荻野洋一 映画等覚書ブログ

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ユーロ2016を終えて

2016-07-15 04:00:35 | サッカー
 ユーロ2016の感想を少しばかり。
 まず私にとってのベストマッチは、最も興奮させられたという意味で、イングランドvsアイスランド。イングランドが普通にルーニーのPKで先制するも、そのあとすぐにアイスランドが2点をパパッと取って逆転勝ちするという衝撃的な一戦だった。特にアイスランドの2点目。大きな展開からフリーの選手が決めた1点目は今大会のアイスランド特有のゴールだったが、2点目は違う。まるで好調時のスペインのような華麗なティキタカで、イングランド守備陣を完璧に翻弄してからのゴールだった。スコアは2-1だが、インプレッシヴ・ポイントはそれ以上の差があった。
 ウェールズvsベルギーもおもしろい一戦だった。ナインゴランの豪快ミドルが決まったときには、一方的な展開になると思ったけれど、意外な展開となった。ウェールズの1点目(つまり同点弾)がおもしろい。シメオネのアトレティコ・マドリーが時々使う「芋虫」的なセットプレーで、ジョルダン・ルカクがマークする相手をフリーにさせてしまった。この日初スタメンのジョルダン・ルカクの若さが出て、心理的駆け引きに負けた。
 評判となったリヨンでのフランスvsアイルランド、ハーフタイムでのデシャンのダブル交代も素晴らしかった。カンテOUT コマンIN、スタート時の4-3-3から、最近試していなかった4-2-3-1にシステム変更。トップ下に入ったグリーズマンの2ゴールはいずれも、後半のシステム変更の賜物だった。
 決勝ポルトガルvsフランスは、もちろん、休みの1日少ないフランスの疲労が大きかったけれども、クリスティアーノ・ロナウドの故障交代後がそこはかとなく漂う「鵺的」な妖気が印象深かった。ポルトガル、フランス双方のピッチ上の22人がみな、クリスティアーノの超能力の前に調子を狂わされたかのようだった。内容はともあれ、ポルトガルがついに同国史上初のメジャータイトルを獲得した。12年前の自国開催のユーロ2004決勝で、ギリシャののらりくらりとしたフットボールにしてやられて、涙を流した経験を方法論として体得したかのような、塩漬け型のフットボールを実践しての戴冠だったが、2年後のロシアW杯ではヨーロッパ王者の責任として、イベリア半島元来の美しいフットボールを再興してほしい。昨今は、美しいフットボールを否定するのが新しい、みたいな風潮が大手を振っていて嫌な感じがするから。

