらアルバムが飾られた遺影に、手を合わせた。遺影の正面の壁には、『ディア・ドクター』と『空気人形』のポスターが貼られている。安田の2本の遺作である。
そして隣の、ドアが半開となったまま、電灯が消されて真っ暗な会長室に入ってみた。1人で来たため、なにやら不法侵入しているような気分となったが、最期まで訪ねることのなかった安田さんの部屋を見ておこう、という心情である。安田さんという人は、用のある人物のところへ自分からフラリと近づいてくるタイプの人で、まったくと言っていいほど他人を自分の部屋に呼びつけるような人ではなかった。
暗闇の中、安田さんのデスクや書棚はそのままで、安田さんの霊が今ここにいるな、と思った。もちろん恐怖など感じることはない。大きな窓から有栖川宮方面を眺めると、広尾明治屋、広尾タワーズレジデンス、六本木ヒルズ、さらにその奥には東京タワーの電飾が見える。私たちが働いていた階下にくらべると、ずいぶんと見晴らしがいい。それら電飾の明滅が、しずかに、発酵するように、異常なまでにはっきりと見えている。暗闇の部屋から眺める夜景というものは、いつも黄泉(=夜見)の側から眺める現世のように、はっきりし過ぎた輪郭を持っていると思う。ちなみに、左写真の正面の暗闇が、会長室である。
私は一礼して、暗闇の部屋を立ち去った。広尾よ、さらば。
午前0時を回っていたから、部屋はもう開いていないかと思ったが、さすがは製作プロダクションだけに、こういう時刻の訪問も想定されているのであろう。役員応接室で、さまざまなトロフィーやら賞状やらアルバムが飾られた遺影に、手を合わせた。遺影の正面の壁には、『ディア・ドクター』と『空気人形』のポスターが貼られている。安田の2本の遺作である。
そして隣の、ドアが半開となったまま、電灯が消されて真っ暗な会長室に入ってみた。1人で来たため、なにやら不法侵入しているような気分となったが、最期まで訪ねることのなかった安田さんの部屋を見ておこう、という心情である。安田さんという人は、用のある人物のところへ自分からフラリと近づいてくるタイプの人で、まったくと言っていいほど他人を自分の部屋に呼びつけるような人ではなかった。
暗闇の中、安田さんのデスクや書棚はそのままで、安田さんの霊が今ここにいるな、と思った。もちろん恐怖など感じることはない。大きな窓から有栖川宮方面を眺めると、広尾明治屋、広尾タワーズレジデンス、六本木ヒルズ、さらにその奥には東京タワーの電飾が見える。私たちが働いていた階下にくらべると、ずいぶんと見晴らしがいい。それら電飾の明滅が、しずかに、発酵するように、異常なまでにはっきりと見えている。暗闇の部屋から眺める夜景というものは、いつも黄泉(=夜見)の側から眺める現世のように、はっきりし過ぎた輪郭を持っていると思う。ちなみに、左写真の正面の暗闇が、会長室である。
私は一礼して、暗闇の部屋を立ち去った。広尾よ、さらば。