ちかさんの元気日記

辛いことを乗り越えて元気に生きている私“ちかさん”の
涙と怒りと笑いの介護記録。

2013年―最後の日記

2013-12-31 00:30:25 | 日記
薬局を辞めた。

電子書籍に小説を5本UPした。

半年間職業訓練校に通った。

たくさんの素敵な出会いがあった。

介護職デビューした。

おっさんが3度転職した。

そして父を見送った。


なんと濃い一年だったことか・・・。

おっさんが破産して、5年という月日が流れた。
こんなにもずしりと胸にくる年末を過ごしたことは
なかったように思う。

その日その日を懸命に生きてきて
気づけば55歳。

おっさんの度重なる転職も
もちろん父の死も
喜べないニュースではある。

けれども
この一年間、二人とも頑張ってきた。
おっさんは苦悩しながらも
めげずに人生のやり直しを計ろうとチャレンジし続けてきたし
父は、最後の最後まで生きようとした。
そしてさらに父は
“人生は楽しまなくちゃ損だぞ!”という思いを娘の心に遺して
潔く旅立ったのである。

人からしたら“残念!”かもしれないが
私自身にしてみれば
どちらも清々しい今年の記憶だ。

妻からなじられ続けながらも、楽しく生き続けた父。
金と家と地位とプライドを失ってもなお、前を向いて歩いているおっさん。
金はないが自分の選んだ道で笑って生きている息子。
紆余曲折しながら、明日へ、明日へと歩を進めている友人たち。
そして、心身の不自由を抱えてはいるものの
私に心の豊かさを教えてくれる施設の年配者たち。

み~んな、みんな、ありがとう。
貴方たちのお陰で、素晴らしい一年でした。

カッコつけるわけじゃないけど
なんだか照れくさいけど
こんなにも、人から生かされている自分を感じた年はなかった。

これを読んでくれているアナタにも
心からありがとう。

さあて、明日大晦日は夜勤。
心に残っている煤を払うつもりで
頑張ってお勤めしてまいりましょう。



告別式の夜に

2013-12-27 01:15:32 | 日記
父の告別式。

火葬直前の棺を囲み
「お父さん、大好きだったよ」と
ポロポロ涙をこぼしながら冷たくなったその手をさする娘たち。
年がら年中憎まれ口を叩いていた母まで
「あなた、ありがとう」と涙ながらに両手でその頬を包む。

雨が降り敷く中
父の望みどおりひっそりと行われた家族葬。
賑やかなことが大好きだった父にはふさわしくない気もしたが
他人がいないからこそ見せられる素顔で
私たちは愛する父(夫)を見送ることができたのかもしれない。

骨壷に納まった父を実家に連れ帰り、線香をあげ
しめやかな時間が流れること約一時間。

誰が口火を切ったか記憶にないが
これからどうするか
現実的な事務処理について、家族会議が始まる。

実は、1、2年前から自分の逝く日を想定し
遺言と遺影用の写真選びに熱心だった父。
しかし、告別式の前日に娘たち総出で家中を捜索しても
それは見つからない。
あとで母が困らないよう家の権利書を確認しておこうと思ったが
それも、どこにしまったのかわからない。
いざというときの生命保険や年金、銀行の手続きといったものが
一切、書き残されていないのである。

まいったね、こりゃ。

あ、でも、こんなものがあるわ!と母が出してきたエンディングノート。
そうそう、これよこれ。
ここにすべてが記されているに違いない。
そう思ってページをめくってみたが
最初の1ページ目にある自分史がわずかに綴られているだけで
肝心なところは真っ白だ。

なあんだよ、これ!

そんな父の不始末を蒸し返し、告別式のあとの家族会議は
いつしかいい加減な父(夫)をなじる結果に。

そうなの、あなたたちのお父さんという人は本当に困った人で・・・
と、母。
しかし娘たちからしたら、父のそんないい加減な部分が愛しい。

あんなことがあった、こんなこともあったと
骨壷を前に繰り広げられる父のエピソード。
娘が三人いると、どうやらその接し方、育て方も違っていたようで
娘たちの語るエピソードも父親像もまちまちだ。

いつの間にか
家族会議は逝ってしまった男を偲ぶ“笑タイム”へと変わっていく。

ごめ~ん、お父さん。
アナタの告別式の日に、家族で大笑いしたわ。
でも、これってアナタが望むところでしょ?

