ただ大恥をかいただけに終わった前2作から一転、松本人志は時代劇に挑んだ。ひとつの持続的なストーリーというものはなく、ジャック・タチのように、あるいは市川崑の『股旅』のようにごく短いギャグエピソードの集積である。
ただ、この新作を見ていると、なつかしい「カイエ・ジョーヌ(黄色い表紙だったころのカイエ・デュ・シネマ誌。作家主義を純粋に標榜していた時代)」でよく言われていた、「これはフィルム(映画作品)ではあるだろう。しかしシネマ(映画)ではない」という評価軸を思い出してしまう。
細君を亡くした悲しみに打ちひしがれるままにお役目を放棄し、脱藩手続きもとらずに、幼い娘(熊田聖亜)を道づれに旅に出たひとりの侍(野見隆明)。ふたりの行く藪の中の小径が鬱蒼と薄暗く、かといって藪の奥に木々の切れ目でもあるのだろうか、陽光を受けて妖しく光っている。これは、松本自身によって仕込まれた画づくりなのか、それとも優秀な撮影スタッフが段取ったものなのか、それは分からない。ただしその画面はシネマの露呈であった。
シネマをおのれの孤独な才能だけで破壊してみせようとしたピエロのもとに、ブーメランのごとく旋回してきたシネマ。皮肉だとしか言いようがない。松本人志は北野武ではない、という厳しい現実が横たわっている。
丸の内ピカデリー(東京・有楽町マリオン)ほか、全国で公開中
http://www.sayazamurai.com/
ただ、この新作を見ていると、なつかしい「カイエ・ジョーヌ(黄色い表紙だったころのカイエ・デュ・シネマ誌。作家主義を純粋に標榜していた時代)」でよく言われていた、「これはフィルム(映画作品)ではあるだろう。しかしシネマ(映画)ではない」という評価軸を思い出してしまう。
細君を亡くした悲しみに打ちひしがれるままにお役目を放棄し、脱藩手続きもとらずに、幼い娘(熊田聖亜)を道づれに旅に出たひとりの侍(野見隆明)。ふたりの行く藪の中の小径が鬱蒼と薄暗く、かといって藪の奥に木々の切れ目でもあるのだろうか、陽光を受けて妖しく光っている。これは、松本自身によって仕込まれた画づくりなのか、それとも優秀な撮影スタッフが段取ったものなのか、それは分からない。ただしその画面はシネマの露呈であった。
シネマをおのれの孤独な才能だけで破壊してみせようとしたピエロのもとに、ブーメランのごとく旋回してきたシネマ。皮肉だとしか言いようがない。松本人志は北野武ではない、という厳しい現実が横たわっている。
丸の内ピカデリー(東京・有楽町マリオン)ほか、全国で公開中
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