荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『リトル・メン』 アイラ・サックス @東京国際映画祭

2016-12-10 11:42:01 | 映画
 『人生は小説よりも奇なり』のアイラ・サックスの新作『リトル・メン』が、東京国際映画祭の新設部門〈ユース〉で上映され、それから一ヶ月以上寝かせておいたのだけれど、やはりあれは素晴らしい作品だという意見は変わらない。こういう言い方は選別的で気が引けるが、映画をある程度数をこなして、きちんとした筋目に沿って見てきた人間だけに分かる良さなのである。
 パパ-ママ-ボクの一家が、パパの父、つまり祖父の死をきっかけに、マンハッタンの狭いアパートから、ブルックリンの商店街に転居する。そこで店子に入っている婦人服ブティックの母子と出会う。子ども同士は馬が合って親友となるが、親同士は家賃の値上げ問題がネックになって対立していく。
 イギリスの左派高級紙「ザ・ガーディアン」9月20日付けに掲載されたアイラ・サックスの独占インタビュー記事では堂々と「私はマルクス主義のパースペクティヴによって映画を撮る」と宣言し、その文言が見出しにまでなっている。同紙のレビューアー、ピーター・ブラッドショウは『リトル・メン』に5つ星だ。
 痛ましさと祝福がない交ぜとなった傑作『人生は小説よりも奇なり』の最も痛ましいシーンは、ゲイの主人公が恋人との生活を切り上げざるを得なくなり、親類の家に厄介になるなかで、甥の問題を、結果的にはちくったような格好となってしまう一連である。高邁な精神をもつはずの彼は、自分が密告者の不名誉をもってこの世を歩くことはできない。反故にされた約束、会おうという掛け声ばかりの空約束、約束もない冷たい状態、約束そのものを拒む厳しい状態。映画のリズムと人生の上昇・下降をたくみに同調させるアイラ・サックスの、アメリカ的としか言い様がない手綱さばきに舌を巻く。
 逆に『人生は小説よりも奇なり』の最も美しいシーンについて、ある年上の女性とたっぷりと話し合ったことがある。マンハッタンでオペラを見たゲイカップルの二人が、行きつけでないバーで店の者から少し不愉快な扱いを受けつつ、今見た演者の過剰さについてたがいに慣れた感じで討論し、でもそれはギスギスした口論とはならず、あの感動的な、あまりにも愛おしい地下鉄へ降りていく階段前で「おやすみ」を言うシーンへと繋がっていく。『リトル・メン』には、あれに匹敵するシーンはないかもしれない。いや、これ見よがしに良いシーンを設置するのではなく、アイラ・サックスは自分や仲間にこう諭したのかもしれない。「もっと沈潜してみよう、もっと深くに埋めてみよう」と。


東京国際映画祭2016〈ユース〉部門にて上映
http://2016.tiff-jp.net/
*写真は映画祭事務局に掲載許諾を得て使用しています