何度も書き直した遺言だけれど
自分が死んだあとも家族仲良く――
と、その一行だけは書き換えなかったものね。

姉と私。そして二度目の母とその娘である三女。
なさぬ仲である4人が、アナタの死をきっかけに絆を強くせざるを得ない。
これって、アナタが一番望むところだったんだろうね。

そう思うと
天晴れ! アナタの思うようにコトが進んでいるじゃないか。

遺された家族のドタバタ笑いをもって
供養とさせていただきます。

ありがとう、お父さん。

2013-12-25 01:38:13 | 日記
父が、逝ってしまった。

パーキンソンに肺炎、そして感染症・・・
入院してから一ヶ月。
幕は、あっけなく閉じた。

せっかちだった父。
最期もあまりにもせっかちに
家族が駆けつける間もなく・・・。

せめて最期のお別れにと、冷たくなった父の頬に“チュッ”。
「命の灯火を、ありがとう」と。


おっさん、現時失業中。

2013-12-21 00:15:07 | 日記
どうやらまだ書いていなかったようだが
おっさんは就職したバス会社をとっくに辞めている。

3日間だけの就職。
最短記録だ。

毎朝(というか夜中)2時半に起きて出社し
帰ってくるのは夜の9時、10時。
寝る暇もない。
ひどいもんである。

バス業界とは、こんなにも悲惨だったのか!?
これじゃあ、事故が起こるわけだ。

さっさとお辞め。
介護業界に来るなら、早いほうがいいよ。
そう、すすめた。

というわけで、おっさんは現在就活中。
せっかく資格を取ったのだし
給料は安くとも安らげる生活をと
介護職に絞っての職探しである。

未経験に加えて年齢も高いが、人手不足のこの業界
ありがたいことにいくつか採用通知をいただいている。

以前勤めていたリフォーム会社の社長から再三
戻ってきてほしいと打診があるが
「それだけはダメ!」と釘を刺す。
頑張れば儲けも大きい業界だが
もう二度と、彼の心身が蝕まれていく様は見たくない。

給料は安くても、二人で働けば全然問題ないし。

ともに55歳の私たち夫婦が
介護職としてスタートを切ろうとしている。
以前の生活を考えたら、笑っちゃうよね。
ま、人生いろいろさ。

とにもかくにも現在失業中のおっさん。
就活しながら、せっせと大掃除や夕食作りに励んでくれている。
金は減る一方だが、大助かりだ。

今日も夜勤の疲れを取るべくスパに行こうとしたら
おっさん、車で送迎を申し出てきた。
(バス会社への就職のために買ったこの車も、来月には手放すんだけど)
お湯に浸かり、大好きな岩盤浴で汗を流し
「帰るよ」と電話を入れると
10分後にはスパの前におっさんのお迎えの車が。
な~んだか、女王様気分。

すんごい給料を運んできてくれても
家のことは一切せず
いつも会社の業績のことで頭を抱えて不機嫌に帰宅したおっさん。
ピリピリした空気の中で、私も息子も遠慮しながら暮らしていたっけ。
あのころを思うと、今はなんと心の平穏が得られていることか。

お金は、ないよりあった方がいい。
しかし、それより“心”だ。

生活に必要最低限のお金を得るために働き
週に1、2度でいいから夫婦で一緒に、笑ってご飯を食べる。
それがかなえられたら、本望である。

若者イジメ?

2013-12-20 02:31:24 | 日記
チョー生意気で減らず口の男性職員S、28歳。
本来は営業なのだが、人手の足りないウチの施設に
介護職員として手伝いに来てくれている。

口を開けば会社への不満、マネージャーの悪口と
聞いていて胸糞悪い。

夜勤明けだった今朝、早番のSを迎える。
相変わらずの仏張面。
あからさまにオバサンを見下している。

そんな彼に、夜勤明けの私は明るくかわいく(?)声を掛けた。
「おはよう。コーヒー飲む?
 私のインスタントコーヒーでよかったら入れようか?」

え? えええ!? いいんですか?

戸惑うS。目も泳いでいる。

ああ、このひねくれ者、人に優しくされた経験が少ないんだ。
そう思った。

夜勤から帰ってすかさず、同じ仕事をするオバチャン仲間2人にメール。
「Sは生意気でウザイ奴だけど、優しくされるのに慣れてないみたい。
ちょっと優しい言葉を掛けてごらん。面白いから」

日ごろSの鼻持ちならない言動に腹を立てていた二人から
大乗り気のメールが返ってきた。

明日からSは、オバチャンたちから異常な思いやりをかけられるだろう。

くっくっく。
大変な仕事だもの、このくらいのオアソビがあっていいよね。