ちかさんの元気日記

辛いことを乗り越えて元気に生きている私“ちかさん”の
涙と怒りと笑いの介護記録。

猫かわいがり

2014-07-30 00:04:09 | 日記
ウチは何でも自由な高齢者住宅である。

居室でお酒を飲むこともできれば
ペットを飼うことだってOKなのである。

もっとも、自分が面倒を見てもらう立場で
さすがにペットを飼う人はいない。

だが、ペット連れの家族がやってくることはある。

最近入居されたHさんのご家族がそうだ。
ご本人もかわいがっていたということもあってか
頻繁に、トイプードルのAちゃんを連れてやってくる。

まあ、ペットセラピーの効果を考えれば
それは歓迎すべきことかもしれないが
にしても
Hさんのポータブルトイレの隣に
トイプードルAちゃんのトイレが用意されているのは
どんなもんだかねえ。
これこそ、人間とペットの共生ってヤツなのかしらねえ。

ペットをかわいがる人の中には
たまに、そこまでやるか!?と思う人がいる。

友人Kがまさしくそれ。
彼女の“娘”である猫が、今年の春先に死んだ。
明け方異変に気づいたKは、とっさにどんな行動をとったか。
マウス・トゥ・マウスをした、というのだ。

そこまでやるか!?

動物を猫かわいがりできない私としては
どうしても理解できないのであるが・・・

あな、怖ろしや

2014-07-27 00:46:04 | 日記
岩のように大きく
介護度はトップレベルの5という
いろんな意味でヘビーなオバアチャマが入居してきた。

二度の脳梗塞により右にも左にもマヒあり。
手足の自由が利かない上に
言葉も出てこないからコミュニケーションが取れない。

入院していた病院から
「どこかの施設にでも」と突き放され
それでも「人間らしい生活をさせてあげたい」という家族の強い要望から
施設ではなく、ウチに入居されたのだった。

そんな方でも残存機能を生かして“人間らしい暮らし”を提供するのが
ウチのモットー。
立派だ。しかし、いくらなんでも無理だろう!?
いやいや、それでもやれ!というのだ。
車椅子に移乗してもらって
食堂に来てもらって
みんなと同じように食事を召し上がっていただけ!というのだ。

泣けるぜ、立派過ぎるポリシーに。

さあて、入居初日。
悲しいことに、先発投手はこの私だった。

「バーにつかまってください」
「頭を上げてください」
声かけにも反応はなく、仕方ない!と力づくで起き上がらせる。
しかし、どんなに頑張っても車椅子へ移乗していただくことはできない。
前から、後ろから、ふん、ふん!と持ち上げようとしても
岩のように大きな身体はビクともしない。

泣きたくなる。冷房のきいた部屋なのに、汗が滴り落ちる。

あきらめ、助けを呼ぶ。
二人がかりで必死の介助だ。

そんなこんなで食堂へお連れし
食事を口に運び
居室に戻ってから再び二人がかりでベッドに移乗していただき…

そこまでで1時間20分。
予定の30分をとっくに過ぎている。

精も根も尽き果て、ああ、早くこの場を去って一服したい。
とりあえず着替えた洋服をたたんで終わりにしようと
私は彼女が休むベッドを背にして最後の仕事にとりかかった。

そのとき、ふと、背後に何かを感じた。
なに!? とっさに振り返る。

ぎゃ~!
彼女が一人で起き上がろうとしている~!!!
まったく動けないはずの彼女が
なぜかウゴウゴと身体を動かし
ベッドから足を下ろして座ろうとしている~!!!

医師も、ケアマネも、家族も知らなかった事実。

彼女Tさんは、本当は動けるのであった。



花川戸の親分さん

2014-07-22 01:22:59 | 日記
宮本輝の小説を読んでいる。
その中で、こんな一節があった。

「人間には誰しも、意味や理由がありそうでなさそうなフレーズが
心のどこかに隠れていて
何かに集中しているとき、もしくは気が散って神経が散漫になっているとき
あるいはぼんやりと気持ちがほどけているときに
ふいにそれが呪文のように浮かび出て
しつこく反復しつづけたりする…」

あー、わかるわ。そうなのよ、そうなのよ。
ときおり私の中で起こる現象が人にもあると知り
見えない“あるある”ボタンを幾度もクリックする。

私の心のどこかに隠れている
意味や理由がありそうでなさそうなフレーズ…
それは

「花川戸の親分さん」

である。

どういうときと、限定できずにいるが
ふと気づくと、心にそのフレーズが降りてきているのである。

花川戸といえば、東京・浅草の繁華街の一角をなす地域。
いわば江戸文化の息づく町だ。
しかし、私には縁もゆかりもない。
しかも「親分さん」である。
そんなご職業の方と、残念ながらお付き合いがない。

それなのにどうしてそのフレーズが降りてくるのか。

おそらく時代小説にでも登場したのだろう。
そうとは思う。いや、それしかない。
しかしこれまで数え切れないほどたくさんの小説を読んできた。
どこかに記憶して、ふとした折に心に降りてくるフレーズなら
ほかにいくらでもあるだろうよ!?
それがナンデ、「花川戸の親分さん」なんだ!?

