荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『夢と狂気の王国』 砂田麻美

2013-11-29 08:34:13 | 映画
 宮崎駿『風立ちぬ』、高畑勲『かぐや姫の物語』を見て、両方ともいいと思った。
 とくに前者における戦前の描写のあり方(たしかに肝心のことが奇妙なほどに忌避されているが、描きたいディテールへの偏向は単純な欺瞞ではないことは明らかだし、主人公の夢想的な唯美主義が度を越えているのは確かだが、これが観客にファシズムの蔓延を促すという論評は逆に過大評価だろう。宮崎はむしろ主人公の中に巣喰ったファシズムにこそ焦点を当てており、それは『暗殺の森』と同様だ)、そして、後者における『忍者武芸帳』タッチの筆さばき、『竹取物語』という作者も成立年代も不明なこの最古の物語がすでに孕んでいた反権力性をあからさまに再-露呈させる試み、こうした諸々にひたすら心動かされた。
 もちろん「月刊シナリオ」「映画芸術」両誌などで手厳しい『風立ちぬ』批判が展開されたことは知っている。映芸における記事のひとつひとつは深い省察のもとに書かれたことは明らかで、来たボールを打ち返すようにレビューを書くタイプの私にはとうてい書けないものだ。
 それでも私が『風立ちぬ』を肯定するために、どのような手続きが必要なのだろうか。それは(日を変えて)順を追っておこなわねばなるまいが、最初に述べておきたいのは、私自身が別段、宮崎駿のファンでもスタジオジブリのファンでもないということだ。そもそも「GHIBLI」と書いて「ジブリ」と表記する時点で許し難いという観念が、同社の創立当初からなかなか抜けなかった。イタリア語で「GHI」と綴ったばあい「ジ」ではなくとうぜん「ギ」の音となるわけだから、「GHIBLI」は「ギブリ」に決まっているではないか。こういうディテールのたくまざる錯誤の中にこそ、弱点が胚胎しているのではないか。となると、私が評価しようとしているのは、錯誤に転化しうる蜃気楼でしかないのかもしれぬ。

 『風立ちぬ』と『かぐや姫の物語』の製作過程に密着したドキュメンタリー映画『夢と狂気の王国』を、TOHOシネマズ錦糸町で見た。監督は『エンディングノート』(2011)の砂田麻美。必見の作品であるが、それは見終わったあとにパチパチと褒めてもらうためでは必ずしもない。とくに『風立ちぬ』に否定的な意見を持っている人たちに見てもらって、意見交換できたらいいと考えるのみである。
 ただし、これは前々から思っていたことなのだが、TBS『情熱大陸』やWOWOW『ノンフィクションW』など、夥しい数の著名人密着ドキュメンタリーが日々製作されている状況下で、このジャンルの鉱脈が尽きかけているのではないか。被写体のパッションに伴走してぶん廻しのハンディでフォローするにしろ、被写界深度の浅いレンズで端正かつ繊細なアングルに仕立てるにしろ、すでにそれはもうどこかで見たことのある映像のくり返しに思えてしまう。
 あとは被写体に対する作者の思い入れだけが勝負なのだが、それさえもがある種のクリシェとなっているケースが多い。とりわけその危険性はスポーツ選手の密着もので顕著であるが、それ以外の被写体がクリシェから免れているとはかぎらない。宮崎駿という被写体ははたして、そのクリシェから身を引き離し得たのか? ぜひ劇場で確かめていただければと思う。


TOHOシネマズ六本木、新宿バルト9、TOHOシネマズ錦糸町ほか全国で上映中
http://yumetokyoki.com

『清須会議』 三谷幸喜

2013-11-26 01:42:31 | 映画
 三谷幸喜という存在は、伊丹十三を思い出させる。
 その作品はつねに話題作または大ヒット作となり、主軸の演劇のみならず、映画、文筆、タレント業と多方面の活躍で時代の文化リーダーとして振る舞いつつも、どこかそうした現代社会そのものを小馬鹿にしているような表情を見せる。これは、映画監督デビューした伊丹十三が1980~90年代に見せた表情と大きく重なるのである。
 私は三谷幸喜の多くの作品を、雑誌などのワースト上位に投票しつつも、かつて伊丹十三の新作に目を爛々とさせつつ戦闘態勢で見に行ったのと同じような状態を求めて、三谷の新作を見に、劇場へ足を運び続けている。
 三谷作品で例外的にいいと思ったのは、三谷の戯曲を市川準が監督した『竜馬の妻とその夫と愛人』(2002)である。三谷幸喜と並んで私は市川準という作り手も大嫌いであった(合掌)。ところが、「嫌い×嫌い」つまり「嫌いの2乗」がなんと転じて「好き」に変わった奇跡的な瞬間であった。それほどあの作品での鈴木京香が素晴らしかった。