バルサとフランコ独裁について

2015-11-21 08:25:35 | サッカー
  FCバルセロナが自他共にみとめる別称、というか美称がある。それは「Més que un club(メス・ケ・ウン・クルブ)」、つまり「クラブ以上の存在」という意味である。ホームスタジアムの観客席にも巨大なこの文字が染め抜かれている。この「クラブ以上の存在」という言葉を、サッカー雑誌などでは「ビッグクラブのその上を超越する存在」などと解する向きがあるが、この呼称はそうした、単なる格式の高さをうんぬんするものではない。
 この「Més que un club」を最初に唱えたのは、1968年から69年にかけてバルサの会長をつとめたナルシス・ダ・カレーラスで、彼が会長就任時に述べた言葉である。その際の言葉の意図はより政治的なものであった。1968年といえば、スペインはまだフランコ総統を頂点とするファシスト政党「ファランヘ党」の一党独裁体制のもとにあった。スペイン内戦の終結した1939年に始まったフランコの独裁は、日本やドイツ、イタリアとちがって、第二次世界大戦で中立を貫いたためにかえって、フランコの死去する1975年まで、なんと46年におよぶ長期独裁であった。
 その間、政治犯の検挙、銃殺、カタルーニャ語とバスク語など各地の言語の使用禁止、民俗舞踊や音楽の演奏禁止など、苛烈な弾圧と恐怖政治が続いた。ビクトル・エリセ監督の『ミツバチのささやき』が醸し出す、一種異様な静けさ、何か言いたいことをノドの奥にそっとしまい込むような寡黙さがいったい何なのか、このフィルムがフランコ独裁政権下の1973年に製作されたことを踏まえなければ、理解できないであろう。
 そんなさなかの1968年、ダ・カレーラス新会長は「クラブ以上の存在」を宣言した。その意味は、バルサが単なるスポーツ団体として活動するのみならず、カタルーニャ社会の象徴として、カタルーニャの文化、社会、民族伝統、民主化運動…そうしたものの一切合切を包含する存在として、活動していこうという、大胆不敵な宣言である。1940年代以降、バルサには折にふれ弾圧が加えられてきたが、1968年、機は熟したわけである。30年近い雌伏の期間を置かざるを得なくても、民主化の象徴としてのバルサは甦っていった。ジョルディ・プジョルら活動家のプランニングのもと、非合法的な民主化運動のリーダーや、ソーシャリスト、コミュニストの活動を、バルサは陰で支えてきたのである。そしてその流れは、オランダのアヤックスからヨハン・クライフが加入した1973年、もう後戻りのできないものとなる。
 そして、2015年。9月にカタルーニャ自治州の州議会選挙がおこなわれ、カタルーニャ独立をとなえる勢力が圧倒的多数で勝利した。今後1年半にわたるアジェンダにおいて、カタルーニャは独立にむけた手続きをとっていくことなる。もちろん、スペイン政府はこれをいっさい認めておらず、今後激しい対立を生むことだろう。
 スペインプロサッカー連盟(LFP)もまた、「カタルーニャが独立した場合、バルサはリーガ・エスパニョーラにいることはできない」という意向を表明している。バルサはリーガを追い出され、レアル・マドリーとのクラシコも消滅するわけだ。興味深いのは、フランス政府の動きである。フランスのヴァス首相が今月、「もしバルサがリーガ・エスパニョーラを追い出された場合、バルサのフランス・リーグアン加盟を歓迎する」と正式に表明した。つまり、バルサはパリ・サンジェルマンやマルセイユ、リヨンなどとリーグ戦を戦うことになる。それはそれで面白いのではないか。とはいえ、これはLFPによる、カタルーニャ独立を阻止するための脅迫であって、真に追い出したいとは思ってはいまい。
 今回のカタルーニャ独立運動に対し、バルサの現執行部は中立を表明している。しかし、前々会長のジュアン・ラポルタは、いまいちどバルサは「Més que un club」の精神を体現し、独立の旗頭になるべきだと主張しており、元バルサの監督で現在はバイエルン・ミュンヘンの監督をつとめるジュゼップ・グアルディオラもカタルーニャ独立を明確に支持している。
 そうしたまっただなかのきょう、2015年11月21日の夕方6時(日本時間の深夜2時)、マドリーのサンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムで、伝統の一戦クラシコ、レアル・マドリーvsバルセロナがおこなわれる。カタルーニャ州選挙の結果を受けての初のクラシコであり、パリ同時多発テロが起きて間もないタイミングでの、厳戒態勢におけるクラシコである。首都の警備の物々しさは常軌を逸しているほどだとニュースは報じている。今夜いったい、何が起きるのであろうか。とりあえず、ケガで離脱中だったメッシはどうやら間に合うとの情報である。