もしかしたら前世は江戸時代の花川戸の町娘で
そこで幅を利かせる十手持ちの親分に世話になったのかもしれない。
だとすると
魂の存在や生まれ変わりもありえるよなあ。

そんな悶々とした思いを抱いて10数年。

「誰でも心のどこかに隠れている
意味や理由がありそうでさそうなフレーズがあり
それがある瞬間に浮かび出て呪文のように反復しつづける」と知り
少しホッとしながらも
ますます“花川戸の親分さん”への疑問を深める私である。

ネタはつきない。

2014-07-19 00:36:03 | 日記
「何がなんだかわかりません」でお馴染みの
Nさん(ハイレベルの認知症)を囲んで
それよりましだがそれでもやっぱりおかしな人たちが
余計な波風を立てている。

「何がなんだか…」に加えて
最近「“か”という字を出したいんですがボタンが見つからないんです」と
一日中ボタンを探していらっしゃるNさん。
居室で探してくださっているだけならいいのだが
わざわざ廊下に出て
人をつかまえてはボタンの在り処をお尋ねになる。

最初は見えない振りをしていたかの近隣住人たちが
このところそれにさまざまな反応を示しはじめた。

まずは、まだ介護認定を受けるほどではないが
一人で暮らすにはやや不安、という程度の呑気なマダムたち。
廊下でNさんを見つけると
仲良し5人組そろって、ぞろぞろと事務所まで通報しにやってくる。
「またあの人出てるわよ」
「ボタンボタンって、うるさくてかなわないわ」
「どうにかならないの?」

まあ、確かにお困りだろう。
でも、言い方にご近所さんを思いやる心が微塵もない。
一応「すみません、すぐにお部屋にお連れしますから」と対応しつつ
私は胸の奥でつぶやく。
奥様方、明日は我が身、かもしれないんですぜ!と。

なぜか私の顔を見ると手を合わせるおっとり老女・Iさん
(軽度の認知症。腰椎圧迫骨折)は
娘からの虐待によって入居されたという悲しい経歴をお持ちゆえか
人に対してすこぶる優しい。というか、病的なまでに気を使う。
そのIさんが、私を見つけてひょこひょことシルバーカーを押してきた。
「あのNさんという方、かわいそうなお病気なんですねえ。
もうお気の毒でお気の毒で、心配で心配で
きのうも私、眠れませんでした」
あらあら、Iさんにもご迷惑をかけていたんですね。すみません。
そこまではよかった。
続けてIさんがおっしゃた。
「なんでもあのお病気は、栄養をつければならないんだそうですね。
だから私もここの食堂でご飯をいっぱいいただいて
あのお病気にならないようにしたいとおもっているんです」

あのお病気? 認知症、ですか?
いや、あの、あなたもその入り口に立っておいでなんですが…?

極めつけは、物盗られ妄想のEさん。
幸か不幸か、彼女の居室はNさんの正面である。
前出のマダムたちがNさんの話に沸騰しているちょうどそこへ
Eさんがいらした。
話の断片を聞きかじった彼女は、すかさず口を挟む。
「そうです、そうです、あの方は本当に大変なんです。
きのうも夜中の2時ころに私の家に入ってきて
いろいろなものを盗っていかれたんです」

いやいやE子さん、夜勤をしているからわかるけど
その時間はNさんもアナタも、眠剤が効いてぐっすりお休みですよ。

その場では言わないでおいたが
あとでマダムたちに訂正。
「そんなことはまったくありませんから安心してください」と。

お~い、E子さん、これ以上波風立てるな~!!!

高齢者が50人以上も住んでいれば
まったく、ネタがつきることはないのである。


私の幸せ

2014-07-17 00:45:26 | 日記
友達と4人で、それはそれは、それはそれは楽しい酒を飲んできた。

売れっ子作家のA
グラフィックデザイナーのC
エステティックサロン経営のE
そして新進・介護職人の私。

職業も家庭環境もまったく異なるメンバーだが
笑うツボ、怒りを向ける矛先が同じで
どんなテーマでも盛り上がる。

愚痴もなく
誰か一人がしゃべり続けることもなく
頓珍漢なことを言い出すヤツもおらず
それはそれは、それはそれは
楽しく心地よい50代の女子会であった。

わっと盛り上がって、さっと解散して
夜11時におりこうさんの帰宅。

家に着くと、おっさんが疲れきっていた。
勤め先であるデイサービスに持っていくための
折り紙作品づくりに没頭していたらしい。

珍しくお弁当もつくっていない。
どんなに疲れていても、帰りが遅くなっても
節約のためお弁当作りだけは欠かさないのに…。

おやすみ、と言葉少なに布団に入ったおっさん。
一人残されたかわいい女房の心に
ふと、日ごろではありえないやさしい感情が生まれた。

そうだ、お弁当をつくってあげよう!

ありあわせの食材を使い
オムレツ、煮物、ポテトサラダの三品をチャチャッとつくる。
急に思いついた割りに、素敵なお弁当じゃあないの!?

テーブルには、「冷蔵庫においしいプレゼントが入ってます」と
くすぐったくなるようなメッセージも。

な、なんだ? このやさしい感情は!?
おっさんへの愛情が再燃したというのか!?

いやいや、これは幸せの連鎖である。
めちゃくちゃ楽しい時間をすごしてきたから
心が弾んだまま帰ってきたから
おっさんにも優しくしてあげようという気になったのだろう。

私が幸せなら家族は幸せ!
子供が小さいころから、家族にそういい続けてきた。
なんとも傲慢で自分勝手な妻であり、母である。
しかし、久しぶりにそれを再認識する。

おっさんの幸せは私の幸せ、ではないが
私の幸せはおっさんの幸せ、だよね。
うん、それでいい、それでいい。