 そして今回の三谷幸喜の新作『清須会議』。前作『ステキな金縛り』(2011)の更科六兵衛(西田敏行)が楽屋落ちで登場するあたりは白けるほかはないが、総じてなぜか怒りを感じないのである。グランドホテル形式気取りで時空間を限定しつつ、登場人物たちを作者の言いなりの状態に拘束した上で、人形遊びに興じている点は依然として変わらない。合戦シーンを一回も見せず、武将が兜を着けることが一度もない戦国時代劇を披露してやろうという、いわば初期の『12人の優しい日本人』(1991)の戦国版とでも言うべき、得意の〈会議は踊る〉物である。
 どうやら三谷幸喜が時代劇を作っている分には、私の眼鏡にかなうらしい。その訳をこれから何年かかけて考えよう。三谷は『12人の優しい日本人』に次いで、伊丹十三の結果的に遺作となった『マルタイの女』(1997)に企画協力という形で参加し、当時東京サンシャインボーイズの西村雅彦が同作に主演している。『マルタイの女』が封切られた1997年9月27日から約3ヶ月後の12月20日に伊丹十三が落命していることを思えば、日本におけるエンタメ映画の覇権が、神の手によって伊丹から三谷へと禅譲されていることが分かるだろう。その前月の11月8日には、三谷の映画監督デビュー作『ラヂオの時間』(1997)が公開初日を迎えているのである。
 先日、私は梅本洋一の納骨式の後の精進落とし二次会の席上、敬愛してはばからぬ安井豊に対して「黒沢清から見た伊丹十三の暗黒の歴史」の物語を、盲目の琵琶法師のごとく長時間にわたり語ってみたのだが、同じく伊丹への関心を隠さない安井さんは相当喜んでくれた。私はこれを20年に一度の交感だと思った。そしてもうひとつ、私は「三谷幸喜から見た伊丹十三の権力簒奪史」というのも成立可能だと考えている。
 ようするに結論を言わせていただこう。今回の新作『清須会議』における織田信長(篠井英介)は伊丹十三のアレゴリーであり、羽柴秀吉(大泉洋)は三谷自身のアレゴリーである。となると、本作に顔を見せない徳川家康は、黒沢清ということになるのかもしれない。
 では伊丹十三も、マルボウだのマルタイだの新興宗教だのと事をかまえずに、父・万作の衣鉢を継いでナンセンスなチャンバラ時代劇コメディを撮っていれば、不慮の死を迎えずに済んだのだろうか? そして来月12月には、三谷はコクトーを演出することになっているらしい。果たしてその結果は?


TOHOシネマズ日劇(東京・有楽町マリオン)ほか全国で公開
http://www.kiyosukaigi.com/

『暗くなるまでこの恋を』 フランソワ・トリュフォー

2013-11-23 06:50:31 | 映画
 私がフランソワ・トリュフォーの監督作品を一般のロードショー劇場で目にするのは、じつに遺作『日曜日が待ち遠しい!』(1982)以来30年近くぶり(1985年日本公開)のことになる。あの頃は私もまだ10代と若くて……などといった感傷はたわごとに過ぎないが、トリュフォーの映画は年月の風化に耐え、いまなお鮮烈であり続けていることを今回改めて確認した。
 現在リバイバル公開されている『暗くなるまでこの恋を』(1969)は、前作『夜霧の恋人たち』(1968)とはたった1年しか違わないが、決定的な断絶がある。1968年の五月革命。『夜霧の恋人たち』がまさにその公憤と熱狂の影響下で撮られた作品であるとするなら──シャッターで閉鎖されたシネマテーク・フランセーズの外景が映し出され、権力側によって解雇されたアンリ・ラングロワ館長を擁護する旨が謳われる──、カトリーヌ・ドヌーヴとジャン=ポール・ベルモンドの2大スター共演の『暗くなるまでこの恋を』は、その後のトリュフォーの基調をなす濃密な恋愛サスペンス映画の系譜──もっと直接的に下品な表現を使わせてもらうなら、愛液にまみれたセックス映画である──の嚆矢となるものである。トリュフォーはこの6年後に代表作との誉れ高い『アデルの恋の物語』(1975)をイザベル・アジャーニ主演で撮りあげることになるが、『暗くなるまでこの恋を』はその原型でもある。そしてゴダール色の強いベルモンドをトリュフォー色に染め上げる儀式、これが何を意味しているかは火を見るより明らかだろう。
 五月革命の熱狂があり、盟友ゴダールとの訣別があった。そうした文脈の中に本作『暗くなるまでこの恋を』を位置づけながら辿り直すとき、ひとりの卓抜な映画作家が、荒波にボロボロとなりながら、それでもおのれの才能を信じて提示するもの、それを2013年という長い年月を経過したわれわれが、受け取っているのだという感慨は、決して軽いものではない。


