荻野洋一 映画等覚書ブログ

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三島雅夫、卑屈と気概のはざまで

2011-11-19 00:01:00 | 映画
 成瀬巳喜男の『銀座化粧』(1951)の中で田中絹代とその坊やに卑屈な親しさでもって近づいて、結局は昔のよしみで金を無心することになってしまうというような、日本映画がもっとも描くのを得意とする男性像がある。日本映画はどうも不得意分野がもろもろ多い反面、この手のあいまいな卑屈さを描くことにかけては右に出るものがない。またそのことは、ちっとも不名誉な映画史ではない。同じく成瀬による『晩菊』(1954)の上原謙が基準例となるだろうか。
 そして『銀座化粧』でそういう男を演った三島雅夫などという俳優は、強烈な卑屈さを発散していて、この人が『ヒッチコック劇場』の冒頭と尻でヒッチコック卿の声を飄々とこなしていても、ああいう卑屈さの印象は、観客の瞳から一生消えないほど強烈なのだ。

 同じ俳優が、山本嘉次郎の『春の戯れ』(1949)では一転して、宇野重吉と相思相愛の仲である高峰秀子に横恋慕する豪商「越後屋」を、貫禄たっぷりに演じていたりするのを見るのもまた一興だ。どうせこの男やもめは、若い二人の恋路を妨害し、財力にものを言わせて娘の若い体を我がものにせんとする好色な爺ィなのだろう。と、誰もがそう思いきや、若い二人の不始末をきれいに尻拭いし、生まれた赤ん坊を我が子として育てるという、江戸っ子の気概を発揮したりもする。
 好色漢の悪評もどこ吹く風、清濁併せ呑む懐の深さを見せながら、「残り物には福がある」のごときアクロバティックな目的達成を果たす(ヒロインがみずからの意志でこの男の後妻となる)のだから、恐れ入ったものだ。山本嘉次郎の粋も人知れずたっぷりと出た佳作だろう。

P.S.
 写真は、『春の戯れ』の半年後に公開された小津安二郎『晩春』における三島雅夫と原節子。都内の静かな割烹で酌を交わす、大学教授とその同僚(笠智衆)の娘。そもそも、このような組合せの男女が気兼ねなく差しで杯を傾ける状況じたいが、身辺に対する気概を示しているのではないだろうか…


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2 コメント

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Unknown (無名)
2011-11-19 00:43:18
レス失礼します。

釈迦に説法かも知れませんが、ヒッチコック劇場初期の1時間バージョンでヒッチコックの吹き替えをしていたのが、熊倉一雄ではなく三島雅夫でした。一時期BSフジでヒッチコック劇場の再放送をした時、三島雅夫バージョンのみを放映していて貴重な体験をさせてもらいました。噂で聞いた話ですが、三島雅夫起用は風貌がヒッチコックに似ていたから起用されたといいます。確かにその通りだと思いました。

それと関係があるのかどうかは分かりませんが小沢茂弘監督の珍品『アマゾン無宿 世紀の大魔王』では、三島雅夫が『めまい』そっくりの鐘楼で片岡千恵蔵に追いつめられていたと記憶しています。

関係ない話で失礼しました。
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鐘楼で追いつめられて (中洲居士)
2011-11-19 21:58:27
無名さん、こんばんは。遅レスすみません。

三島雅夫が鐘楼で片岡千恵蔵に追いつめられるというのは本当ですか。面白いことを教えていただき有難うございます。

偶然だとしたらずいぶんと興味深い符合であるし、映画の不可思議な秘密を感じさせますね! 『アマゾン無宿 世紀の大魔王』は未見です。機会あらば見てみたいものです。
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