放送告知
11月21日(土)深夜2:00(日曜午前2:00) WOWOWライブで独占生中継

『サントス ~美しきブラジリアン・サッカー』 リナ・シャミエ

2013-08-05 00:18:18 | サッカー
 『ジンガ ブラジリアンフットボールの魅力』(プチグラパブリッシング刊)の著者・竹澤哲さんからお誘いを受け、ブラジル大使館でおこなわれた、リナ・シャミエ監督『サントス ~美しきブラジリアン・サッカー』の試写へ出かけた。
 サンパウロ州の港湾都市サントスに本拠地を置くサントスFCの履歴をたどるドキュメンタリーで、クラブのレジェンドが、(1)ペレ、ペッピ(ペペ)の時代(1950’s~1970’s)、(2)暗黒の時代(1970’s~1980’s)、(3)ジオヴァンニの時代(1990’s)、(4)ロビーニョとジエゴの時代(2000's)、そして(5)ネイマールの時代(2000's~今夏)と区分されて語られていく。おもしろいのはサントス市内のサポーターよりもサンパウロ市内の無名人・著名人のサポーターにスポットを当てていること。サンパウロ市内から60kmしか離れていないサントスだが、高速道路はクネクネとした下り坂を下りていき、なかなか到着しない。だからサントス・ファンには特別な魂が宿っているのだと言わんばかり。「純白のユニフォームはモノクロの中継で見るとよけいに白く見え、黒人選手をより黒く映えさせた」というオールドファンの言葉。
 ペレがなかなか蹴らないPKを決めて通算1000ゴールを達成し、試合途中なのにマスコミがピッチになだれ込み、感極まってプレー続行不能となったペレを撮影し、そのまま試合が再開されたのかさえ不明となってしまう、素晴らしくエモーショナルなシーンを見ることができた。ペレが試合中に突如としてセンターサークルで両手を広げて神に祈りはじめ、スタンドのファンたちがすべてを理解して号泣する(引退の瞬間を目撃したという)証言など、伝説がたくさん詰まっている。
 本作がドキュメンタリーとして秀逸かどうか、それは正直なところわからない。ただ、名シーンの目白押しであることはまちがいない。しかも、これを作ったのがリナ・シャミエという女性監督という点が、なお素晴らしい。わが少なからぬサッカー取材経験、中継経験から言わせてもらうなら、イングランドやドイツといった北の諸国においては、サッカーはもっぱら男たちだけの娯楽で、女性はそれを冷ややかに眺める傾向がたしかにある。ところが、スペインやブラジルといった鉄板の上で油がはねているような国では、屈託なき少女たちが、美しいレディたちが、たくましい年増女たちが、老人ホーム住まいのヨボヨボな老婆たちがスタジアムに来てフッボル(フチボウ)を祝祭的に、または単に午後のおやつのように思い思いに楽しんでいる。
 本作を、私はオーソン・ウェルズの『イッツ・オール・トゥルー』(1941-1993)のリールの尻に繋げて見てみたい。


10~11月に東京・福岡・金沢・大阪・浜松・京都で開催の〈ブラジル映画祭2013〉で上映予定
http://www.cinemabrasil.info

シネフィル、マルセロ・ビエルサ

2012-10-06 08:10:07 | サッカー
 リーガ・エスパニョーラ第7節、シーズン序盤のクライマックスとなる “エル・クラシコ”、バルセロナvsレアル・マドリーが、現地時間7日(日)午後7:50(日本時間8日(月)未明2:30よりWOWOWライブで放送)、バルサのホーム、カンプ・ノウでおこなわれる。現代フットボール界の巨星2つの直接対決だけに、最高度の技術、および最先端の戦術で見逃せない一戦となる。また試合会場では、先日の150万人カタルーニャ独立デモを受け、なにがしかのアピール行動がなされると予想される(入場時のモザイクで「独立宣言」するとか)。

