1995年に邦訳の初版が出、その後絶版になっていたクロード・レヴィ=ストロース(1908-2009)の写真+キャプション集『ブラジルへの郷愁』が、先々月、単行本サイズに縮刷され再刊された(中央公論新社 刊)。1930~39年のブラジル滞在を記した代表的著作のひとつ『悲しき熱帯』(1955)の39年後の別版で、ブラジル内陸部に居住するカデュヴェオ族、ボロロ族、ナンビクワラ族、ムンデ族、トゥピ=カワイブ族を、若き日のレヴィ=ストロース自身が愛機のライカで撮影した180点のスナップとキャプション文で編まれている。
この本の出版に際してレヴィ=ストロースが取った姿勢は、全否定とまでは言わないまでも、非常にアンビバレントなものだ。「あらためて眺めてみると、これらの写真はある空白の印象、レンズには元来とらえられないはずのものの、欠如の印象を、私に与える。」と序文に寄せている。また、彼はこうも言っている。「核による地球全体におよぶ破滅のあとで、あちこちの散在して生きのびている人の群れを想像してみるといい。」
訳者の川田順造も、あとがきにこう書き残している。「著者が地の果てと思われるような奥地にまで訪ねて行った先に発見したのは、『未開人』の原初の姿ではなく、白人の侵略の300年余りの歴史の中で、追われ、殺され、落魄して『未開になった』人々だった」と。彼らは、16世紀まではアマゾン川流域に高度な都市文明を築き、白亜の屋敷と豊饒なる食糧倉庫、そして花咲き乱れる庭園に囲まれて揚々と暮らしていたが、20世紀の彼らは無残にも、ジャングルの中で全裸で地べたに寝起きしている。それでも、彼らに向けられる著者のファインダ越しのまなざしはどこまでも温かいのだが、その温かみがかえって、のちに著者自身を暗くさせてしまう、ということだろうか。
Tristes tropiques(悲しき熱帯)とは、最終戦争や環境汚染の果てに現出されるであろう私たちの未来をも、指し示している。かぎりなく「未開」としか思えぬナンビクワラ族の素っ裸の女たちの笑顔を眺めながら、たしかに私は居心地の悪さも感じとらざるを得ない。
この本の出版に際してレヴィ=ストロースが取った姿勢は、全否定とまでは言わないまでも、非常にアンビバレントなものだ。「あらためて眺めてみると、これらの写真はある空白の印象、レンズには元来とらえられないはずのものの、欠如の印象を、私に与える。」と序文に寄せている。また、彼はこうも言っている。「核による地球全体におよぶ破滅のあとで、あちこちの散在して生きのびている人の群れを想像してみるといい。」
訳者の川田順造も、あとがきにこう書き残している。「著者が地の果てと思われるような奥地にまで訪ねて行った先に発見したのは、『未開人』の原初の姿ではなく、白人の侵略の300年余りの歴史の中で、追われ、殺され、落魄して『未開になった』人々だった」と。彼らは、16世紀まではアマゾン川流域に高度な都市文明を築き、白亜の屋敷と豊饒なる食糧倉庫、そして花咲き乱れる庭園に囲まれて揚々と暮らしていたが、20世紀の彼らは無残にも、ジャングルの中で全裸で地べたに寝起きしている。それでも、彼らに向けられる著者のファインダ越しのまなざしはどこまでも温かいのだが、その温かみがかえって、のちに著者自身を暗くさせてしまう、ということだろうか。
Tristes tropiques(悲しき熱帯)とは、最終戦争や環境汚染の果てに現出されるであろう私たちの未来をも、指し示している。かぎりなく「未開」としか思えぬナンビクワラ族の素っ裸の女たちの笑顔を眺めながら、たしかに私は居心地の悪さも感じとらざるを得ない。