ちかさんの元気日記

辛いことを乗り越えて元気に生きている私“ちかさん”の
涙と怒りと笑いの介護記録。

失禁恐怖ばあさんの重装備

2016-07-29 23:56:46 | 日記
私はトイレが近い。
ということは、いつかああなっちゃうのだろうか…

我が高齢者住宅で最高齢96歳のトシさんは
耳が遠いことを除けば異常なほどお元気なので
これまで入浴援助以外の介護サービスは利用してこなかった。

ところがそのトシさんが
「夜中にオシッコを漏らしちゃう」
「トイレに行くまでに間に合わなくて失敗しちゃう」
と、春あたりから悲痛な訴えを起こすようになった。

そうなったら当然、排泄介助が必要だ。
さあトシさん、お任せください。
日中も夜間も、私たちがアナタの排泄をサポートいたしましょう。

しかしこれがこんなに困難な援助になろうとは…。

日中はトイレ誘導でなんとかなるのだが
問題は夜間である。

爆睡しているトシさんは、声をかけてもほとんど反応しない。
ならばと、仕方なくベッド上でパット交換。

まずはパジャマのズボンを脱がせ
ズボン下を脱がせ
この時季なのになぜか履いている毛糸のパンツを脱がせ
やっとリハパンにたどり着いたかと思ったら
リハパンの上から腰痛防止のベルトを締めているではないか。
(あとで聞いたら、オムツがずれないようにそうしているんだそうな)
よいしょよいしょとそれを外してようやくリハパンを脱がせ
いざパット交換!と思ったら
ご丁寧にももう1枚リハパンを履いているではないか。
なんだよこれ!?っと怒りを抑えながらそれを脱がせたところで
や~っとお出ましになったパット。
これを新しいものに交換すればいい。

だが、トシさんの用心深さはこれでは終わらなかった。

大パットの上に、普通サイズのパット1枚と軽い尿漏れ用のパット1枚が重ねられ
その上さらに、なんと折りたたんだ靴下と
幾重にも折りたたまれたトイレットペーパーが重ねられているのだ。

ったく、世話の焼けるバアサンだわい。
慈悲もへったくれもなく
リハパン1枚と大パット1枚以外は、全部撤収!

3時間後にまた来るから、これで十分ですよ。
聴こえないであろう彼女の耳元でそうささやき
やれやれと退室する。

そして3時間後。
うわっ、なんだよ!? デジャブか?
ズボンを脱がすとさっきと同じ光景が広がっているではないか。

途中で目覚めたトシさん、不安を感じて
せっせせっせと股間に重装備をこらしたらしい。

排泄に不安を抱えた老婆のかいがいしい働きぶりに
呆れながらも脱帽だ。
































ケイコ日記―その1

2016-07-25 23:53:58 | 日記
物盗られ妄想のケイコについて書くのは
もう何十回目だろう。

そのたびに「ああ、ケイコ」だとか「おお、ケイコ」だなんて
陳腐なタイトルをつけるのもナンなので
今日からもっと単純に、「ケイコ日記」とさせていただこう。

プレゼントされたテディベアを異常なまでにかわいがっていることは
この間も触れたが
いつの間にかそれがもう1体増えて男女の兄弟になり
あろうことか、ケイコの“赤ちゃん”となっている。

最初は「1人じゃかわいそうだったから、妹が来てくれてよかった」と
1体(1人?)増えたことを喜ぶケイコだったが
最近どうやら、子育てに疲れ果てている。

部屋に行くと2体のテディベアを両脇に抱きかかえ
ぐったりとイスにもたれかかっているケイコ。

「この子たちがなかなか寝ついてくれないんです」
「一人ならまだなんとかなるけれど、二人育てるのは私には無理です」

「いろいろな知恵がついてきてかわいいさかり」と言いながらも
86歳の高齢になって授かった赤ちゃんたちの世話で
ケイコは食欲も失せるほど衰弱しているらしい。
(といってもきのうの夜はベッドに明太子を食べ散らかした跡があったというが)

そしてきのう、何人かの登録ヘルパーに聞いた話。

比較的ふくよかな女性ヘルパーを選び、彼女は
「アナタ、オッパイ出ます?
もし出るのなら、この子たちにオッパイをあげてくれませんか?」
と、悲痛な訴えをしているというのだ。

乳飲み子を抱いて、通りかかる女たちにオッパイを求める
・・・戦時中のニッポンか!?

ケイコの混乱に拍車をかけることになった2人の赤ちゃんたち。
いっそ彼らを
誘拐されたことにしようか、留学したことにしようかと
まじめに引き離し作戦について討議している私たち職員である。




ホーム

2016-07-23 23:45:09 | 日記
遅番出勤の午前11時。
オートロック・キーを操作して、エントランスの扉を開ける。
と、そこに3人のオバアチャマたちがいた。
オシャベリするわけでもなく
退屈な時間をただただ共有するために
いつもソファに座っている方々だ。