 それに引き替え、昨シーズンの躍進とは打って変わってすっかり不調に陥っているのが、バスク地方の古豪アスレティック・ビルバオである。シーズン開幕直後に、守備の中心ハビ・マルティネスが40億円の移籍金でバイエルン・ミュンヘンに移ってしまったり、エースFWジョレンテのユヴェントス行きが報じられるなど、シーズン準備段階からバタバタだったというエクスキューズがある。ハビ・マルティネスを放出して得た40億円もの金は、新戦力の獲得資金とはせずに、カンテラ施設の充実に当てるというのが、いかにもこのクラブらしい方針だ。現状でもかなり充実しているのだが。
 去就がそろそろ取り沙汰されてもおかしくないマルセロ・ビエルサ監督だが、この人はシネフィルとして知られている人。ヨーロッパ各地の名門クラブから引き手あまたのこの人に「アスレティック残留の意志あり」と報じられたのは、ビルバオ市内のレンタルビデオ店で会員カードの延長手続きをしたことが判明したためである。
 ビエルサは、伝統のバスク・ダービー(ビルバオ市のアスレティック対サン・セバスティアン市のレアル・ソシエダの対戦を指す)を控えた前節、チーム本隊より一日早くアウェーのサン・セバスティアン市内に入ったそうである。敵情視察かと思いきや、開催中のサン・セバスティアン映画祭(イベリア半島最大の映画祭)にて一日を過ごしたということだ。チリ映画の新鋭フェルナンド・グッソーニ監督の『Carne de perro(犬の肉)』を痛く気に入ったようで、グッソーニ監督に会場で、みずからの指揮するアスレティック・ビルバオのユニフォームをプレゼントした。
 黒沢清のWOWOWドラマ『贖罪』が270分に短縮されてオールナイト上映され、多数の観客が詰めかけたサン・セバスティアン映画祭は、フランソワ・オゾンの『Dans la maison』に金貝殻賞を、トミー・リー・ジョーンズに永年功労賞を授与して閉幕した。件のフェルナンド・グッソーニは、めでたく新人監督賞を受賞した模様である。

 2010年ワールドカップ・南アフリカ大会でチリ代表を率い、異端的な3-4-3を敷いてベスト16に導き、評価を上げたマルセロ・ビエルサ。よき思い出のつまったチリとは、今回の映画『Carne de perro(犬の肉)』を通じてつながりを再確認したといったところだろうか。

(写真は昨年10月、記者会見に応じるマルセロ・ビエルサ。筆者写す)

祝☆スペイン、メジャー国際大会史上初の3連覇☆☆☆

2012-07-02 12:32:33 | サッカー
 祝スペイン2連覇! 2010年南アフリカ・ワールドカップも含めると、メジャー国際大会3連覇という前人未到の偉業を成し遂げた。大会を通してあまり本調子とも言えなかったが、それでも最後には笑った。これでUEFA EURO 2012の熱い1ヶ月が終わった。

 平均身長が低くフィジカルに恵まれないチームが、長身民族のひしめく欧州大陸を再び制したことは、サッカーという競技が持ちうる多様性への力強い肯定となった。背が高ければ、体重が重ければ勝つ、あるいはスピードが速ければ、遠くへ跳べれば勝つ、という実測的側面が成績にむすびつく競技のアスリート的な魅力はもちろん否定されるべきではないけれども、柔道および空手などで言う「柔よく剛を制す」「小よく大を制す」というテーゼを、スペイン代表は美しい幾何的なグループワークでまざまざと体現した。スペイン代表による本競技そのものに対するこの貢献を、決して過小評価すべきではないと思う。
 いっぽう、イタリアはたしかに中二日で疲労の蓄積は否定しがたく、その点で気の毒ではあったが、グループステージ2位通過のチームが背負うべき日程的なハンディキャップを、プランデッリは不当なものだと言い訳にしているわけではない。むしろ、大会前の下馬評を思い返すならば、誰もが「これなら上出来だ」と彼らを賞讃するだろう。私自身、パルマ時代の中田英寿との確執のためプランデッリにはいい印象を持っていなかったのだが、今回いっきにプランデッリ・ファンになった。3人交代枠を使いきった直後のモッタの自爆はアンラッキーだったが、積極采配の結果なので、これはしかたがないと思う。

 勝手な言い分だけれど、ザッケローニの日本代表には、スペインとプランデッリ・イタリアをブレンドさせたようなチームづくりを期待したいところです。