荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『スプリング・フィーバー』 婁燁

2010-08-29 08:42:06 | 映画
 京橋フィルムセンターで上映された費穆(フェイ・ムー)の『田舎町の春(小城之春)』(1948)が、たいへんな傑作だったとの由。見られなくて残念。この手の人民共和国成立前の上海映画の古典というものは、意外と中国映画祭のたぐいでも上映されないし、平気で20年くらいは待たされてしまう。去年のTIFFで初めて見ることのできた馬徐維邦(マーシュイ・ウェイパン)も、苦節20余年の機会だったのである。

 仕事を抜け出して、試写にて婁燁(ロウ・イエ)の新作『スプリング・フィーバー』を見てきた。江蘇省の省都・南京の街並みが、まるでイ・チャンドンの撮る韓国の地方都市のように、鄙びた、それでいてギラギラした欲望の都として妖しく明滅する。なかなかの佳作。ただし、邦題は東京フィルメックス上映時の『春風沈酔の夜』から変えなくてよかったのではないか。
 本作で引用された小説『春風沉醉的晚上(春風沈酔の夜)』の作者である知日派の文学者・郁達夫(1896-1945)しかり、さらに魯迅、周作人などといった、長江下流デルタ(江蘇省、浙江省、上海市)あたりのいわゆる江南文化人と、彼らの留学先としての日本のかかわりは、20世紀世界史のなかで、ユニークにしてきわめて重要なパートを形成していると、個人的には思っている。古代より日中の知的交流は、決して中原(洛陽、長安)や華北(北京など)中心に興ったのではなく、寧波、蘇州など江南との交流から体得した曖昧模糊、朦朧体めいた文明作法が、日本の唐風なるものを造りあげたのである。気体やガスを描くことを得意とした牧谿のような本国の都では無名な画家が、室町時代の日本でスターとして一級扱いされた事情が、じつはここにある。

 ちなみに郁達夫は、終戦の年、シンガポールで日本人に日本語で道案内したというだけで、官憲から射殺されてしまったらしい。『スプリング・フィーバー』を見ながら、この南京という街が、日本軍による大虐殺で世界的に有名になった都市であるということが、片時も頭から離れなかったのは、私の勝手な想念にすぎないだろうか。南京は、歴史の大部分で利潤追求型の商都の顔をしているものの、その一方で、三国の呉、東晋、十国南唐、そして明初、民国臨時政府…というふうに、東夷北狄の侵入に対して漢民族のナショナリズムが勃興した時に、その受け皿となった性質を有している。だから、どこかに大ブルジョワの甘美なデカダンスと、峻烈な不服従の香りとが同居している。一度も行ったことがないが、いずれ訪れてみたい街である。


11月6日(土)より、渋谷シネマライズほか全国順次公開
http://www.uplink.co.jp/springfever/

〈東京の、東へ。〉

2010-08-26 01:25:56 | 
 時間がなくばたばたして、映画も演劇もコンサートもぜんぜん行っていない。昼にサンドウィッチを囓りながら、雑誌でもめくるのがせいぜいである。だからきょうは気軽に雑誌の感想でも。

 「BRUTUS」(マガジンハウス)最新号(692号)の特集〈東京の、東へ。〉は、いま日本橋馬喰町(ばくろちょう)に雨後の竹の子のごとくできているアートギャラリーであるとか、谷根千、浅草(とくに観音裏)、向島、末広町、押上などの隠れスポットを取り上げたりしている、という点では、ここ数年に他メディアでも語られつつある東京の傾向を追認したものである。それは、過去半世紀以上にわたって東京というメガトン都市のトレンドであり続けた「西漸化現象」が陰りを見せ、東への反動という形を取り始めているらしい、という分析である。事実、江東区は湾岸の大型開発の影響で小中学校が不足しているし、久しく過疎地域に甘んじていた中央区はついに転入超過に転じ、現在は23区で最も人口増加率の高い区となった(まぁ元が少ないからなのだが)。

 ところが依然として、たとえば地方から上京した人々は、決まって西東京に住みたがる。今後も、若い女性にとっての「住みたい街」は、自由が丘、吉祥寺、中目黒、下北沢などであり続けるだろう。では、東東京とは、いったい何なのであろうか。これが、考えれば考えるほどわからなくなるのだ。東東京とは、現代日本に唯一残された大いなる謎、隠蔽された怨念のフロンティアであるだろう。
 有名女子大に首尾よく合格し、あこがれの都内独居をスタートさせた地方出身の令嬢にとって、曳舟(ひきふね)や森下のような味わい深い町も、ヘタをするとミラノや香港、プロヴァンス以上にエキゾティックな土地ということになってしまう。それほど、東京においては、西半分と東半分の間には、経験的=精神的に大いなる距離が横たわっている。タクシーにしてもそうだ。山の手から来た車両は、皇居以東ではまったく使い物にならない。

 清澄白河にオープンしたばかりの社交スペース〈SNAC〉で行われた、2人の劇作家と1人の編集者(戌井昭人、宮沢章夫、和久田頼男)の鼎談イベントの採録記事を読んでいて、いよいよ考え込んでしまった。戌井も宮沢も、東京東部に果てしなく惹かれながらも、そこでの演劇上演に失敗していたり、消極的であったりする。ベニサンピット(新大橋、閉館)やシアターX(両国)の観客の多くは、はるばる西東京から地下鉄で30分か1時間か揺られてきた人々であっただろう。結局のところ、彼らが東東京の話で盛り上がるのは、「いい酒場がある」とか「その店の親爺が一風変わった人で」とか、昔の物書きとあまり変わらない話題となってしまうのだ。  (つづく)