おはようございます。私がそう声をかけるより早く
そのうちのキョウコさんが言った。

「あ、ウチのオネエチャンが帰ってきた」

すると他の二人も
「ホントだ、オネエチャンだ」

「おはようございます」を飲み込んで
私は応えた。
「ただいま~」

3人は声をそろえて
「おかえり~」「おかえり~」「おかえり~」

あはっ、ここは私の家なのかいな。
こそばゆく、ありがたい。

実はこの5月、育ての母が引っ越しをした。
3年前に父が死んでから独り暮らしをしてきたが
もうこんな寂しい暮らしはイヤ!と
何の未練もなく家を売り飛ばして
地方に住む妹(彼女にとっては唯一の実の娘)のところに
行ってしまったのだ。

まあ、それで母が幸せに暮らせるならと
何食わぬ顔で見送ったが
あとになって、じわりじわりと
“実家”がないことが寂しく思えてきた。

いずれは誰もがそうなるわけだが
ああ、もう帰る実家はないんだなあ…と。

そんな心境だったこともあって
お世話しているオバアチャマたちからの今日の出迎えは
なんだかくすぐったいくらい嬉しかったのだ。

ただいま~!
そう言って出勤できる職場。
ときには爆弾を落としたくなる戦場でもあるが
それでもやっぱり、私にとっては大切はホームなのである。


身近にいる困った老婆

2016-07-21 18:34:04 | 日記
生みの母から携帯に着信が。
折り返しかけてみると、「かけていない」と言う。
いつものことだ。まあ、いいさ。

で、元気? とりあえず聞いておこう。

すると母は答えた。
「腰が複雑骨折になっちゃって、ほとんど寝てるの」

複雑骨折?そりゃあ大変だ。
しかし入院は愚かコルセットもしていないと言う。
それって、圧迫骨折じゃあないの?

「あら?そうだったかしら。よく覚えてないわ」

いつやっちゃったの?
「ええと…半年くらい前だったかしら」

いやいやいや、5月に電話をくれたときはそんな話しなかった。
おそらく先月あたりの話だろう。

「あら、そうだったかしら? 待って、今は2月でしょ?」

いいえ、7月です。

こりゃかなり来ている。やっばいわぁ。

「でも心配しないで。骨折したときも、○○ちゃん(母の再婚相手)が
3日間仕事を休んで面倒見てくれたし
いまもご飯の支度から掃除、選択は全部彼がやってくれてるから」

○○ちゃんとわかいく呼ばれる再婚相手も
母より12歳若いとはいえもう72歳。
はっきり言って、老老介護である。

あのぉ、お母さん、いよいよ介護サービスを入れるべきは?
アナタが大丈夫といったって、相手が気の毒でしょう?
相手が倒れちゃったら、アナタ、どうするの?

しかし母はなおも言う。
「そうね、そのうち考えるわ。
今はまだ大丈夫だから、そんなに心配しないで」

私は心配してません。わが身に降りかかってくる災難を
事前に回避しようとしているだけでございます
と、心の中で。

本当に介護サービスを受けるべき人が受けていない。
ニュースでも見るような実態が、ここにあった。

99歳の暴れん坊将軍、逝く。

2016-07-21 01:16:55 | 日記
義父が亡くなり、おっさんと2人で急遽鹿児島に飛んだ。
きのう告別式を済ませ、一泊して今ようやく家に落ち着いたところである。

享年99歳。
来月、100歳の誕生日を迎えようとしていた。
7人兄弟が久しぶりに集まり盛大にお祝いをする予定だったので
それは残念でならないのだが…

告別式の夜に義姉たちから聞かされたところによると
この義父、亡くなるまでの1年間は病院や施設を転々とし
行く先々で多大なる迷惑をかけたらしい。

「帰る、帰ると言って大暴れしたのよ」
「去年まだ歩けていたときは、点滴のチューブをぶらさげながら
ナースステーションに文句を言いにいったんだって」
「オムツ交換のときも抵抗して、職員の人に噛み付いたらしいわ」
「しまいには手にミトンをはめられたのよねぇ」
「私なんか毎日のように呼び出されて大変だったわあ」

はぁ~、看護師さん、介護職員さん、ご迷惑をおかけしました。

「でも、それくらい元気だったのよね、お父さん」と義姉たちは笑って回想する。
私も一緒になって「鹿児島の男はホントに威勢がいいわ」と言って笑う。

身内としてはそうだろう。

ウチにもそういう家族は多い。

「寂しい」「怖い」というコールが頻繁で…と伝えると
「あらぁ、おばあちゃん、可哀想にね」。

「他の利用者さんに怒鳴ったりすることもあるんですよ」と伝えると
「やだぁ、おじいちゃんたら。でもそれくらい元気なんですね。
ほっとしました」。

おいおい、ちげーよ(怒)

介護職員に対して、噛んだりつねったり暴言を吐いたり
そんな高齢者は少なくない。
下痢便を汗だくになって処理している最中に
「あはは、ば~か、ば~か」と嘲笑う認知症の人もいる。

それをぐっと堪えて、握った拳を懸命になだめて
お世話する私たち。

その辛い思いを家族に知ってもらえないのが悔しい。
(理解を見せてくださる家族もいなくはないが)

一泊で帰ってきたため
義父がお世話になった病院や特養の職員さんに挨拶もできなかったが
このブログを借りて、皆さんにお礼を言おう。

暴れん坊の義父が本当にお世話になりました。
本当に、本当に、ありがとうございました。