新宿ピカデリー、難波パークスシネマ、沖縄・桜坂劇場の3箇所で上映中
http://movie.walkerplus.com/mv12048/

呉彬 筆『山陰道上図巻』@東博・東洋館

2013-11-20 02:21:19 | アート
 東博の耐震リニューアルなった東洋館に、《上海博物館展 中国絵画の至宝》を再訪す。後期展示替えがあったためである。
 明代・万暦帝の治世(爛熟期)に北京で活躍した画家・呉彬(ご・ひん)の『山陰道上図巻』(1608)の奇怪さたるや、虞や虞や汝を如何せん。

 これも山水画と言ってよいのか、動物の屍から取り出した大腸小腸にも見えるし、見たこともない爬虫類の蠕動にも似ている。明の世にすでにこれほどのグロテスクがあったのである。呉彬は20世紀に入ってから再評価されたため、なにかと異端視されるのはしかたのないことであるが、本人の弁いわく、「いにしえの技法で筆を運んでみましたが、美醜併せ持つことこそ大切であるとパトロンの米万鐘がおっしゃっている。この作品はいかがでしょうか?」などと平然と言い放っている。自覚がないようで、じつはあるという。
 しかしながら後年、日々シコシコと過去の書画文物に感想をばんばん落書きし、判を押してへこたれぬ清の乾隆帝さえもが、次のような趣旨のことを賛に書いている。「朕(ちん)はじっさいに山陰(浙江省・紹興の郊外の山岳)を訪れたことがあるが、かの風景はこの絵ほど奇怪だっただろうか?」と、これはリアリズムに属さぬものであると認めている。じかに作品を凝視していると、鳥肌が立つほどグロテスクである(左図は、長巻のうちのほんの一部)。

『42 世界を変えた男』 ブライアン・ヘルゲランド

2013-11-17 14:21:05 | 映画
 黒人大リーガーの先鞭をつけたジャッキー・ロビンソンがブルックリン・ドジャース入団当時(1947)に受けた差別的反応にスポットを当てた『42』の監督がかつて、トニー・スコット『マイ・ボディガード』『サブウェイ123 激突』、クリント・イーストウッド『ミスティック・リバー』、カーティス・ハンソン『L.A.コンフィデンシャル』などのシナリオライターを務めたことを指摘すれば、この一篇の野球映画が古典的ハリウッドのよき伝統と現代映画のはざまでアメリカ映画を真摯に実現させようという野望の持ち主による産物であることは、火を見るよりも明らかである。そして、これはいつものことだが、彼がノルウェー人の両親のもとに生まれた「外来種」である事実をも指摘しておかねばなるまい。

 ドジャースに勧誘される前、ジャッキー・ロビンソン(チャドウィック・ボーズマン)がニグロリーグ「カンザスシティ・モナークス」の遊撃手として活躍していた時代の画面は必見である。モナークスはニグロリーグの人気チームであるため、すでに照明設備を有したが、独特のほの暗い逆光を基調としたプレー映像には、幻想的という言葉がふさわしいように思う。『フライト』と同じ撮影監督ドン・バージェスによる、各スタジアム、家屋の室内、ドジャースのオーナー室、ダグアウト……など、それぞれの環境に応じた絶妙なライティング設計を、ぜひご堪能いただきたい。
 保守的な土地でのアウェーゲームで激しいブーイングを浴びるジャッキーを見かねた遊撃手ピー・ウィー・リース(ルーカス・ブラック)が一塁のジャッキーのもとへ駆け寄り、観客に見せつけるように握手し、肩を組んでポーズを取る2ショットは、今年最高の2ショットではないか。返したバックショットも素晴らしい。
 「肌の色が黄色だろうと黒だろうとシマウマだろうと、自分は優秀な選手を起用する」と豪語し、球団フロント側のリベラルな方針を全面支持したレオ・ドローチャー監督(演じたクリストファー・メローニもいい)という人物は、友人Hのメールで初めて知ったのだが、太平洋クラブ・ライオンズ(黒い霧事件で経営悪化した西鉄を買収した後継球団)が1976年に招聘し、来日一歩手前までいって結局ご破算になった人物とのこと。本作の中でも、ハリウッド女優との姦淫を理由に一年間活動停止処分を食らって、去っていく。ようするにお騒がせの大物だったようだ。


丸の内ピカデリー3(東京・有楽町マリオン新館)ほか全国で公開中
http://wwws.warnerbros.co.jp/42movie/