『シルビアのいる街で』 ホセ・ルイス・ゲリン

2010-08-23 02:26:10 | 映画
 評判の『シルビアのいる街で』(2007)を、シアター・イメージフォーラムでようやく見ることができた。これがなんともしみじみと心に刻まれる、というか、これを見た人にとって人生の思い出になるような水準に達していて、思わずびっくりしてしまったと同時に、こんな映画をつくる才人がバルセロナに隠れていたのかと、ここ数年のあいだに幾度もこの美の都市を訪れているはずの我が身の無知と不勉強に、赤面するほかはなかった。
 「nobody」誌編集部の厚意によって、『イニスフリー』(1990)、『影の列車』(1997)、『シルビアの街での写真』(2007)と、ホセ・ルイス・ゲリンの過去の未公開作3本もDVDで見ることができた。これらも含蓄に富み、知性とふくよかさを併せ持つ作品群で、またしてもびっくりせざるを得ない。とくに、昨年の東京国際映画祭でも上映された『イニスフリー』は、ジョン・フォードの『静かなる男』(1952)でジョン・ウェインが父祖のルーツの地に帰郷する、そのロケ場所となったアイルランドの小村イニスフリーに取材し、フェイク・ドキュメンタリーともスケッチ的ポートレイトともつかぬ摩訶不思議な時空間で、見ているこちらを包み込んでゆく。
 アメリカ映画の風を息いっぱいに吸い込み、それでいて隷属的なアメリカ映画至上主義にも堕さない、個としての強靱な映画作家のあゆみを、ゲリン映画の中に、しっかりと認めることができる。


東京・渋谷宮益坂上のシアター・イメージフォーラムで公開中
http://www.eiganokuni.com/sylvia/

バレンシア新布陣、ほぼ固まる

2010-08-20 02:22:00 | サッカー
 バレンシアが断行した大幅なリストラクションが、ほぼその全容を見せつつある。抜けた人材は、ビジャ(背番号7)、シルバ(21番)、バラハ(8番)、ジギッチ(9番)、マルチェナ(5番)など。
 代わって、以下の通り。ホアキン(17→7番に変更)、メフメット・トパル(新加入、17番)、バネガ(24番→21番)、ティノ・コスタ(新加入、24番)、チョリ・ドミンゲス(25番→8番)、アレクシス(20番→5番)、リカルド・コスタ(新加入、20番)、ソルダード(新加入、9番)、アドゥリス(新加入、11番)、デル・オルノ(11番→16番)、フェグリ(新加入、12番)などとなっている。松井のグルノーブル(かつてのゴダールの本拠地)から移籍してきたU-21フランス代表の攻撃的MFフェグリは、楽しみな逸材だ。

 率いて3シーズン目、ウナイ・エメリ監督の基本布陣はどうであろうか。ビジャ、シルバが抜け、バルサ移籍が一時は報じられたマタが、結局残留。一方、ソルダードとアドゥリスという強力FWが加入したため、4-4-2で来るかもしれない。

GK: セサル
DF: ミゲル、アレクシス(ダビ・ナバーロ)、デアルベール(R・コスタ)、マテュー
MF: ホアキン(パブロ)、アルベルダ(M・フェルナンデス)、バネガ(メフメット・トパル)、マタ
FW: アドゥリス(ティノ・コスタ、フェグリ)、ソルダード

公式クラブサイト(日本語版) http://www.valenciacf.com/

エジル、マドリーへ

2010-08-18 01:34:44 | サッカー
 浅草でいただいてきたほおずきに、ここ数日、小さな白い花が咲くようになった。ひどい高温多湿な毎日が続き、このごろは「もう地球も終わりかね」などと首を傾げ合うというのが、時候の挨拶と化してしまっている観がある。どうもやりきれないが、朝起きてすぐに、ベランダの草花、可愛らしい花びらを眺めて、不快な暑さをなんとかやり過ごしている。

 メスット・エジル(トルコ系のドイツ代表MF)のレアル・マドリー入りを、Marca紙やas紙など現地メディアが一斉に報じている。マドリーは今回、ヴェルダー・ブレーメンに1500万€(約16億5000万円)しか支払わない。これはずいぶんと安いのではないか。財政難が明るみとなったバルサでも、これならじゅうぶんに支払えたはずである。本人はもともとバルサファンだったのだから。まあバルサからすると、「どうしても」という選手でなかったのかもしれない。来シーズンは確実にセスクに戻ってきてもらうためには、いまは同じポジションの選手を補強しない方が心証がいい、と計ったのか。
 一方、ブレーメンから見ると、2年半前に獲得した時にシャルケ04に支払った移籍金がたったの430万€だったから、本人の活躍による今日までの収益を度外視しても、この取引で差引き1070万€(約12億円)の儲けとなる。

 モウのマドリーは4-3-3か。もし、4-2-3-1なら基本布陣は、
GK:カシージャス
DF:S・ラモス、R・カルヴァーリョ、ぺぺ、アルベロア(マルセロ)
守備的MF:シャビ・アロンソ(ガゴ)、ケディラ(ディアラ)
攻撃的MF:C・ロナウド、エジル(トップ下)、ディ・マリア(ファン・デル・ファールト)
1トップ:イグアイン(ベンゼマ)
 といったところかしら。こうなると、セルヒオ・カナーレスは、ラシン・サンタンデールに残った方がよかったし、ペドロ・レオンもヘタフェに残留した方がよかった。なお、カカーは故障で3~4ヶ月離脱。相変わらず、大人げない買い物のしかたをするチームである。

公式クラブサイト(日本語版) www.realmadrid.jp