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そして、大震災の被災地域における仮設住宅のあり方をパネリストたちが熱く話し合うが、この議論を読んでいると、ひょっとして日本建築の新たなパラダイムは、被災地の仮設住宅が鍵を握っているのではないか、という夢想さえ抱かせる。
それと、私も以前からうすうす感じていたが、改めて認識したのは、日本の住居は戸建てにせよマンションにせよ、セキュリティとプライバシーがいたずらに追求されすぎているというのである。個人主義が未発達な日本、地下鉄で居眠りしてもスリに遭わず、個の緊張を欠いた日本、などとよく言われるけれども、その反面じつはこれほど住空間が隣近所や通行人と隔絶している国もめずらしい気がする。
「ヨーロッパの古い建築が連なっている街は、ある意味で日本の住宅などよりも厚い壁なのに、一つひとつの建物に住んでいるというより、なんとなく街に暮らしている感じがあります。ホテルの窓から見ても、どの住宅の窓も開いていて中がよく見えます。日本では建築のつくり方がいけなかったのかもしれないし、以前からそういう構造だったのかもしれない。」(妹島和世談 本書59-60頁)
たしかにヨーロッパの住宅は窓が開放的で、カーテンを神経質に引くこともなく、昼夜を問わず内部が丸見えであることが多く、住人がワインを飲みながら食事をとる光景や、好さそうなランプのもとで読書をしている姿が外部の視線に晒されてまったく憚ることがない。